(ダフネも綺麗な黒髪だったわ)
そこでふと、叔母のエダから、ダフネと容姿を比較されては蔑まれていたことを思い出して思わず身を固くしてしまったリリアンナである。母・マーガレット譲りのゆるふわウェーブの赤毛は嫌いじゃないけれど、時折ストレートの黒髪に対する憧れのようなものが湧いてくるのも確かだった。
「お嬢様?」
リリアンナが黙り込んでしまったことを不審に思ったんだろう。ナディエルが心配そうにリリアンナの顔を見つめてきた。
「あ、ごめんなさい。ナディが、セレン様は美男子だなんていうものだから緊張しちゃったの」
「まぁ、お嬢様ったら」
リリアンナの言葉を、年頃の娘特有の恋に恋する心だと思ってくれたんだろう。ナディエルがクスクス笑う。
「それで言うとお嬢様もかなりの美人さんですから……案外セレン様の方がお嬢様のお噂を耳にして緊張なさっているかもしれませんよ」
「もう!」
ナディエルの軽口に、リリアンナの心にわだかまりかけていた暗い影が払拭される。
リリアンナは、ナディエルがいてくれて本当に良かったと心の底から安堵した。
部屋を出ると、廊下の向こうから家庭教師のクラリーチェが歩いてきた。
彼女もすでに外套を羽織り、出発の準備を整えている。
「もう支度はお済みになられましたか?」
「はい。荷物もまとめました」
「いい子ね。……外はまだ風が冷たいわ。――足元に気をつけて」
クラリーチェは王都エスパハレの出身だ。リリアンナが社交界へ向かうのに同行して、ついでに生家へ顔を出すことになっている。
あちらではリリアンナが滞在するウールウォード邸へ通って勉強や行儀作法のおさらいをしてくれるらしい。
クラリーチェと並んで階段を降りるリリアンナの後ろを、ナディエルが控え目についてくる。
階下には執事のセドリックをはじめ、侍女頭のブリジット、それから彼らに付き従う形でこの屋敷で働く者たちが勢ぞろいしてリリアンナの出立を見送ってくれた。
セドリックの采配で玄関扉が大きく開かれると、澄んだ朝の光とともに冷えた風が流れ込む。
エントランス前にはすでに馬車と護衛の兵が整列しており、ランディリックが馬上で指示を飛ばしていた。
黒い外套の裾が風に翻り、陽光を受けて銀糸の装飾が微かに輝く。
――その凛々しい姿に、リリアンナの胸が少しだけ熱くなった。
十二の年から約四年間、リリアンナは彼の隣で守られ、導かれてきた。
ランディリックの力で、王都エスパハレのウールウォード邸から助け出されたリリアンナは、今日――もう一度逆ルートを辿って生家へ戻る。
リリアンナの姿を見つけて、灰色のまだらの美しい牡馬が嬉し気に嘶いた。
リリアンナはその馬へタタッと駆け寄ると、
「ライオネル。あなたも行くの?」
彼の鼻面を優しく撫でながら問い掛ける。
その様子に気付いたランディリックが、馬の鼻先をリリアンナの方へ向けて近付いてきた。
その濃い紫水晶をはめ込んだような瞳が、リリアンナを柔らかい眼差しで見下ろす。
「ランディ」
馬を撫でながらリリアンナがランディリックを見上げた瞬間、ランディリックの瞳にわずかな驚きが浮かんだ。
早朝の澄んだ空気ときららかな陽光のせいだろうか? リリアンナがいつも以上に美しく見えて戸惑ったのだ。
ペールラベンダーのドレスの上に、少しピンク掛かった白いマントを重ねたその姿は、どこからどう見ても美しい〝若き令嬢〟だった。
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