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突然の別れ
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最近、天気の悪い日が続いている。
それが何か嫌なことの前兆のような気がして憂鬱になる。
あれから何度も、つばさが元の世界に戻る夢を何人もの人が見ている。見た夢の内容も、日にちも時間帯もバラバラだけれど、こんなことってあるんだろうか。
もしかしたら本当に、つばさとのお別れが近いのかもしれない……。
今日は柱合会議だ。柱稽古の中間報告をする為だそうだ。
少し前はお館様に代わってあまね様とご子息ご息女が僕たちの前に出てこられたけれど、今日はお館様もいらっしゃった。
随分と容態が悪いみたいで、布団に横になられたままで、そこに柱9人が集められた。
いつもの柱合会議と違うのは、そこに柱ではない隊士がいたこと。
それは、夏目椿彩だった。
どうして、つばさがここに?
胡蝶さん以外のみんなも不思議そうな顔をしている。
ピカッ
ゴロゴロゴロ……
空は厚い雲に覆われて、辺りは昼間だというのに薄暗い。おまけに遠くで雷の音も聞こえる。
「…最近、ぐずついた天気が続いているね……。私の可愛い剣士(こども)たちは、柱稽古でたくさん頑張ってくれているようだね。……柱のみんな、一般の隊士に稽古をつけてくれて…ありがとう…」
息も絶え絶えに仰るお館様。
苦しそうなお姿に胸が痛くなる。
「……今日、…君をこの場に呼んだのには…ちゃんと理由があるんだよ。…椿彩」
『はい』
「およそ100年後の世界から来た君に、どうしても聞きたいことがあるんだ……」
『はい。何ですか?』
「…柱のみんなも……妻も息子も娘たちも…ここにいる全員にしっかり聞いてほしい……」
何だろう?お館様は、つばさに何を聞こうとしているんだ……?
「単刀直入に聞くよ……。椿彩のいた世界には…鬼はいたかい?」
お館様の問いかけに、その場にいた全員が息を呑む。
つばさは真っ直ぐにお館様を見つめて、静かに口を開いた。
『いいえ、いません』
はっきりと答えたつばさ。
本当に?つばさのいた世界には鬼はいないの?
「…一匹も…かい?」
『はい。鬼なんて生き物は存在してませんでした。悪意を持った人が犯罪を犯すことはあっても、それはいつだって人間で。鬼という人ならざるものが夜現れて人間を食べるなんて、そんな話は聞いたこともありません 』
みんな目を見開いて椿彩の言葉を聞いている。
『…私、この世界に来て皆さんと出会うまで、鬼だなんて絵本の中だけの存在だと思ってました。でも違った……。この世には鬼という恐ろしい生き物がいて、それを退治してくれる鬼殺隊という組織があって。皆さんが命を懸けて鬼をやっつけてくださったから、100年後の世界で私たちは平和に暮らせています。』
ありがとうございます、と言いながら丁寧に頭を下げる椿彩。
ゴロゴロゴロゴロ……
ポツポツ……ザアアアアア………
とうとう雨が降り出した。この時期の天気は不安定だと誰かが言っていた。
今日も洗濯物が乾かない、と朝から隠の人たちが憂いていたな。
「…みんな、椿彩の言葉を…確かに聞いたね……。彼女が生きる世界には…鬼がいないそうだ……。…ということは…我ら鬼殺隊…が…鬼の始祖を倒す未来が…確実に訪れる…ということだ…!」
掠れた声で、でもどこか興奮したようにお館様が言葉を紡ぐ。
外の雨の音で、お館様の声が聞こえづらい。僕たちは耳を澄ませてお館様のお話を聞いている。
「……どのくらい先か…は分からないけれど、100年の間に……私たちが…無惨に勝利する、んだ…。椿彩が…彼女が、それを証明してくれた……」
お館様の喉からヒューヒューと苦しそうな音がする。
ピカッ
ゴロゴロ……
ザザアアアアア……
外は相変わらずの大雨だ。
「お館様。必ずや無惨を、鬼共を討ち滅ぼしますゆえ。どうかご安心なさってください」
悲鳴嶼さんが言う。
苦しそうなお館様がこれ以上無理してお話しなくていいようにとの配慮だろう。
「ありがとう、行冥。………椿彩…」
『はい、お館様』
胡蝶さんに背中を押されて、つばさがお館様の傍に移動する。
「…君が…元の世界に戻れる時、は……。そう遠くない…と…私は思っているよ……。それは…もしかしたら…今日、かもしれな、い……」
『…え…?』
「帰れるなら…、そのチャンスを逃しては…いけないよ……。君は…君の世界で…幸せに生きるんだ……」
いつか悲鳴嶼さんが言っていた。
産屋敷一族は先見の明が凄まじかったと。
未来を見通す力……。
お館様にはつばさが元の世界に戻るのが分かっているのだろうか。
しかも今日…!?
『…お館様。私、最後まで戦います。元の世界に戻りたくないわけではありませんが、私も鬼殺隊の一員です。皆さんと同じように命を懸けて鬼を倒して、100年後の大事な人たちを守りたいんです』
「……君のその覚悟はとても、素晴らしい……。でもね、迷い込んだこの世界、で…君に命を落としてほしくないんだ……」
弱々しくはあるものの、お館様の優しく穏やかな声に、つばさもそれ以上は食い下がることもできず、目を潤ませてお館様の言葉を聞いている。
ピカッ
ゴロゴロゴロ……
「……雷が近いな」
ぼそっと不死川さんが呟く。
「ああ。そのへんに落ちないといいが……」
宇随さんも顔をしかめて頷く。
産屋敷邸のお庭にはたくさんの背の高い木が生い茂っているから。雷が落ちやすいのかもしれない。
ピカッ
ゴロゴロゴロ……
ピカッ…
ドドーーン!!
「近くに落ちたな」
煉獄さんが言う。
ザアアアアア……
雨もひどい。
ピカッ
バリバリバリ!!
辺りが一際明るく光った次の瞬間、ものすごい音を立てて雷が落ちた。
「きゃっ!?」
宇随さんがお館様に、悲鳴嶼さんがそのご家族に、伊黒さんが甘露寺さんに、不死川さんが胡蝶さんに、冨岡さんがつばさに覆い被さる。僕のことは煉獄さんが守ってくれた。
ゴロゴロゴロ……
ピカッ!
バリバリバリバリ!!!
また落ちた。煉獄さんの腕の間から見えたのは、お庭の木が雷に打たれて燃えている光景。
でも大雨ですぐに鎮火した。
「…何だこれは…!?」
珍しく、冨岡さんが動揺したような声を上げる。
一同がゆっくりと顔を上げ、そちらを向く。
!?
何これ…!?
つばさの身体が透けてる!
「つばさちゃん!怪我は!?」
『あっ、ありません!でも…なんで…!?身体が……』
身体が透けている以外は平気みたいでひとまず安心した。
でもどういうこと?
何…これ……。
ジジ…ジジ………
透けているつばさが、今着ている鬼殺隊の隊服から、出会った頃の弓道着姿に、そして隊服姿に、夢に見た学校の制服のような格好に、ブラウスにスカートという洋装に、そしてまた隊服姿に、次々と姿を変えていく。
つばさ自身も驚いた顔で手のひらや身体を見つめている。
「……どうしたのかな?」
病に視力を奪われているお館様に、あまね様が今の状況を説明する。
「…そうか。…椿彩、どうやら本当に今日、君は元の世界に帰ることができるようだね……」
『えっ!?』
そんな!こんなすぐにお別れが来るなんて…!
「……君は弓道の試合中にここに来たと言っていたね……。その日も雨や…雷がすごかったと……。この天気が君が帰る鍵となったんだろう……」
一同がはっとしたようにつばさを見る。
『…でも私、ここにいる皆さん以外の人たちに、ちゃんとお礼やお別れを言えてません!』
つばさが涙を浮かべて訴える。
「……心配するな。そんなことをどうこう言う奴はいない…」
悲鳴嶼さんがつばさを宥める。
『でも……っ』
つばさの目から涙が零れ落ちる。
「大丈夫だ。みんなお前が元の世界に帰れることを喜ぶ筈だ。…絶対に俺たちが、俺たちの代で鬼を滅ぼすから。お前の生きる世界に絶対に鬼を行かせない」
不死川さんがつばさの頭を撫でる。
「…椿彩、泣かないで。笑って?」
「うむ、そうだ!みんな君の笑顔が大好きなんだ!」
「最後に見るのは、つばさちゃんの笑った顔がいいわ!」
胡蝶さん、煉獄さん、甘露寺さんが言葉を投げかける。
「お前が歌ってくれたゴンドラの唄、忘れないぜ」
びっくりするほど優しい眼差しの宇随さん。
「…お前と出会えてよかった。美味しい食事をありがとう」
冨岡さんが微笑む。
「……冨岡に先に言われたが、お前に出会えてよかった。…あの時、助けてくれて本当にありがとう。……幸せに生きてくれ」
「君の優しさに、ここにいる誰もが救われていた。ありがとう。私たちのことは案ずるな。必ず鬼を倒すから、安心して帰りなさい」
伊黒さんと悲鳴嶼さん。
相変わらず、つばさは唇を噛み締めて涙を流している。
そんな彼女は今この瞬間も、様々な服装に姿を変えながら、身体の透明度が増していっている。
僕もつばさに言葉を掛けてあげたい。でも口を開くと泣いてしまいそうで。
泣かないって決めたんだ。つばさを見送る時は絶対に泣かないって。笑ってお別れするんだって。
でも。でも……!
こんなに早くお別れする日が来るなんて思わなかった。何も心の準備ができていない。何の根拠もないけれど、もう少しだけ一緒にいられると思ってたのに。
視界がぼやける。
涙が勢いよく瞼の淵に溜まる。
泣くな。泣くな。泣くな!!
「夏目様。今日まで鬼殺隊の為にお力添えをいただき、心より感謝いたします。本当にありがとうございました」
「「ありがとうございました」」
あまね様と、ご子息とご息女が深々と頭を下げる。
「椿彩。…君の弓の才能に加え、剣術を…身に着けようと努力を重ねる姿を、……ここにいる誰もがきっと忘れない。…君の優しさも…勇気も……。君の存在が…私たち鬼殺隊の未来、を…明るく照らしてくれた、んだよ……」
お館様が優しい声で語りかける。
「どうか幸せ、に…なっておくれ……。鬼のいない…君の生きるべき、平和な世界で……」
顔を覆って泣くつばさ。
それを胡蝶さんが抱き締める。
「椿彩。大好きよ。……お願い、笑って。ね?」
そういう胡蝶さんの声も少し震えている。
ジジジ…ジジ……
椿彩の身体が透けていく。
もう彼女の身体の向こう側が見えるくらいにまで。
「つばさちゃん!笑って!」
「椿彩。頼む、笑ってくれ」
「君の笑顔が見たい!」
甘露寺さんは目を潤ませながら、不死川さんと煉獄さんが微笑みを浮かべてつばさに声をかける。
胡蝶さんがそっとつばさを放し、頬に零れた涙を指で拭ってあげている。
「時透。お前も何か言ってやれ」
冨岡さんに軽く背中を叩かれた。
そりゃ僕だって言いたいよ。つばさに掛けてあげたい言葉、山ほどあるよ。でも、そしたらきっと泣いてしまう。
「泣いたっていい。お前自身が後悔しないように、ちゃんとお別れするんだ」
僕の心を読んだかのように伊黒さんが話し掛けてくる。
僕が…後悔しないように……。
つばさが服の袖で涙を拭っている。
そして顔を上げる。
目が合った。
言わなくちゃ。
僕だけ何も言えてない。
僕は必死で涙を堪えて笑顔を作り、やっとの思いで口を開いた。
「…っ……つばさ!」
星を散りばめたように輝く、明るい茶色の瞳が僕を捉える。
「元気でね……!」
僕の言葉に、つばさはほんの一瞬目を見開いて、そしてにっこり微笑んだ。
『皆さん、今まで本当にありがとうございました。大好きです…!』
涙を流しながらだけれど、笑顔を浮かべた彼女はとても、とても綺麗だった。
その数秒後、つばさは完全に姿を消してしまった。
カシャン……
パサッ………
乾いた寂しい音と共に、つばさの日輪刀と背中に着けていた弓矢、彼女が身に纏っていた鬼殺隊の隊服が畳に落ちた。
雨はまだ降り続いている。
僕たちの心情を表しているかのような天気だ。
しばらく沈黙が流れ、お館様が口を開いた。
「…さあ、柱合会議を再開しよう……。みんな、寂しいが、椿彩の言葉を信じて…必ず無惨を倒そう…… 」
「「「「「「「「「御意」」」」」」」」」
その3日後、胡蝶さんに呼ばれて僕は蝶屋敷を訪れた。
「時透くん。椿彩とお別れして、気を落としていませんか?」
胡蝶さんが心配そうにたずねてくる。
「もちろんすごく寂しいですよ ……。でも大丈夫です。つばさはもうここにはいないけど、元の世界で元気に暮らしてくれるって信じてるから」
「そう。……よかったです。カナヲやアオイたちもあの日はずっと泣いていましたが、近付いてきている大きな戦いに備えて、昨日からは普段通り仕事をしています」
そっか。昨日、炭治郎と我妻と嘴平に会ったけど、つばさが元の世界に帰ったって聞いて泣いてたな。やっぱり寂しいよね。僕たち柱はつばさに直接お別れが言えたけど、そうじゃない人のほうがずっと多いし。
「あなたを呼んだのは、これを渡そうと思って」
「?」
胡蝶さんが何かを僕に手渡す。
「…あっ……!」
じわりと涙が滲む。
それは、本に挟む栞だった。
僕がつばさに告白した日。摘んだコスモスをつばさの髪につけてあげた。あの時の赤いコスモスが鮮やかな色を保ったまま、押し花となって手作りの栞にくっつけられていた。
「あなたと出掛けた日、つばさはそれはそれは楽しそうにその日あった出来事を話して聞かせてくれました。このコスモスも丁寧に栞に加工して、読んでいた本に挟んでいましたよ」
「そうなんですね……」
胸が温かくなる。
「……胡蝶さん。…僕、つばさに告白したんです。結局、彼女は僕を弟みたいにしか見てなかったみたいですけどね。…でも後悔してません」
「そうですか……。時透くんは、椿彩とたくさん、思い出を作れましたか?」
「はい。数え切れないほどの思い出ができました。全部、僕の宝物です」
「そう。よかった」
優しく微笑む胡蝶さん。
「その栞はあなたが持っていてください」
「いいんですか?」
「ええ。その栞に加工されたコスモスの花も、椿彩への愛情を込めて贈ったあなたに持っていてもらうほうが嬉しいでしょうから」
そうなのかな。そうだといいな。
僕は滲んだ涙を隊服の袖で拭って、赤いコスモスの押し花の栞をそっと抱き締めた。
つばさ、ありがとう。僕に人を好きになる喜びを教えてくれて。大事な人と一緒にいられる幸せを思い出させてくれて。
心の底からつばさのことが大好きだよ。
きっと僕たちが鬼を倒すから。
元の世界で幸せになって。
それが僕たちの願いだよ。
そしてもし、100年後の、君のいる世界に生まれ変われたら。
また君に会いたい。
その時はもう一度、君に大好きって伝えるんだ。
つづく