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屋上で取り込み中にかかってきた電話は、紀田さんからだった。
後でかける、と断るつもりで応答した。
「はい、香坂です」
だが彼女は開口一番『すみません』と大きな声で謝ってきた。
あまりにも深刻な口調だったので、つい「えっ、どうしたんです?」と聞いてしまった。
案の定、優紀はその隙に出ていってしまった。
だが、すぐに切ることができないほど、紀田さんの話は聞き捨てならないものだった。
『実は……大変申し上げにくいのですが、加藤さんにモデルを降りていただくことになってしまいそうで』
「……どういうこと?」
『電話では説明が難しいので、もしお時間がございましたら、これからお伺いしたいのですが』
「わかりました。今日は休みなので、裏から回ってください。その旨、警備の者に伝えておきます」
『了解です。急なことで、本当に申し訳ございません。1時間ほどで伺えると思いますので』
電話を切った後、警備員と笹岡に連絡を済ませて、ひと段落つくと、俺はソファーに座りこみ、しばらく頭を抱えていた。
なんて馬鹿なことをしてしまったんだ。
無理やり、キスするなんて。
自分で自分が信じられない。
シンデレラ・プロジェクトが始まってひと月経ち、固く結んだつぼみが陽の光を浴びて、ゆっくりほどけていくように、優紀はようやく変わりはじめたところだったのに。
青白く沈んでいた肌の色は明るさを取り戻し、目にも光が宿るようになった。
担当の岩崎ともうまくやっているようで、時折、ふたりで談笑している様子を見かけて、ほほえましく思っていた。
まるで穴に籠った小動物のように、外の世界に怯えている優紀の様子が気になって、かなり強引にプロジェクトに引っ張り込んだけれど、やはり正解だったと思っていた。
それなのに、さっきの優紀の表情はあまりにも憂いに沈んでいて、また振りだしに戻ってしまったのかと、焦燥に駆られた。
どうしても優紀の心を開くことができない自分がふがいなくて、気づいたら彼女の唇を奪っていた。
あんなふうに衝動を抑えきれずにキスをするなんて、はじめてのことだった。
酔いが回っていたのかもしれない。
でもそれは、一番、やってはいけないことだったのだと、今さらながら後悔が怒涛のように襲ってくる。
でも誓って、同情なんかでキスした訳じゃない。
俺は優紀が好きだ。
それを強烈に意識したのは、書店で優紀が小学生の子に和やかに接しているのを見かけたときだ。
そのときの彼女は、俺には決して見せてくれない表情をしていた。
そして、自分でも驚いたのだが、優紀が優しく接しているその少女に、嫉妬のような感情を抱いていたことだった。
プロジェクトが始まり、多くの時間を共に過ごすようになって、その想いはますます募っている。
苦手なことでも懸命に取り組むひたむきさも。
甘いものを食べているときの、なんともいえない可愛さも。
あの、切なげな表情さえ。
どんな彼女も、可愛くて仕方がない。
思えば、高3のとき、美容師になることを決心させてくれたあの日も強く心惹かれた。
俺のものにしたい、とさえ思った。
だが、まだ中学2年の優紀と付き合うのは、さすがにまずいと、あの時は心にブレーキをかけた。
それに優紀には浩太郎という恐ろしい番犬がついていた。
中学生の優紀に手をつけるような不埒な振る舞いをしてしまったら、冗談じゃなく、奴に半殺しの目に合わされていただろう。
とはいえ、付き合いが深まれば、自制して我慢できるかどうか、当時18歳の俺には正直、自信がなかった。