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そこに残るのは、深く広大な穴と、その底にくすぶる炎のみ。
まる一日が過ぎても、あまりの熱気に近寄ることさえ出来ない地獄と化していた。
王都から状況偵察に出た人間の部隊は、直撃した場所から十キロ以上離れた位置でなお、危険であると引き返した。
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イザが極炎の光を放ってから、数カ月。
他の貴族領からの反乱は起きなかった。
地獄の痕跡の調査報告書を見ただけでは半信半疑の者も、ひとつの辺境領が滅んだという事実でようやく、理解したらしい。
全ては現実であり、イザにはもう、誰も逆らえないという事を。
魔王討ちし勇者一行、であったはずの女魔導士が、知らぬ間に魔王へと変貌していた。
そうさせたのが、元を辿れば自国の王であったのだから、もはや拳を振り上げることさえ出来ない。
王城が占領された時点でイザから通達された通りに、大人しくするしかないと、最初はどの領主も思った。
だが、なにも挙兵するだけが戦争ではない。
恐れるべきはイザ一人であるならば、暗殺という手がある。
王城内には魔族しか居ないという難点はあるが、不可能ではないはずだ。
そう考える領主は、一人ではなかった。
故にいつしか、イザを暗殺するための作戦が練られ始めた。
それは直接狙うもの、食料流通に乗じようとするもの、一人でも魔族を取り込もうとするもの、その他ありとあらゆる手段が講じられた。
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ある夜、イザは扉をノックする音で目が覚めた。
魔力の補給の、その行為は日中に行っているのに。誰かが欲を抑えられなくなったのかと、彼女は入るように促した。
一人くらい、さっさと相手をしてやれば良いかと寛容に思って。
「名前くらいは名乗りなさい……って、ムメイじゃない。珍しいわね。私を抱きたくなった?」
開いた扉から、通路の明りが差し込む逆光ではあるが、見慣れた風貌だった。
「もし抱きたいと言ったら、それは偽物だ」
ムメイはいつものように、抑揚のない低い声で答えた。
ただ、いつもより苛立っているように聞こえた。
「何かあった?」
イザはベッドから体を起こし、体を隠さないまま聞いた。
逆光で何も見えないだろうと、寝ぼけていたせいで。彼からは見えていると気付くには、まだ頭の回転が足りていない。
「ネズミが増えているのに、警備が薄いままだからだ。いつか寝首を掻かれるぞ」
そう言ってムメイは、ドサリと重い物を寝室に放り落とした。
「……よく見えないけど、刺客?」
「今日はこれだけだが、この一週間で二十は始末している。報告もしているだろう」
呆れと苛立ち。
それをこうして、直接的に表現しに来たのだ。
確かにその数で何も対策しないなら、自分でも同じ事をしたかもしれないなとイザは思った。
「ごめんなさい。ちゃんと報告書に目は通してたつもりだったけど……」
そんなに怒らないでよ。と、甘えようとしてやめた。
彼にはすでに、十分に甘えているからだった。
「魔族の見張りは役に立たん。軍勢ばかりを意識して、ネズミには裏をかかれ続けている」
「……ねぇ、その刺客って、出どころは分かる?」
「本物ばかりで、身元の分かる物は持っていない。ただ、王都の市民に内通者は居る。それは確かだ」
「そっか……」
イザは悲し気に目を伏せた。
ムメイはそれを見逃していないが、慰めるかどうかを迷った。こうなる事は、イザも理解しているのを知っていたから。
だから、あえて淡々と事実だけを述べることにしたらしい。
「対策しなければ、俺一人では手が足りない時が来るかもしれんぞ。すでに陽動の動きがある」
つまり、今夜もすでに陽動の方を始末した上で、本命だったこの死体を転がしに来たということだ。
刺客の方が、ムメイを対策し始めている。
「今日は間に合ったのね。ありがとう」
「礼などいらん。どうにかしろ」
ムメイは、そう言った所で少しだけ、後悔した。
ともすれば、王都に住む数十万の人間まで、イザは殺してしまうのではないかと。
「実はね、ずっと迷ってたの。でも踏ん切りがついたわ。結局は、こうなるのよねぇ」
「……そうだな」
ムメイは、イザの言葉で全てを悟った。
先ほどの後悔は、すでに消化している。
そう思っても、さすがに心が痛んだ。
だが、そうさせたのは人間なのだから仕方が無い。
その結果に結びつくことを、予見せずに歯向かった奴らが悪いのだ。
それにムメイは、いつかこうなるだろうと最初から分かっていた。
遅いか、早いか、ただそれだけの話だ。
彼はそう思って、床に転がした死体を無造作に掴むと、イザの寝室を出た。
イザはその姿を見送ってから、天井に何かをつぶやいた。
そして、もう一度眠りについた。
翌朝には、ほぼ全てにケリがついているはずだから。
地獄から呼び寄せた毒蜘蛛たちは、毒を入れるだけならば時間を必要としない。
以前、城壁内の人間の兵たちを喰い尽くした彼らは、ずっと潜んでいたのだ。
すでに街に居る。
膨大な数に増えている彼らは、人目につかないようにしていただけで、消えてはいない。
それが今、イザのつぶやきで牙を剥く事となった。
おそらくは、彼女が目覚める頃にはほぼ終わっているだろう。
王都から人間が消える。
それは、いつか来る必然でしかなく、人間が選んだ道なのだ。
一枚岩の魔族は、消して選ばない道。
誰か一人でもイザを討とうと考えるのが人間で、肝心な所では誰もイザに逆らわないのが魔族。
それが命運の分かれ道となった。