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冷たい風が吹き抜ける屋上。
西日が傾き、長い影がコンクリートの床に伸びていた。
すちはフェンス際に腰を下ろし、膝の上にみことを抱え込むように座らせていた。
小さな肩を包み込む腕はしっかりと力強く、けれど表情はどこまでも柔らかい。
「大丈夫だよ、俺がいる」
――その微笑みはそう語っているようだった。
らんはそんな二人の横で腕を組み、鋭い視線を入口に向けていた。
そしてその瞬間、重い扉が軋みをあげて開く。
数人の男子がぞろぞろと姿を現した。
1人や2人ではない。5人以上はいるだろう。
怯えたような顔をしながらも、互いに視線を交わし合い、じわじわと屋上に入ってきた。
「……多くね?」
らんが低く呟く。
その声音は驚きと同時に、冷たい静けさを纏っていた。
彼は一歩も動かず、ただ静かに1人ひとりの顔を睨むように見つめていく。
その視線に晒されたクラスメイトたちは、居心地悪そうに体を縮め、しかしもう引き返せないとばかりに足を止める。
一方のみことはすちの腕に包まれたまま、虚ろな瞳で扉の方を見ていた。
表情に感情の色はなく、風に髪を揺らしていた。
すちはそんなみことの頬に手を添え、穏やかな声で囁いた。
「大丈夫。俺がちゃんと見てるから」
そう言って、あくまで優しい笑みを浮かべたままクラスメイトたちを見据えた。
すちの微笑みは柔らかい。
けれど、その目だけは一切笑っていなかった。
屋上に集まった数人のクラスメイトたちは、足をもじもじと動かしながら視線を逸らし、落ち着かない様子だった。
すちはみことを膝の上に抱き寄せたまま、優しく微笑んでいた。
その微笑みは柔らかく、まるで「仲のいいお兄ちゃん」のようなもの。
けれどその眼差しは深い闇を宿し、見透かすように1人ひとりを順番に見ていく。
「さて――誰が、うちの弟に何をしてくれたのかな?」
口調は穏やかで、声のトーンも柔らかい。
けれど言葉の意味は刃物のように鋭く、肌を切り裂くかのような威圧を帯びていた。
1人の男子が思わず息を呑み、足を引いた。
「お、俺は……机に……消しカスを……」
しどろもどろに告白する声。
すちはにこりと笑い、頷いた。
「うん、いい子だ。ちゃんと言えたね。次は?」
その言葉に、隣の男子が震える唇を噛みながら吐き出す。
「ぼ、僕は……シューズに画鋲を……」
らんは腕を組んだまま無言で一部始終を見つめ、ひとりずつ顔を記憶に刻み込むように目を細めていた。
すちは次々と視線を移し、そのたびに圧が強まっていく。
「君は?」
「……教科書隠した」
「君は?」
「……机に虫を……」
一人ずつ、耐えきれなくなった生徒たちが罪を白状していく。
最後に沈黙を保っていた大柄な男子に視線が止まった。
すちはにっこりと微笑んだまま、ほんの少し首を傾げた。
「君は?」
男子は黙り込んだ。
しかし、ポケットの中にカッターが入っているのが見える。
すちは笑顔を崩さず、ふっと吐息を漏らす。
「なるほど……君か」
その瞬間、大柄な男子は膝を崩し、床にへたり込んだ。
「ち、違う……違っ……!」
震える声が夕暮れの屋上に響き渡る。
だが、すちの笑みはますます深まり、冷たく光る瞳が彼を射抜いていた。
大柄な男子は、床に座り込んだまま肩を震わせていた。
すちは依然として穏やかな笑みを浮かべながら、柔らかく問いかける。
「どうして、そんなことをしたのかな?」
声は優しい。けれど、逃げ場を与えない問い。
男子は唇を噛み、やがて絞り出すように答えた。
「……声をかけても……全然、無視されて…… …何をしても……反応なくて…… それで……気を引こうと……ちょっとだけのつもりで……でも……次第に……止まらなくなって……」
屋上に重い沈黙が落ちた。
その言葉に、すちとらんは一瞬、同じ思いに至った。
――みことが、クラスで誰とも話していない。
らんが眉をひそめ、無意識にみことを横目で見やる。
膝の上で小さく身を縮めているみことは、視線を伏せたまま何も言わない。
すちは腕を緩めてみことを抱きしめ直すと、ゆっくりと目を細めた。
「なるほど。君たちにとっては『気を引くため』だったわけだ」
微笑は変わらないが、声の奥に氷のような冷たさが混じる。
「でもね。やったことは『気を引く』なんて可愛いものじゃない。ただの暴力だよ」
「遊びじゃ済まされねぇことしてんなよ」
らんは冷たく吐き捨てる。
生徒たちは一斉にうつむき、顔を歪める。
その中で、みことだけが小さく首を振った。
「……俺が……話しかけられても、どう返したらいいか分かんなくて……」
か細い声に、すちとらんの胸が締めつけられる。
すちはそっとみことの頬に手を添え、優しく撫でた。
「……そうだったんだね」
やがて、クラスメイトの一人がぽつりと呟いた。
「……今、喋った?」
「初めて声聞いた……」
「本当に、喋れるんだ……」
ざわざわと小さな声が広がっていく。驚きと戸惑い、そして少しの安堵が混じったざわめき。
らんは静かに腕を組み直し、クラス全体を睨み渡す。
「……お前ら、自分のした事が分かったのか」
クラスメイトたちは一斉に黙り込む。
その場にいる全員が、自分たちの勘違いと過ちを突きつけられたように。
「……ごめん、奏」
最初に声を出したのは、背の低い男子だった。彼は唇を噛みしめ、深く頭を下げる。
「俺も……ごめん。無視されてるって思って……でも違ったんだよね……」
ひとり、またひとりと、「ごめん」「悪かった」と声が上がっていく。
みことはすちの腕にしがみついたまま、俯いて小さく震えていた。謝罪の言葉にどう返せばいいのか、分からない。
そのとき――
ガラッ!
屋上の扉が勢いよく開いた。
「お前ら、こんなところで何をしているッ!」
怒鳴り声と共に入ってきたのは、みことの腕を乱暴に掴んだあの教師だった。
顔は真っ赤に染まり、血管が浮き上がるほどの怒気を孕んでいる。
「授業をサボって! 集団で何を企んでいる! 特にお前だ、奏みこと!」
名を呼ばれた瞬間、みことの体がビクリと強く震えた。
すちは即座に抱き寄せ、庇うように前に出た。
「――触らないでください」
低く冷え切った声に、教師は一瞬だけ足を止める。
らんも立ち上がり、視線を鋭くした。
「……あんたがここに来たってことは、心当たりがあるんだろ?」
クラスメイトたちは怯え、誰も声を発せなかった。
だが空気は明らかに、教師にとって都合の悪いものへと傾いていく――。
「親を呼ぶぞッ! 教師に楯突くならただじゃ済まんからな!」
教師が声を荒げ、血走った目で生徒たちを威圧した。
その場の空気が一気に凍りつく。
しかし、らんは怯むどころか――ふっと鼻で笑った。
「……へぇ、そういう脅し方ね」
彼は制服のポケットからスマホを取り出し、画面をタップする。
「じゃあ、俺は教育委員会に連絡だなー。生徒の怪我を放置して逆ギレする先生がいます、って」
「なっ……!」
教師の顔色が一瞬にして変わる。
周囲のクラスメイトもざわめき立ち、誰かが小さく「確かに……」と呟いた。
それが連鎖して、あちこちから同意の声が上がっていく。
すちは教師を射抜くような視線で睨み、腕の中で怯えるみことを守るように抱き寄せた。
「これ以上弟に手を出すなら、本気で動きますよ」
静かな声だったが、その迫力は怒鳴り声以上だった。
教師は唇を噛みしめ、何も言えずに立ち尽くしていた――。
屋上の空気が一瞬にして張り詰める。
教師の目が狂気じみて光り、みことの方に手を伸ばした瞬間――
「やめろッ!」
すちは咄嗟にみことを抱き寄せ、盾のように自らの背中を差し出した。
その瞬間、教師の拳がすちの背中を思い切り叩く。
鈍い衝撃と痛みに、すちは膝を軽く折るが、腕の中のみことを絶対に離さない。
「うっ……!」
「すち!!」
痛みに顔を歪めつつも、驚かせないよう、みことの顔を胸に埋めさせた。
――そのとき、屋上の扉が開き、怒鳴り声が響き渡る。
「何事だッ!」
教頭と校長が駆け込んできたのだ。
息を荒げ、すぐに状況を把握する。
教師が手を上げている――その姿を目にし、二人の顔は怒りに真っ赤に染まる。
「手を上げるとは何事だ! 即刻屋上から下がれ!」
「誰に向かってそんなことを――えっ校長…!」
教師は慌てて腕を下ろそうとするが、らんがその隙をつき、拳を握りしめた。
「ふざけんな! すちに手出しやがって……!」
しかし、すちはらんの腕を軽く押さえ、低く諭す。
「…らん、大丈夫だから」
らんは怒りに震えつつも、すちの言葉で手を止める。
屋上には、すちがみことを抱き、教師に立ち向かう静かな迫力と、らんの緊張感が入り混じった異様な空気が漂った。
教頭と校長はそのまま教師を叱責し、みこととすちの無事を確認しながら、状況を収めていった。
校長室では、らんが冷静な口調で屋上での出来事と、みことがこれまで受けてきた事の経緯を説明していた。
教師の行為や、クラスメイトの悪戯の詳細、みことの孤立についてもすべて正直に語る。
校長と教頭は真剣な表情でメモを取り、時折厳しい声で教師を叱責していた。
一方、保健室では、すちとみことが静かに待機していた。
すちの背中は真っ赤に腫れ上がり、痛々しいほどに打撲の跡が広がっていた。
みことは小さく縮こまり、か細い声で「…ごめんなさい…」と呟く。
すちは背中を撫でながら優しく微笑み、手を差し出した。
「大丈夫だよ。おいで」
みことは小さく首を傾げ、ゆっくりとすちに近づく。
そして恐る恐るすちの指を掴む。
「怪我はない?」
すちがそっと尋ねると、みことは小さく頷き、同時に涙が頬を伝った。
すちはその頷きと涙をそっと抱き止めるように、手を握り返した。
「泣かなくていいんだ。もう大丈夫」
みことは、すちの腕の中で小さく震えながらも、ようやく少しだけ安心した表情を見せる。 すちの温かさに包まれ、静かに癒されていくようだった。