テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
東堂家に移ってはそれが加速した。
私は家事など一切することなく、医療知識を教え込まれ。手術のイロハまで教えられた。開いた時間は医療の論文を読み、英語、ドイツ語を学んだ。臨床試験の改善策まで試験として出された。
その合間にも私の血を実験目的に使用すると言われ、血を大人しく差し出した。
その他にも与えられたことをやった。
それらが多くの人の平癒へと、繋がると思っていたからだ。
でも、ここは蒼波家。東堂家ではない。
ここでは医療の知識を求められていない。
求められたのは家事。久しぶりの家事は、それは散々なものだったのだ。
クリス様のちっとも笑ってない瞳を見つめ返す。
「お、お魚を捌くことや縫うのは得意ですっ。精進致しますっ」
申し訳ございませんと、ばっと頭を下げる。
「それだけじゃ足りない。チヒロが帰ってくるまでには君にはマナーや淑女の嗜みを叩き込む。三日後、淑女になってチヒロを迎えること。分かったかな?」
「──はい」
「ふむ。さっきからマナはなんだか、不満そうだね? 稀人だから、自分は特別な人間だから、貞淑な妻は不服とか思っているのかい?」
荒波まで砕きそうな鋭い言葉にびくっと身を震わせる。
クリス様は私が稀人だと知っている。それは蒼波様から聞いていたので何も問題ない。
「い、いえ。違います。その……」
喉に小骨が刺さったように言葉が詰まった。
私は蒼波様から『医学の知識は真那の好きなように使えばいい』と言われている。
ならば、どうにかその知識を役に立てないかと思うが机の上に置かれた黒い物体二つを目の当たりにして、そんな大それたことは言えなかった。
しかし、クリス様はそれすらも見透かしたようにまた深いため息を吐いた。吐息で肩を落として、金髪が儚く揺れる姿は優美だった。
「大方、チヒロの窮地を助けたことや、東堂家で身に付けた医療知識を披露したくて、ウズウズしているんじゃないか?」
その含みは私の本意とは違うが、ここは素直に受け止めることにする。
「は、はい。その通りです」
「そんな知識は邪魔だね」
「邪魔……」
思ってもみないことを言われて、ドクンと胸が不穏な音を奏でる。
「君は軍にも病院にも属してない素人だ。組織の規律も人間関係も知らない、あるのはチヒロの後ろ盾だけ。そんな人物が我が物顔で、組織に組み込まれたら邪魔だ」
「そ、それは」
痛いところを突かれた。
「それにチヒロだって、最低限の身を守る医療の知識はある。君はせいぜい家の中で大人しくしていろ」
「──はい」
私を見つめる、クリス様の夕陽色の瞳に、ありありと『私に何も期待していない』という感情が滲んでいる。
「それにだ。マナは東堂家を捨てるように出て来たのだろう? プライドだけは倫敦塔の高さの東堂凪に、変な動きはないからといって、気を緩めるべきではない。稀人のマナが無闇にはしゃいで、外を彷徨かれたら僕の仕事の邪魔にもなる」
もう、ぐうの音も出なかった。
海底に沈んで何も言わぬ貝になった方が、ここではお邪魔にならないのではと思ってしまうが、そうじゃないと首を横に振る。
「──至らぬばかりですみません。蒼波様が帰って来るまでには、一通りの家事はこなしてみせます。マナーも覚えてみせます!」
「ふぅん?」
クリス様から吐かれる吐息は、暖かな日差しまで凍りつくような雰囲気があったが、負けないようにお腹に力を入れる。
「まずはもう一度パンを焼いて参ります! 焦げたパンは私のご飯にします。シャツも繕えるところは出来ないか、女中の皆様にご教授頂きます!」
ばばっと机の焦げたパンとシャツを素早く持って、クリス様に礼をしてから部屋を飛び出した。
まずは出来ることをやってみよう。
そうしたら私の知識はひょっとして、どこかで役立つ場所が見つかるかもしれない。
「うんっ、そうよ。頑張るしかないわっ」
しょげている暇はない。三日間なんてあっという間だ。やることがないより、やることの多い方がいい。
そうして私は三日間でなんとか家事が出来るようにと、廊下を急ぎ足で駈けるのだった。
#ヤクザ
夏目萌*優しい彼~コミカライズ
3,301
#異世界転移
新城かいり
976
猫とろ
382
桃下結衣
201
コメント
1件
よかったです……第19話、一気に空気が変わって緊張感がすごかったです。真那が必死に「出来ることからやる」って自分を奮い立たせるシーン、じんときました。クリス様の「期待してない」っていう冷たい目が痛くて……でもそこでめげずに立ち上がるのが、本当に真那らしいなって思いました。次、どうなるんだろう。蒼波様が帰ってくるのが楽しみであり怖くもある……続きが気になります🌙