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教室の空気は、日中とはまるで別物になっていた。生徒たちの喧騒はとっくに消え、廊下にも足音一つない。
最後に残ったのは、遥、日下部、そして蓮司だった。
蓮司はいつものように机に肘をつき、窓際の席にいる。まるでこの場所の主のような顔で。
「……おまえらさ」
ふいに口を開いた蓮司の声は、笑っているようで、どこかざらついていた。
遥は椅子に座ったまま、動かない。日下部だけが、少しだけ眉をひそめた。
「おれ、最近よく思うんだよな。クラスの空気って、おもしろいなって。ある日、誰かが少し黙っただけで、ぜんぶ崩れる」
蓮司の指が、机の上を軽く叩く。リズムも意味もない音。けれど、それが耳にこびりつく。
「遥、あのときさ、何も言わなかったよな。ていうか、笑ってた」
遥は俯いたまま動かない。何を指しているのか、本人にはわかっている。けれど、それを言葉にされたくなくて、口を閉ざす。
「日下部も、止めなかった。止める気なんて最初からなかったよな?」
声に棘はない。ただ、当たり前のことを確認するように、淡々と投げられる言葉。
「まあ、いいんだけど。おれ、別にあいつのこと、特別に思ってたわけじゃないし」
蓮司は立ち上がり、二人の間をゆっくりと歩く。教室の床がきしむ音だけが、遠くまで響いた。
「でも、外から見たらさ」
彼は日下部の背に手を添えるようにして、何気ない仕草で距離を詰める。
「加害者って、おまえらなんだよ」
遥の肩が、ほんのわずか震えた。
「だって、”やってた”側でしょ。おれが言えば、そうなる。証拠?そんなもん、いらないよ」
蓮司は笑った。やさしい笑顔だった。何も知らない教師が見れば、「あの子は心の広い子だ」とでも言いそうな笑顔。
「だって、もうみんな、そう思ってるもん」
遥の喉がきゅっと鳴る。けれど声にはならない。
「まあ、心配すんなって。おれが守ってやるよ。ほんとはおまえら、そんなことしたくなかったって。ちゃんと伝えてやる。うまくやってやるよ」
蓮司の掌が、遥の頭にそっと触れる。優しい兄のような仕草だった。
けれど、その手の下で、遥の心はどこかが崩れていた。息を吸うたびに、冷たいものが喉の奥からせり上がる。
蓮司は知っていた。遥が何もしていないことも、日下部がただ立っていただけだったことも。
けれど、それは関係ない。
「事実」ではなく、「語られる物語」が、真実になる。
それを最もよく知っているのが、蓮司だった。