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「小野ちんは学費も自分で払ってるらしい」とイチ子が言えば、ニコが「家賃もな」と続ける。
みみ美が「食費もだぞ」と付け足した。
つまり、稼がなければ学業を続けられない。
しかし学費と生活費を賄うためにアルバイトを掛け持ちすれば、学業にしわ寄せがくる。
そのジレンマに梗一郎が漏らした言葉を、彼女たちはひどく気にしているようだ。
「お、小野くんは何て……?」
「それがな……学校をやめるしかないって言ってな」
「やめるって……」
渋い顔を作る三人組を前に、蓮は言葉を詰まらせた。
もしかしたら泣きだしそうに目元を歪めていたのかもしれない。
モブ子らが焦ったように蓮を取り囲む。
「大丈夫だ。重い荷物ならアタシらが持ってやるからな」
「小野ちんがいなくてもアタシらは強く生きていこうな」
「だから蓮ちんも……誰だ、オマエはっ?」
三人組の輪が解けたのは、すぐそばに人影が過ぎったからだ。
「どうした、蓮」
オーダーメイドのスーツを着こなした助教授が、心配そうに蓮とモブ子らの間に割って入る。
「あっ、征樹にいちゃ……」
女子学生に取り囲まれ泣かされていると映ったに違いない。
征樹の理知的な眼は、かすかな攻撃性を孕んで彼女たちに注がれていた。
しかしモブ子らも負けてはいない。
征樹の背をぐいと押して再度、蓮のそばへとにじり寄った。
「蓮ちん、コイツは誰なんだ?」
コイツ呼ばわりされて目を白黒させる征樹を尻目に、蓮は彼から貰ったハンカチで鼻をかむ。
「誰って、俺の従兄だよ」
「イトコだって? 何だ、その禁断のワードは?」
「禁断ってどういうことだい?」
「小さいころから面倒をみてきたとか、そういうアレなのか? アタシらの知らない蓮ちんのアレコレを知ってるアレなのか?」
「アレって何なんだい、モブ子さんたち。何を言ってるんだい?」
「そういうとこだぞ? なぁ、蓮ちん、そういうところなんだぞ?」
「一体何の話をしてるんだい?」
「蓮、落ち着け」
柾樹が割って入る。
モブ子らが蓮にイチャモンをつけていると、柾樹が解釈するのも無理はない。
何せ彼女たちは圧が強い。
早口でまくしたてる様子は、まるでひ弱な三十路講師を追い詰めているかのようだ。
「禁断ってどういうことなんだい? 教えてくれよ、モブ子さん?」
「蓮、気にしなくていいから。落ち着けるところへ行こう」
「落ち着けるところって何だ? いやらしい従兄だな。このエロイトコめ!」
「えっ、何の話だい?」
「だから蓮、放って……」
ひたすら狼狽える蓮を挟んで、睨みあう征樹とモブ子。
やがて征樹の醸しだす理性的な雰囲気に押されたか、モブ子らは「うむぅ」と呻いた。
「ア、アタシらは小野ちんの味方だからな!」
「痛っ!」
オーダーメイドのスーツの膝のあたりを蹴り飛ばすと、三人組は脱兎のごとく駆けて行った。
「な、何なんだ、あの子たちは……?」
脛をさすりながらポカンと見送る征樹。
「モブ子さんたちだよ」
「モブコサンタチ? サラッと言ってるけどそれは名前なのか、蓮?」
「別に。モブ子さんはモブ子さんだよ」
「モブコサンハモブコサン? まぁいいけど……。それより台風が直撃しそうだけど大丈夫か?うちに来るか?」
うるさいよ、征樹兄ちゃん──そう言いたくなるのをぐっと堪えて、蓮は彼女たちの後姿を見送っていた。
「小野くんが学校、やめちゃう……?」
「なぁ、蓮? モブコサンってあの三人全体でモブコサンなのか? それとも、個人で……」
「………………」
「蓮、聞いてるのか?」
「………………」
何やら複雑なことを言い出した征樹は完全に無視された。
「学校に来たら普通に会えるものと思ってた。でも小野くんが学校をやめたら、多分もう二度と会えないよね……」
ネムノキが風に揺れて、立ち尽くす蓮に影を落とした。
「伝えたいことがあったのに……」
鳥獣腐戯画のイラストが入ったボールペンもリュックの中に入っている。
会えなければ、これを返すこともできない。
どうしても彼に伝えたいことがあったのに。
──発表の前、励ましてくれてありがとうって。君らしくない大きな声と、真剣な表情に驚いたよ。夢中にさせてくださいって言ってくれたおかげで勇気が出たんだ。ありがとうって。
視線を落とした地面には、萎れた青い花が地面に横たわっていた。
ネモフィラだ。
そういえばネモフィラを見ながら小野くんが言っていたなぁと、蓮は思い出す。
──あのときから、先生のことが好きだったのかもしれません。
何を言っているんだろう、この子はと思ったものだ。
「あのときって、いつなのかな。あんなカッコイイ子に会ってたら忘れないと思うんだけどなぁ」
先生が思い出してくれるまで教えません──なんて、意地悪なことを言われたっけ。
もしもこのまま会えなくなったら、その答えも分からずじまいなんだと、萎れた青が眼下でジワリとぼやける。
不意に蓮が目をしばたたかせたのは、花を覆うように青い光が瞬いた気がしたからだ。
鮮明な青色が、記憶の中で蘇る。