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今だけだから
・・・・・・・・・・
「時透くん…大丈夫?」
「え、何が?」
俺の主語のない質問に、時透くんが不思議そうな顔をする。
今日、時透くんは柱稽古はお休みの日なんだけど、遊びに来た俺とつばさを相手に特別に稽古をつけてくれていた。
時透くんの家には、今は俺たち3人しかいない。
つばさは台所で昼食を作ってくれている。
いい香りがしてくる。
「…俺さ、匂いで分かっちゃって。時透くん、つばさのことが好きなんだろ?」
「うん、好きだよ」
照れる様子もなくあっさりと俺の言ったことを認める時透くん。
「みんな同じような内容の夢を見た日…時透くんも例外じゃなかったんだよね?」
「うん。僕も見たよ。つばさが元の世界に帰っちゃう夢」
目が覚めた時、俺は涙を流していた。
夢の中にも関わらず、とても寂しくて、切ない気持ちになったんだ。
後から聞けば、蝶屋敷で療養していた伊之助も、大泣きしてつばさにしがみついたとか。
時透くんはつばさのことが好きなら、きっとすごくつらいだろうな。想いを寄せた相手と二度と会えなくなってしまうなんて。
「俺さ、あの日急いで蝶屋敷に行って。つばさの顔見て泣いちゃったんだよな。しのぶさんも言ってたけど、つばさが元の世界に戻る前兆なのかもしれないって…そう考えると悲しくて寂しくて」
「…僕だって寂しいよ。つばさとお別れするの。堪らなく寂しい。……でも僕たちは、つばさが安心して帰れるように笑顔で送り出してあげなくちゃ。僕たちが悲しんだらつばさにだって悲しい顔をさせちゃう。最後に目に焼き付けるのは、つばさの笑った顔がいい……」
時透くんは俯いているから、どんな表情をしているかよく分からない。
「……つばさに告白は?」
「したよ」
「えっ!?そうなのか!?」
いつの間につばさに気持ちを伝えてたんだ……。
「うん。やっぱり僕が思ってた通り、つばさは僕のこと弟みたいにしか思ってなかったみたい。逆にそれで救われてるんだけどね」
顔を上げて微笑む時透くん。切なそうな、どうしようもないものを諦めたような匂いがする。
「俺もつばさが大好きだよ。時透くんにとっての好きとは違うけど、大事な仲間だから」
「うん。つばさは大事な仲間だよ。それ以上でもそれ以下でもない、って自分で思い込まないといけない。いつかは元の世界に戻るかもしれないつばさに、僕の恋人になって、なんて言えないから……」
そうだよな……。
「つばさの前では悲しい顔をしないようにしなくちゃ。寂しくて泣くのはつばさがいないところでだけ」
「…そっか……」
禰󠄀豆子と同じ歳の時透くん。階級は彼のほうがずっと上だけど、弟がつらい思いをしているようで俺もしんどい。
『炭治郎、無一郎くん、ごはんできたよ〜』
柔らかな声と共に、今まさに話題に上がっていた人物が道場にひょこっと顔を覗かせる。
「ありがとう。炭治郎、行こ」
「あっ、うん。そうだな」
2人並んで食卓へ行く。
いい香り。つやつやに炊きあがったごはん、鶏の唐揚げ、玉子と胡瓜をマヨネーズで和えたサラダ、レタスと玉葱が入ったコンソメスープ。
「「『いただきます』 」」
美味しい。つばさの作る料理は蝶屋敷でも何度か食べたなあ。どれもすごく美味しかった。
栄養バランスや彩りまで考えられた、誰かを想って作ってくれているのが分かる優しい味。
「ほんとにつばさは料理が上手だな」
『ありがとう、炭治郎』
にっこり笑うつばさ。
この笑顔がもうすぐ見られなくなっちゃうかもしれない。
鼻の奥がツンとして、視界がぼやける。
俺は慌てて高速瞬きを繰り返して、涙が零れないよう努める。
ふと隣を見ると、時透くんも俺と同じようにしていた。
『おかわりあるから、いっぱい食べてね』
「うん」
「ありがとう」
つばさも女の子にしては量を食べるほうかな?
「つばさは元々今くらい食べられてたのか?」
『今程はないかな。食が細いわけでもなかったけど。こっちの世界にきて前より身体を動かすし、気も張ってるからたくさん食べられるようになった感じ』
「そっか」
ごく普通の、穏やかな学校生活を送っていた筈だったつばさ。
突然見知らぬ世界に来て、握ったこともない刀を手に鬼を狩るようになって。
そりゃ体力の消耗も激しいよな。たくさん食べないとやってられないよ。
『……2人とも、元気ないね』
「え!?」
「そ、そんなことないよ」
慌てて否定する俺と時透くん。
まずい。近付いているかもしれないつばさとの別れに、悲しい顔をしちゃってたかな?
『そう?ならいいの』
それ以上追求してくることなく微笑んだつばさ。
懸命に笑顔を作っているのが分かる。いつも通りの優しい笑顔を見せてくれているけど、俺は鼻が利くから。彼女から、とても悲しい匂いがするんだ。
「つばさ、スープまだある?」
『うん、あるよ。少し温め直してこようかな』
自分のはもう食べ終えたらしいつばさが、時透くんのお椀を受け取り、台所へ消えていく。
数分経ってもつばさが戻ってこない。
「…ねえ、炭治郎。つばさ遅いよね」
「俺も思った。どうしたんだろう?」
「大丈夫かな?僕ちょっと見に行ってくる」
「うん、俺も一緒に行くよ」
2人で立ち上がった時、ようやくつばさが戻ってきた。
『はい、無一郎くんごめんね。お待たせ』
「ありが……え!?」
「つばさ…どうしたんだ!?」
俺たちがびっくりして固まるのも仕方ないと思う。つばさの目と鼻が赤くなっていたから。ひと目で泣いていたのが分かる。
『…な、何でもないよ?ちょっと目にゴミが入っただけだよ』
時透くんにスープの入ったお椀を手渡して笑うつばさ。
俺も人のこと言えないけど、嘘が下手すぎる。
「……つばさ、何か悩んでるなら、俺たちでよかったら相談に乗るぞ? 」
「そうだよ。1人で抱え込んでないで話してよ」
『……っ』
俺たちの言葉に、つばさが目を潤ませる。
俯き、彼女の長い睫毛が白い頬に影を落とす。
淡いピンク色の唇が紡ぎ出した言葉は……。
『………寂しい』
その言葉と同時に、瞼の淵から透明な雫が零れて、つばさの頬を伝って顎から落ちていく。
「つばさ……」
ぽろぽろ、ぽろぽろ……。
堰を切ったようにつばさの目から涙が溢れて、頬を濡らし、隊服の上から着たエプロンに濃い水玉模様を描いていく。
『…もうすぐ、みんなとお別れしなきゃいけないかもしれない。……寂しい…すごく…。みんなと会えなくなっちゃうなんて、離ればなれになっちゃうなんて嫌だ……』
つばさの、悲しい、寂しい匂いが一層強くなって俺の胸を締めつける。
『帰りたくないわけじゃないの。…っ……家族のことも心配だし、学校や友達のことも気になるし……。でもっ…私、自分で思ってたよりずっと、ずっと、この世界で出会ったみんなのことが大好きになってて……。だからお別れなんてしたくない…うぅっ……』
顔を袖で覆い、嗚咽を漏らすつばさ。
俺が彼女の立場だったら。きっとすごくつらい。胸が張り裂けそうだ。この悲しみや寂しさに蓋をして、必死に笑顔を作って普段通り振る舞うのは至難の業だろう。
『…しのぶさんに言われたの。“泣かないで”、“笑って”って。……私だって、ほんとに元の世界に帰ることになるなら、残された時間を笑ってみんなと過ごそうって思ってたの。…泣かないように、悲しい顔をしないようにって……』
「…うん、うん。そうだよな……」
気の利いた言葉が何も思いつかなくて、ただただ相槌を打つしかできない。
『…ごめんね、2人とも。目の前でこんな泣かれて困るよね……。…今だけ…、また明日からちゃんと笑うから…っ…今だけ、弱音を吐かせて……』
黙ってつばさの言葉を聞いていた時透くんが、すっと立ち上がって彼女の傍に行き、強く抱き締めた。
「……つばさと出会って、僕、たくさん幸せをもらったよ。誰かを好きになる気持ちも、誰かを命を懸けて守りたいっていう願いも、大事なこと全部、つばさが教えてくれたんだ。つばさの笑顔に、僕を含めたくさんの人が救われたよ。ありがとう…」
『…無一郎くん…っ…』
「……っ…泣かないって決めてたのに、だめだ……。ごめん、僕も今日だけ。涙が出てしまうのを見逃して……」
時透くんの声も湿り気を帯び、震えている。
俺に背を向けているからどんな顔をしているか分からないけど、彼からも大きな悲しみの匂いがする。
俺も堪えていたものが溢れ出して、視界がぼやけていく。
立ち上がり、2人のところに行って俺はつばさを背後から抱き締めた。
ああ、なんて華奢なんだろう。
日々の鍛錬や任務で筋肉はついているんだろうけど、それでもやっぱり男とは全く違う線の細さ。
泣いているせいか、つばさの身体は心なしかいつもよりひと回り小さく感じる。
「…みんな、つばさの笑った顔が大好きだよ。…でも今は無理に笑わなくていいから……。泣きたいだけ泣こう。ここには俺たちしかいないから……。…つばさ、大好きだよ。君がこの世界にいたこと、絶対に夢じゃない。俺たちは確かに、一緒に笑って泣いて、絆を深めた仲間なんだ」
『…ふ…ぅ……たんじろ……』
しばらく3人で泣いて、つばさの肩の震えがおさまった。
『……無一郎くん、炭治郎、ありがとう。…もう大丈夫だよ』
小さく鼻を啜りながら、普段に近い明るい声で言葉を発するつばさ。
そっと身体を離す俺と時透くん。
つばさの寂しい匂いは消えたわけではないけれど、それが少しだけ弱くなっていた。
「つばさ、大好きだよ」
「俺も大好きだよ」
『ありがとう。私も2人のこと大好き』
顔を見合わせて笑った。
瞼が腫れて痛々しい。つばさは肌が白いから余計に。
『わあ…ひっどい顔!』
壁に掛けられた鏡を見て、つばさが可笑しそうに笑う。
「俺たちもだよ」
「あれだけ泣いたらこうなるよね」
俺と時透くんも、一緒に鏡に顔を写して笑う。
『……泣いたらスッキリした。多分もう大丈夫』
「…僕も。寂しいのは自分だけじゃないって分かって安心した」
「つばさ、もう遠慮しなくていいからな?しんどくなったらいつでも言ってくれよ?」
『うん、ありがとう』
にっこり笑ったつばさ。無理をしていないいつもの笑顔に胸の中が温かくなった。
『…2人にサンドイッチしてもらって嬉しかったよ』
「僕が正面からつばさをぎゅってしてたから炭治郎は背中に行くしかなかったもんね」
「そうだよ。でもつばさが嬉しいって思ってくれてよかった」
つばさの温もりを俺、絶対忘れない。
『ごめん、スープ冷めちゃったよね。もっかい温め直してくるね』
つばさが立ち上がり、時透くんのお椀を手に取る。
「あ。そんな、いいよ。手間だし。このままで大丈夫だよ」
『ううん。私がいちばん美味しい状態で食べて欲しいだけだから気にしないで。炭治郎はおかわりどう?』
「えっと、もらおうかな。泣いたらまたお腹空いちゃった」
『うん、私も。じゃあ台所にあるの全部持ってくるね。唐揚げもサラダも』
つばさが再び台所に消えていく。
「……よかった。つばさ、笑ってくれた 」
ぽつりと時透くんが呟いた。
「そうだな。…時透くんは、つばさが初恋の相手?」
「うん。特殊な相手だけど、つばさを好きになったこと、思い切って告白したこと、何も後悔してないよ」
「そっか。……ちょっとでも長く、つばさといられたらいいな」
「うん」
寂しさが解消されたわけじゃない。
でも、彼女との残された時間を大事に過ごしたいと強く思う。
「…時透くん、つばさを手伝いに行こう 」
「そうだね。全部持ってくるって言ってたし1人じゃ大変だよね」
立ち上がり、俺たちも台所へ向かうのだった。
つづく