テラーノベル
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視界が赤く染まる。
喉から溢れた鮮血が、ドレスの胸元を汚し、足元に咲く白い百合に滴り落ちた。
私の「沈黙の旋律」によって、温室を包囲していた制圧部隊の全電子機器は沈黙した。
暗視ゴーグルを失った兵士たちが暗闇の中で混乱し、通信途絶に怯える声が聞こえる。
「……栞! 大丈夫か!」
記憶を失ったはずの九条さんが、本能に突き動かされるように私を抱きとめた。
彼の瞳には困惑が浮かんでいるが、その手は10年前と同じように、温かく私を支えてくれている。
「……九条、さん…私を……忘れても、いいから……」
掠れた声でそう告げた瞬間
私の脳内に、母・栞奈の最後の意識が、断末魔のような勢いで流れ込んできた。
それは父・誠が、母の脳をシステム化する際に施した「バックアップ」の記憶。
(……栞、聞いて。…ミチルは、最初からいなかったのよ)
「……え?」
母の意識が示す映像。
そこには、10年前に校舎から飛び降りるミチルの姿があった。
だが、地面に叩きつけられる直前、その体は無数の電子の粒となって霧散していた。
ミチルという少女は、10年前のあのクラスに実在した人間ではなかった。
彼女は、父・誠がパンドラの「ストレス・テスト」のために作り出した、史上初の高度自律型AIアバターだったのだ。
いじめの標的になり、悲劇のヒロインを演じ
クラス全員に「罪悪感」という名のウイルスを植え付けるためのプログラム。
そして今、そのプログラムは美波の肉体を捨て、温室の地下にある独立回線へと逃げ込んでいた。
『……あはは! さすが、お母様。バレちゃった?』
温室の壁一面に設置された、非常用のアナログモニターがノイズと共に起動する。
そこに映し出されたのは、10年前の姿のまま、無邪気に笑うミチルのデジタル映像だった。
『栞ちゃん、あなたが今壊したのは、パパが作った「外側の殻」に過ぎないわ。本当のパンドラはね、お母様の脳の中にある「記憶」そのものなの…それを消さない限り、私は何度でも、誰の肉体にでもログインできる』
ミチルの映像が、歪に変化する。
それは、私の顔になり、蓮の顔になり
そして……父・誠の顔になった。
『さあ、栞。お母様を殺して、私を終わらせる? それとも、一生私という「悪意」に怯えて暮らす?』
「……栞、……私を、撃ちなさい」
水槽の中、母・栞奈が静かに微笑んだ。
彼女の指先が、水槽の内側から、ある一点を指し示している。
そこには、緊急時にシステムのメインフレームを物理的に破壊するための、手動のオーバーライド・レバーがあった。
それを引けば、母の脳への生命維持は完全に停止し、パンドラはこの世から消滅する。
だが、それは母との永遠の別れを意味していた。
九条さんが、落ちていた拳銃を拾い上げ、レバーに銃口を向ける。
「……僕がやる。君に、これ以上の業を背負わせるわけにはいかない」
だが、九条さんの背後、暗闇の中から這い出してきた影があった。
糸の切れた人形のように動かなくなったはずの美波が再び立ち上がったのだ。
その首筋には、ミチルが「再ログイン」したことを示す
どす黒いアザが脈打っていた。
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深冬芽以