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「───異能体『雲雀』を即時抹殺せよ。これは局長直々の特命である。抵抗する者は反逆者と見なし、生死を問わぬものとする」
帝都陰陽局の全域に
血の通わない機械的な号令が、呪術的に増幅された拡声機を通して響き渡った。
爆煙が渦巻き、崩落の危機に瀕した地下書庫の瓦礫の中で界人さんは微動だにせず立ち尽くしていた。
その足元には、漆黒の混じった禍々しい緋色の炎を吐き出し、力尽きて意識を失った私の姿。
彼の背後からは、抜刀の鋭い金属音が幾重にも重なり、死神のような足取りでかつての同僚たちが迫りくる。
「界人、どけ。……その姿に惑わされるな。それはもう、お前が夢見た無垢な少女ではない。帝都を灰にする呪法兵器、最凶の『あやかし』だ」
先頭に立つのは、陰陽局の最上層部を牛耳る執行官。
冷酷な法秩序を絶対とし、帝都の安寧のためには犠牲を厭わない男だった。
界人さんの指先が、愛刀の柄の上で、皮膚が裂けんばかりに白く震える。
陰陽師としての掟、国への忠誠、そして名門一族としての誇り。
彼をこれまで縛り付け、形作ってきたすべての「正しさ」が
今、目の前で静かに眠る一人の少女の、弱々しい吐息と天秤にかけられていた。
「…………黙れ」
地を這うような、低く、重い声。
界人さんはゆっくりと、けれど一切の迷いを断ち切った確かな意志を持って
私をその逞しい腕で横抱きに抱え上げた。
「俺が探し続けてきたのは、この少女だ。……お前たちの並べる大義など、知ったことか」
「貴様、正気か! 組織を裏切れば、もはやこの帝都にお前の居場所などないぞ!」
「……お前たちが彼女を『化け物』と呼ぶのなら」
界人さんは、紫苑の瞳に昏く燃えるような決意を宿し、一気に軍刀を抜き放った。
青白い霊力が刃を伝い、激しい火花を散らす。
「俺も地獄へ行くまでだ───」
次の瞬間、眩い閃光が走った。
界人さんの振るった一撃が、迫りくる陰陽師たちの放った呪符を紙屑のように切り裂き
包囲網に一筋の活路を穿つ。
彼は私を抱えたまま
瓦礫が降り注ぎ爆煙が立ち込める陰陽局の出口へと、弾かれたように駆け出した。
局の外へ躍り出ると、そこはいつの間にか激しい雨が降り始めていた。
帝都の空を覆う煤煙と、地下から溢れ出した憎悪を洗い流すかのような、冷たい春の雨。
界人さんは、泥に濡れる石畳を、軍靴の音を激しく響かせて疾走する。
背後からは、緊急事態を知らせる絶え間ない警笛と
放たれた式神たちの不気味な咆哮が、執拗に私たちの背中を追いかけてくる。
「はぁ…っ、はぁ、……っ」
界人さんの荒い吐息が、雨音に混じって私の耳元で聞こえる。
容赦なく打ちつける雨に打たれ、わずかに意識を取り戻した私は
霞む視界の中で、必死に前を見据える彼の横顔を見上げた。
雨水が彼の青い髪を伝い、頬を滑り落ちていく。
その一雫が、まるで彼の流している涙のように見えて、私の胸は締め付けられた。
「……かい、と、さん……。どうして……。私は…あやかし、なのに……」
「喋るな。息を整えていろ。……お前が何であれ、俺が二度と放す気は無い」
私を支える彼の腕の力が、壊れ物を守り抜くようにさらに強く、熱く高まる。
路地裏の角を曲がった先、数人の武装した陰陽師が立ちふさがった。
かつて共に過酷な任務をこなし、酒を酌み交わしたこともある、気心の知れた同僚たちだ。
「界人、目を覚ませ! そいつをこちらに渡せば、お前の命だけは……!」
「どけと言っている……。……死にたくない者は、道を開けろ……っ!」
界人さんはその制止を一切の迷いなく断ち切り、雨を切り裂いて踏み込んだ。
冷徹な剣筋がかつての仲間の武器を弾き、防壁を斬り伏せる。
鮮血が雨に混じり、鈍色の石畳を赤く染め上げた。
その背中に浴びせられるのは、「裏切り者」「狂犬」「死神」という激烈な罵声。
帝都を護る誇り高きエリート陰陽師であった彼は今
たった一人の女の体温を守るためだけに、自らが積み上げてきた名声も
地位も、未来も、そのすべてを雨の泥濘へと投げ捨てていた。
雨脚はさらに激しさを増し、街灯の灯りさえも白く煙っていく。
追っ手の気配を撒くように細い路地を抜け
傾斜の急な坂道を駆け上がり、ようやくたどり着いたのは──
帝都のはずれ、近代的な赤レンガの街並みと、古き良き和屋敷の境界線。
看板は雨風にさらされて傾き、窓からは人影も漏れる灯りもない。
けれど、私にとっては世界で唯一の、温かで静かな記憶の拠り所だった。
「ここは……『月下堂』…?」
すべての始まりであり、捨て子だった私を拾い、慈しんでくれたおじいちゃんのいる古書店。
界人さんは力尽きたように膝をつき、私を抱えたまま、雨に濡れた重い木の扉に寄りかかった。
追っ手の手を一時的に逃れたものの、二人の逃避行は始まったばかり。
世界を敵に回した代償は、あまりに重く、冷たく横たわっている。
激しい雨音にかき消されそうなほど小さな音で
店内の古い柱時計が、再び「ガチリ」と不吉な秒針を、一刻分だけ動かした。