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*.꒰ঌ𝕐𝕦𝕚𝕜𝕒໒꒱.*
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ネクタイもまあまあうまく結べるようになった夏の頃には、仕事にも慣れて薬を届ける動物病院の先生たちにも名前を覚えてもらえるようになっていた。
中でも「ひまわり動物病院」は、ちょっと特別だった。ひまわり動物病院の医院長は萌々子先生といった。
「笑っちゃうでしょう。病院の名前はひまわりで、私は萌々子(ももこ)なんて」
萌々子先生はいつも明るい。
先月薬を届けに行ったときに、ひどい雷雨に見舞われてしまい、ちょうど患者さんがいないからとしばらく病院で雨宿りをさせてもらうことになった。萌々子先生に麦茶を一杯頂いて、飲む間に時々この病院の前に停まっているキッチンカーのことを話してくれた。
「あれは主人の仕事なの」
また萌々子先生は笑いながら言う。
「主人は獣医でもないし、病院のことには一切関わらない人なの。主人の実家が昔からの大判焼き屋を営んでいてね。でも最近ではお店でお客さんを待っているだけじゃ経営が苦しくてね。思いきってキッチンカーを手に入れて販売に回っているの。獣医の女と大判焼き屋の男なんて、変な組み合わせでしょう。でも出会っちゃったから仕方がないわよね」
萌々子先生の笑う声を聞いていると、なぜかほっとしてしまう壮太がいた。
もう忘れたつもりでいても、過去のいい想い出にしたつもりでいても、ふとした瞬間にまだ藍のことを思い出してしまう。
ダサいよな…。
イタイよな…。俺。
この日も病院の駐車場には、キッチンカーが停まっていた。
病院の扉を開けたとき、向かいの受付カウンターの中で動いている赤い野球帽が目に入った。
「お世話になります。田島製薬の七瀬です」
「いらっしゃい」
受付のカウンターの中で、男の人が立ち上がり大きな声で言った。彼が萌々子先生の旦那さんで、会うのはこれで二度目だ。いつ会っても明るくて子供みたいに元気がいい人でそんな旦那さんにちょっと困った顔をしながらも、萌々子先生はいつも笑っている。そんな二人の姿に、いつしかここに来ることが壮太も楽しみになっていた。
「ちょっとお父さん! ここお店じゃないんだからね、いらっしゃいはやめてよって言ってるでしょう」
奥の診察室から萌々子先生が出てきたのかと思った。声がよく似ていた。
「ごめん、ごめん。ついだよ。つい癖が出ちゃってさ。七瀬くん。大判焼き持っていきなよ。今取って来るから」
赤い野球帽のつばを後ろにしてかぶり、奥へと駆けて行く父親をちょっと困った顔で見ているその横顔も萌々子先生に似ている。
けれど萌々子先生の髪は肩までで、一つに結ぶことはない。いつも白衣を着ている萌々子先生だが、彼女はグレーのカーディガンを羽織っていた。栗色のウェーブした髪を後ろで一つに緩く結って、その髪をふわりと揺らしながら彼女は壮太の方を向いた。
そして微笑んだ。
「すみません。母は、いえ、医院長は今診察中なので私が承ります」
「あの、田島製薬の七瀬といいます」
「いつもお世話になっています」
彼女は丁寧に頭を下げた。左の胸元に留められていた名札を見たとき、壮太の膝が震えた。
木梨藍。
カウンターを挟んで二人は向き合っていた。カウンターに置かれたこの日の納品される薬を確認するややうつむいた顔。納品書に受け取りのサインをする指先、流れるペンの先。顔をあげたとき、向かいにいる壮太に彼女微笑んで言った。
「確かに受け取りました」
あの頃と違うのは、化粧をして口紅で艶やかになった唇が一層彼女を魅力的にする。
「あの何か?」
サインをした納品書の一部目を、壮太の方へ差し出すと彼女は小首を傾げた。
「新しい獣医の先生ですか?」
そんなこと考えてもいなかったのに、壮太の口が勝手に動く。彼女はくすくすと笑い小さく首を振った。
「いいえ、私は動物看護師です。 本当は獣医になってここを継ぐべきなんでしょうけど。母のようにはいかなくて」
「木梨藍さん?」
「えっ」小さく言い、思い出したようにちらっと名札に視線を落して彼女は言った。
「はい。木梨藍といいます。今後ともよろしくお願いします」
藍は小さく頭を下げて、大人らしく挨拶する。
「やっぱり…。藍だよね?」
壮太は思わず言ってしまった。
また「えっ」と言い、今度は藍の瞳が大きくなった。
「俺、湊川(みなとがわ)高校で一緒だった七瀬壮太だよ。覚えてない? 壮太だよ、壮太」
息が詰まるくらい壮太の心臓は、バクバク鳴っていた。思わず早口になる。
初めて藍の指先が触れたときほどじゃない。もう大人なんだと自分に言いたいところだが、あのときの同じくらい壮太の心臓は高鳴っていた。
再会できた。
その喜びは壮太の方だけだった。藍の眉間に次第に皺が寄っていく。
忘れてしまった?
そんなわけないだろう?
「すみません。あの、私よくわからないんです。高校生の頃のこと、よく覚えていない。というか思い出せないんです」
「どういうことですか? 何があった?」
そのとき受付に置かれていた電話が鳴って、藍が受話器をあげた。眉間に皺を寄せたまま数回うなずき受話器を置くと、壮太を見て言った。
「すみませんが、急患の子が来ますので、今日はもう…」
帰ってくれと言っているのだ。
「わかりました。失礼します」
聞きたいことはたくさんあった。けれど大人らしく頭をさげて病院を出た。カウンターに携帯番号を走り書きした名刺を残した。
コメント
1件
ああ、続きが気になる終わり方ですね……。再会した藍さんが壮太を覚えていないって、しかも「高校の頃のことは思い出せない」って何かあったんですかね。萌々子先生とキッチンカーの旦那さんのやり取りが微笑ましかっただけに、切なさが際立ちました。高校時代、指先触れたくらいの淡い恋が蘇る感じがいい。名刺残したところで次が気になる!