長いです。
愛煙家Nicoさん、琥珀さんへの捧げ物。現パロに近しい何か。🇩🇪くんの初恋のお話。
余談ですが、ピクシブ始めました。加日で検索したらすぐ出てくると思います。基本的にテラーの加筆修正を掲載中です。
頬がヒリヒリする。
腕にできた傷口を触ると、土で汚れた袖元が目に入った。
帰ったら洗わなきゃ。
そう思いながらも胸の奥は重たくて、帰ってもそのまま横になってしまいそうだ。
ツンとする鼻をすすっていると、不意に声がした。
「どうしたんですか?」
はっと振り返る。
だが、背後には夕暮れ時の通学路が広がるだけ。
背筋を冷たい汗が伝い、慌てて周囲を見回す。
すると、生垣の隙間から人の頭が生えていた。
「うわっ!?」
情けなくも、そんな悲鳴と共に尻もちをついてしまう。
背中でランドセルがごつんと鳴った。
「うわぁっ!?すみません!」
小さな頭が引っ込むと、パタパタと足音がした。
白いワイシャツに、少し底の擦り切れたクロックス。
仕事帰りというよりは、家で働いていたという雰囲気だ。
「立てますか?」
不安げに下がる眉尻。
差し出された手を取ると、優しい強さで立ち上がらせてくれた。
「酷く擦りむいてますね…うちへいらっしゃい。」
知らない人にはついていかない。
親にも教師にも言われ続けてきた言葉が頭をよぎる。
「結構です」とか。
「大丈夫です」とか。
断るための言葉なら、いくらでも持ち合わせている。
それでも生垣の切れ目に吸い込まれていく彼からは善意以外の何も感じなくて。
促されるまま、俺はその人の家へお邪魔することにした。
***
縁側に腰を下ろす。
家主…日本さん、はどこからか救急箱を取り出してきて、俺の膝を覗き込んだ。
「これは痛かったでしょう。どうしたんですか?」
「……友達とケンカした。」
消毒液がしみる。
顔をしかめていると、日本さんは小さく相槌を打った。
「あいつが窓を割ったのにしらばっくれるから。先生に報告しろって言った。」
「あぁ……。それは…」
「俺だって怒られたくないのはわかる。でもあいつ、下級生のせいにしようって!」
俺が虚空を睨みつけている間に、日本さんは丁寧にガーゼを当ててくれた。
「それで?」
「……それで、優等生ぶるな、裏切り者、って。」
手当が済んだらしい。
はい、と軽く膝を叩かれた。
「誰かのために怒ったんでしょう?…ドイツくんは強い子ですよ。」
その言葉に、胸がぐらりと揺れた。
「強い子」。
「融通の効かない子」とか、「協調性のない子」とかいう風に言われないのは初めてだった。
「……ほんと?」
「えぇ。とっても正直物です。」
微笑みながらそう言う声に、唇が勝手に震える。
気が付くと、堪えきれずに涙が溢れ出した。
俺はそのまま日本さんに抱きついて、声をあげて泣いた。
***
「……部屋は綺麗なのに、庭はちょっと汚いな。」
ひとしきり泣き終えると妙に恥ずかしくなって、ダメだとわかっていてもそんなことを言ってしまった。
日本さんは苦笑すると、照れくさそうに頬をかきながら口を開いた。
「仕事は在宅でやっているんですが、家の中で手一杯で……庭までは中々……。」
今日はたまた生垣を剪定していて、と日本さんが言う。
その言葉を聞いて、少しおかしくなった。
俺の知っている大人とは違うことを言ってくれるのに、俺の友達と同じように誤魔化す。
この人をもっと知りたいと思った。
「ねぇ、また来ていいか?」
「えぇ。ケガしたらおいで。手当とお話ししましょう。」
***
それから、俺はケガをする度に日本さんを尋ねるようになった。
消毒液塗ってもらって、話を聞いてもらって。
たまに泣いたり、好きなキャラの絆創膏で喜んだり。
そして、手当のお礼に庭をいじった。
雑草を抜いて、土をならして。
鉢を倒していく野良猫を威嚇して、ひび割れた鉢を直して。
学校で作った朝顔の種もまいたりしたんだったか。
日本さんは一緒に土をいじりながら、「ありがとう」と言ってくれる。
そうして小学校を卒業し、中学も卒業する頃には、俺は日本さんのような落ち着きと、整った庭を手に入れた。
***
放課後を告げるチャイムと共に「塾があるから」と友達の誘いを断って、俺は校門を出て少し遠回りをする。
「スイカバーありますよ。」
いらっしゃい、と微笑んだ日本さんは冷蔵庫を指さしてそう言った。
「前邪道だって言ってたくせに。」
「ドイツくん好きでしょう?」
「まぁ、そこそこ。」
生意気だなぁ高校生、と笑い声が聞こえる。
赤と緑の三角形をくわえて庭におりる。
相変わらず、不自然なほど室内と釣り合いの取れない雑然さだ。
整頓が苦手なわけでもないだろうに、と言うと、日本は決まって
「……1人だと、手が回らなくて。」
と言うのであった。
そんなことを考えながら、「園芸用品 ドイツくん」とテプラの貼ってある引き出しから軍手とビニール袋を取り出す。
しばらくすると日本もおりてきて、プランターの間引きをしたりしながら他愛のない話をする。
日が傾いてきて、6時のチャイムがなったら解散。
日本は夕飯の支度を始めて、俺は予備校に向かう。
すっかりルーティーンになった1時間半。
俺の1日の中で、1番心穏やかになれる時間。
そのはずだった。
「あっ、ごめんなさい。」
ふとした瞬間に触れる指。
「また1位ですか?偉いですねぇ。」
優しく頭を撫でる手。
「ここ、だいぶ焼けちゃいました。」
ほら、と晒されるうなじ。
クラスメイトとも親とも違う、丁度いい距離感。
気を張ることなく自然体でいられる時間。
俺こそごめん。
日本に教わったからな。
だから日焼け止め塗った方がいいって。
そんな風に、簡単に返せるはずだった。
「……。」
どうしてか、心臓が跳ねる。
どうしてか、言葉が詰まる。
「どうしたんですか、ドイツくん。」
いつもの調子で首を傾げる日本に、蝉の声が響く庭。
俺は決まって「何でもない」と慌てて答える。
「ハサミも刃物なんですから、ぼーっとしてちゃダメですよ。」
「……あぁ。」
子供扱いされているから、気になるんだ。
そうやって、もやりとした気持ちを胸に押し込める。
日本には何でも話せて、隠し事なんか1つもない。
悩みは全部話して、日本の前では不安も何も、安心以外には何も感じない。
そのはずだった。
***
『……ドイツ、くんっ…………』
初めはそれが誰なのか……何を、しているのか。
何もわからなかった。
『……っ…』
ぐ、と細い両腕に懸命に引き寄せられて。
『……も、っと………』
甘く上擦った声で求められて。
『…あッ……♡』
抱き合っているのだと。
『…っ、日本っ……』
彼なのだと。
わかってしまった。
目が覚めた時、足の付け根が妙にぬるりとした体液で濡れていた。
全身が火照っていて、喉は焼けつくように乾いていた。
あぁ、これは。
俺は、日本さんを。
その気付きは罪悪感と嫌悪感をもって俺を苦しめた。
同性に。
しかも、子供の頃から慕ってきた大人にこんな想いを抱くなんて。
彼や、彼との思い出を汚してしまったようで、自分の裸を見るのも嫌になった。
誰にも。
彼にも言えない秘密が、出来てしまった。
だから俺は、日本の家に通うのをやめた。
蝉がうるさかったから、多分8月の中旬のことだったと思う。
それから9月になって、10月になって。
冬が来て、また夏が来て。
庭の草は、きっと伸び放題になっているだろう。
卒業する先輩に寄せ書きを渡して、花弁を散らす桜を見ながらそんなことを思った。
小遣いを貯めて買った鉢植えを野良猫に倒されているかもしれない。
でも、そんなことより顔を合わせて自分がどうなってしまうのかということの方が、よっぽど恐ろしかった。
あ、雪。
そう思ったのは、実家を出て暮らし始めた1人のアパート。
俺はもう、大学生になっていた。
***
大学を卒業し、就職して間もない春。
リクルートスーツがようやく肩に馴染んできた頃。
配属先が決まり、緊張を胸に初めてオフィスに足を踏み入れた時だった。
「……ドイツ、くん……?」
聞き覚えのある声がした。
思わず顔を上げる。
そこに立っていたのは、日本さんだった。
少し痩せたようにも見える。
けれど穏やかな目も、控えめな笑みも。
紛れもなく彼だ。
「すごい偶然ですね。」
懐かしい。
もし会いに行ってしまったら。
名前を呼ばれたら。
そんな風に考えていたのに、日本さんを前にして思ったのはそんなことだった。
***
仕事の合間、日本さんは変わらず俺に声をかけてくれた。
俺が淹れなければいけないお茶を淹れてくれたり、好きそうだからとお菓子をくれたり。
「珍しい。ドイツくんも残業ですか?一緒に頑張りましょうね。」
その言葉を口実に、俺は必要以上に仕事を引き受けるようになった。
幸運にも日本さんのデスクは俺のそばにあり、ちょっとしたため息や息遣いが聞こえる。
その頻度が増えるたび、コーヒーを淹れて思い出話をする。
縁側で過ごしたこと。
庭の土の匂い。
あの時の傷の話。
「ほんと、昔からいい子でしたよねぇ…ドイツくん。」
「そうだろう?」
「かわいげはちょっと怪しいですけど。」
昔のことであろうと感謝されたり褒められたりするのが嬉しくて、そのたび胸を撫で下ろした。
あれは大人へ向ける子供の感情。
童の心と書いて憧れなんて、よく言ったものだ。
夢には直前に見たものが出ると言うし。
「日本さんといると、安心できるな。」
「……それは嬉しいです。」
あれは、単なる憧れだったのだ。
***
ある日の夜。
オフィスに残る人数は2人。
もちろん、俺と日本さん。
「ドイツさん、この資料なん…」
あれ、と呟いたのだろうか。
イスから立ち上がった途端、日本が後ろ向きに倒れた。
「っ!?にほっ……」
咄嗟に手を伸ばす。
もちろん急なことだったので、俺もバランスを取りきれずに一緒に床へ倒れ込んでしまった。
衝撃に耐えようと軽く目を瞑る。
どうにか腕を差し込む暇はあったし、音的にも日本の頭は守れたはず。
目を開く。
「……ドイツ、くん………。」
息が触れ合う距離。
押し倒したような格好。
まっすぐ俺を見つめる一対の黒曜石。
その光景に、強烈な既視感が走った。
あの夜の夢。
高1の時みてしまった……彼を…日本を抱く夢。
脳の奥で熱く何かが弾け、ずん、と下半身に何かが溜まる。
いや、違う。
もうこの話は終わったじゃないか。
憧れ。
日本さんはただの、ただの俺の憧れなんだろう?
「す、すみません…。」
日本さんが狼狽えた声で謝る。
細い手首を掴むと、びくりと彼の薄い肩が跳ねた。
力の調節なんて器用なことが出来ず、乱暴に日本さんを立ち上がらせる。
「……今日はもう、帰った方がいい。」
視線を合わせられないまま、俺はキーボードに手を置いた。
***
「……絶対嫌われた…………」
日本さんが帰ってから早2時間。
どうにもこうにも仕事に手を付けられなくなってしまった俺は、とぼとぼと家路を辿っていた。
街灯の下、自分の影が長く伸びている。
自己嫌悪で胸が潰れそうだ。
ぎゅっと唇を噛み締める。
「…どうしたんですか?」
はっと顔を上げる。
日本が立っていた。
「……何で…」
「だってここ、僕の家ですもん。」
え、と周囲を見回す。
見覚えのある生垣。
シンプルな表札。
間違いない。
どうやら俺は昔の家路についてしまったようだ。
「どうしたんですか?」
「…謝りたくて。」
咄嗟に口が動いた。
無意識にきてた、なんて怖すぎて言えない。絶対引かれる。
相変わらず真面目ですねぇ、と日本さんはのほほんと笑った。
「…もう終電も終わっちゃいましたし。お詫びするなら思い出話に付き合ってくださいよ。」
促されるまま家に上がる。
縁側に腰を下ろして、しばらく黙って庭を眺める。
庭は最後に整えた場所を境に、隅の方が雑然としたままで、記憶の中の風景と一寸違わなかった。
カチリ、と音がして隣を向く。
日本さんがライターをいじっていた。
「…日本さん、タバコ吸うのか。」
「まぁ…随分長い事禁煙してたんですけどね。」
紫煙は夜の湿った風に混じり、天女の羽衣のようにふわりと彼を覆った。
ふぅ、と艶やかな唇が濁った白を吐き出した。
「…ドイツくんもどうです?1本。」
「体にはすこぶる悪いですが、美味しいんですよ。」
差し出される白魚のような手に、悪戯っぽい笑み。
あ、好きだ。
自然に。
あれほど抵抗していたのに。
本当に、泣きそうなほど自然にそう思ってしまった。
「もらう。」
一口吸い込んで、彼はよくこんなものに「美味しい」だなんて言うな、と思った。
煙に隠れて目を閉じる。
あの頃のように仕事をする彼を見守って、全部の仕事が終わった後。
彼を独り占めして、業務時間外に抱き締めて欲しい、それまでずっと一緒にいたい。
そう願うのは、やっぱり出過ぎたワガママなのだろう。
それならばこんな想い、全部全部飲み込んでしまえばいい。
戻れないのなら、全部全部無かったように隠してしまえばいい。
この煙と一緒に、肺の底まで。
(終)
コメント
5件
コメント遅くなってすみません。最高すぎて尊死してました。素晴らしき独日供給をありがとうございます。これを見れたからには異国の地で生を絶たれたとしても後悔はない。我が人生に悔いなしでございます。 感想書いたんだけどめちゃくちゃに長くなっちゃったから、DMで送るね。
なんとお礼すれば良いのやら...。とりあえず軽く叫びました尊すぎます。 優等生独さん本当に解釈一致です。怪我したら来る程度の関係かと思いきや段々通うようになるとか理想のシチュでぶっ刺さりました。それと毎回思うのですが作品から溢れ出るリアルさが本当に凄いです。語彙力が無くて申し訳がない...。独さんの成長過程とか日さんの近所のえっちいお兄さん概念とか...。こんな日さんずっと前から求めてたので的確に描写して頂けて助かりました!業務時間外のくだりも入れてくださり本当にありがとうございます!大好きです🥳 長文失礼致しました。