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ヒルの瞳は、陽気な彼らしくなく真剣で少しも揺らぎがない。正直な彼は瞳に嘘がない。
キスの直後だというのに、ヒルの心も瞳も視線も真っ直ぐで全く乱れない。ランナの鼓動と瞳だけが激しく揺れ動く。
「……よく聞け。アサとヨルに惑わされるな。何があっても絶対にオレだけを愛せ」
「どういう……こと?」
ヒルの口から告げられたのは愛の言葉ではなく忠告だった。しかし部屋の扉をノックする音で会話は中断された。
返事も待たずに扉を開けたのは、先ほど客間にもいた中年の執事だった。
それを見たヒルは起き上がると、サラサラとした金色の前髪を片手で搔き上げる。
脱ぎ捨てたアサの白い上着は拾わずに、ソファの上に置かれていた黒い上着を手に取って着る。
「オレは仕事があるから。またな、愛しのハニー!」
ヒルはベッドの方を振り返って笑顔で手を振ると、ランナを残して部屋を出ていく。
昼の時間帯に活動するヒルは国王としての仕事をする時間が最も長い。仕事が終わる夕方にはヨルの人格になるのだから不公平で不満になるのも納得する。
ベッドに仰向けに倒れたままのランナがようやく起き上がると、目の前には執事の姿があった。
「初めまして、ランナ様。私は執事長を務めております、デイズと申します」
「あ、初めまして、ランナと申します」
ランナは急いでベッドの上で正座をしてお辞儀をする。つられて挨拶を返してしまったが、デイズは先ほどの客間でも見かけた。
年齢は50代くらいだろうか。しっかりとセットした黒髪に黒いスーツ。金色だらけのヒルの城の中で黒は逆に際立つ。
よく見ると、デイズの奥に見えるリビングの入り口には食事の皿が乗ったキャスター付きのワゴンが置いてある。
「昼食をお持ちいたしました」
「わぁ、ありがとうございます! いい匂い!」
ランナはパッと明るい笑顔になって立ち上がる。そういえば、もう昼過ぎ。すっかり空腹なのを忘れていた。
デイズはリビングの金色のテーブルに皿を次々と並べていく。風もないのに肉料理の香辛料の香りが流れてランナを誘惑する。
そしてデイズは最後に穏やかな笑顔でランナに告げる。
「毒味はいたしましたので、ご安心ください」
「え……毒味……?」
着席して料理に飛びつこうとしたランナの手が止まる。王妃ともなると命を狙われるのか……いや、貴族の食事では当然なのかもしれないと考え直す。
改めてデイズの顔を見ると、相変わらずの微笑なのに感情は全く見えない。心も態度も分かりやすいヒルとは正反対で話を聞き出しにくい。
「デイズさんは、ヒルくんの専属執事なのですか?」
「いいえ。中立です。今はお昼なのでヒル様のお城におります」
「時間ごとに三つのお城を行き来して、全員のお世話を?」
「はい。執事長の私は常にアサ様、ヒル様、ヨル様のお城を行き来しています」
つまりデイズは三人格の執事であり誰にも属さない。何色にも染まらない黒で全身を包んで無感情を貫くのは、誰にも媚びない立場の象徴だと思える。
しかし毒味とか中立とか、デイズの使う言葉は『争い』を連想させる。三人格の関係は、やはり不穏なものであると予想できる。
ヒルに話を聞けない今、ランナはデイズに色々と確認するしかない。今の自分が置かれている状況と、どれだけの自由が許されるのか。
「私は他のお城に自由に行けないのですか? ポーラ姉さんに会いたいです」
「ランナ様はお昼の王妃様です。ヒル様のお時間は他のお城へは行けません」
この言い方だと、ランナは昼だけ王妃。ヒル人格の活動中だけ王妃として務めるという意味に聞こえる。
逆を言えば、ランナは昼の時間帯以外なら自由に移動できるという意味にも受け取れる。アサの城のモニカにも、ヨルの城のポーラにも会いに行けそうだ。
だが、そんなランナの思惑を読み取ったのか、デイズは無表情かつ淡々とした口調で加える。
「移動する事はお勧めしません。特にランナ様は」
中立の立場を貫くデイズにしては、特別にランナを気にかけているような忠告で気になる。
デイズはそれ以上何も言わずに一礼すると静かに退室する。ランナは急に静かになった部屋で一人で黙々と昼食を食べるが、一人だと自然と気分が重くなる。
ふと左手の金色の指輪が視界に入る。せめて正面の席にヒルがいれば楽しい食事になったのにと、彼の太陽のような笑顔を思い出してしまう。
(やだ、私ったら、まさか呪いの効果!?)
ヒルにだって惑わされる訳にはいかない。自我を保とうとして軽く頭を振って再び正面に視線を戻すと、ヒル……ではなく漆黒の瞳と目が合った。
いつの間に部屋に入ってきたのか、黒髪のボブヘアの女性がテーブルの先の正面に立っていてランナを見つめている。
「きゃあっ!?」
驚いたランナは手からフォークを離して身を引いた。その瞬間に女性が素早く動いて、ランナが瞬きをした後にはすでに横に移動していた。
そしてテーブルに落ちる前にフォークを女性が片手でキャッチした。まるで瞬間移動、目にも留まらぬ速さだった。
女性は無表情でフォークをランナに差し出す。
「どうぞ」
「ありがとう……ございます……」
ランナはフォークを受け取りながらも、その女性を見て確認する。黒いワンピースに白いエプロン。絵に描いたような一般的なメイドの服装だ。
ランナと同世代くらいの若いメイドは、数歩下がると丁寧な所作でお辞儀をする。
「初めまして。私はメイドのカレンと申す者でございます。何なりとお申し付けくださいませ」
執事のデイズ以上に丁寧な口調、そして無感情の瞳。その言葉に抑揚はなく表情に笑顔もない。ある意味、彼女も人間らしくない。
絶対にカレンは、ただのメイドではなさそうだ。ランナはカレンの正体を探るためにデイズの時と同じ質問をする。
「初めまして。カレンさんはヒルくんの専属メイドですか?」
「いいえ。中立でございます。今はお昼なのでヒル様のお城におります」
デイズと全く同じ返答なので、これ以上聞く必要はなさそうだ。黒髪と黒の瞳という容姿の黒さもデイズと同じだが、カレンは完全に無表情なので怖さがある。
昼食が終わるとカレンに手伝ってもらって、質素な白のワンピースから金色のボタンや装飾で彩られた白いドレスに着替える。
ここはヒルの城の二階。慣れないドレスに戸惑いながらも窓際に椅子を置いて座ると外の景色を見つめる。
呆然と今後の事を思案していたら、窓の外の空が暗い色のトーンに落ちてきている。
(もう夕方……今日はもうヒルくんに会えない)
壁掛け時計を見ると午後5時過ぎ。すでにヒルはヨルの人格になって、隣のヨルの城で過ごしているのだろう。
しかしヨルの妃に選ばれたのはポーラだ。あの冷酷なヨルに呪いをかけられたポーラの様子が気になる。
ランナに個室は与えられず、その後もヒルの自室で過ごす。しかし昼人格のヒルとは一緒に夕食を食べる事も、夜に一緒に寝る事も不可能。
そう思うと、仮にも夫婦としては寂しい関係にも思えてくる。
ランナがヨルの城に行こうと決心したのは、夕食も入浴も済ませてからの夜10時過ぎになってからだった。
(まだ寝てないとは思うけど、ポーラ姉さん、どうしてるかな)
ランナは、そっと部屋の出入り口の扉を開けて廊下に出る。
昼間は眩しいと感じた金色の廊下だが、今は壁掛け式のランプの控えめな明かりで淡く幻想的に照り輝いている。
周囲に誰もいないのを確認するとランナは歩き出す。三つの城の位置関係はだいたい覚えている。アサの城とは逆方向に向かって廊下を突き進む。
やがてトンネルの中に入っていくような感覚で周囲の視界が暗くなる。照明が暗くなったのではなく、壁や床の色が金から黒に移り変わってきたのだ。
(やっぱり、他の城への連絡通路は各階にあるのね)
黒一色となった廊下は夜の闇と同化して不気味さを感じるが、同時にヨルの城に入ったと認識できる。見張り番もいないので、これなら自由に行き来できる。
もしポーラがランナと同じ扱いだとすればヨルと同室なはず。しかしランナはヨルの自室の場所を知らない。
(同じ階にヨル様の部屋があるなら、どこかに豪華な扉があるはず……)
ここは二階。連なる三つの城は各階が連絡通路で繋がっているので、おそらく構造は同じ。アサとヒルとヨルの自室は各城の同じ階にあると推測する。
黒く暗い廊下のドア側ばかりを気にして歩いていたが、ふと前方の窓側に立っている人の姿を見付けた。
まだ遠く暗いのでシルエットしか見えないが、おそらく男性。壁に寄りかかってランナの方を見ている。
(大丈夫だよね、怒られないよね……?)
勝手にヨルの城に来たので緊張するが、一応は王妃だし堂々としないと逆に不審に思われる。
ランナは背筋を伸ばして歩幅を変えずに真っ直ぐ進んでいく。その人物との距離が縮んできた時にランナは思わず足を止める。
廊下に立っていた……いや、待ち構えていた人物が誰かを認識した瞬間に伸びた背筋が硬直して息が止まる。
「よく来たな、ヒルの女」
それはヒルと全く同じ声質なのに、重く冷たい圧がランナの鼓膜を通して魂すら震わせる。
夜の闇に溶け込むように輪郭の不確かな漆黒の髪と赤い瞳は、まるで悪魔そのもの。
ランナを出迎えたのは、三つの人格を持つヴァクト陛下の夜の人格、ヨルであった。