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「よし……。やるわよ、エマ。今日こそは、今日こそは絶対に『ステップ1』の実行よ!」
アイラとの作戦会議から一夜明け
私は騎士団の詰め所へと続く石造りの回廊で、一人小さく拳を握りしめた。
アイラに叩き込まれた作戦は至ってシンプル。
いつも当たり前のように、空気のように自然に触れてくるアルくんに対して、あえて一歩引く
「距離感のバグ」を引き起こすこと。
これまでは、彼の差し出す手に吸い寄せられるように甘えてきたけれど、今日からは違う。
聖女としての仕事を終え、心地よい疲れが全身を包み込み始めた頃
私の耳に規則正しい、凛としたブーツの音が響いてきた。
「お疲れ様、エマちゃん。今日もこの国の結界の維持、本当によく頑張ったね」
振り返ると、そこには茜色の夕陽を背負ったアルくんが立っていた。
逆光に照らされた彼のさらりとした黒髪が、風に揺れてキラキラと輝いている。
いつものように、私の体調を心から気遣うような
砂糖菓子のように甘く柔らかい微笑みが私だけに向けられた。
「あ……、アルくん。お疲れ様」
「顔色が少し悪いかな。魔力酔いが本格的に来る前に、少し休もうか。ほら、おいで」
そう言って、アルくんがごく自然な動作で、私の震える肩を抱き寄せようと
その白く長い指先を伸ばしてきた。
いつもなら、その指先が触れる前に自分から擦り寄って
彼の広い胸の中に飛び込んでしまうところだけれど。
(……今よ!エマ、ステップ1、実行よ!)
私は心臓をバクバクと、耳の奥まで響くほどに打ち鳴らしながら
伸ばされた彼の手をひらりと避けるように、一歩、斜め後ろへと大きく下がった。
「え……?」
アルくんの手が、何もない空中で寂しげに止まる。
一分の隙もないはずの彼の綺麗な眉が
ほんの少しだけ、信じられないものを見たかのように困惑して動いた。
「エマちゃん……?」
「ご、ごめんね、アルくん。ちょっと、今日はまだそんなに寒くないっていうか……。うん、自分一人でちゃんと歩けるから、大丈夫よ!」
精一杯の「自立した女性」を装って、私は泳ぎそうになる視線を強引に逸らした。
よし、成功。
手応えあり。
これで彼は「あれ? いつもと違う」と焦り、独占欲の片鱗を見せてくれるはず───
そう期待して、心の底でガッツポーズをした次の瞬間。
ぐい、と。
決して乱暴ではないけれど、逃げることを許さないような絶対的な強さで、腕を引かれた。
「っ……あ」
背中に冷たい石壁の感触。
気がつくと、私は回廊の壁と、アルくんの両腕の間に閉じ込められていた。
いわゆる「壁ドン」というやつにパニックになる私に、アルくんがさらに距離を詰め
逃げ道を塞ぐように私の頬にそっと、熱を帯びた手を添えてくる。
至近距離で見つめてくる彼の瞳は、いつもの余裕たっぷりな微笑みが完全に消え去り
雨の中に捨てられた子犬のように、潤んで揺れていた。
「……エマちゃん。もしかして、僕に触られるの…嫌になっちゃった?」
耳元で、今にも消え入りそうなほど切なく、震える声が響く。
いつもこの国で一番完璧な騎士様であるはずの彼が
まるで世界が終わるかのような絶望を湛えた顔で
私の反応を恐れるようにじっと見つめてくる。
「そ、そんな、嫌だなんて!そんなこと、一ミリも、これっぽっちも思ってたないよ……っ!」
秒で負けた、惨敗もいいところよ。
こんな、守ってあげたくなるような顔をされたら
ハニートラップなんてどこか遠くの国へ飛んでいってしまう。
結局、彼の手の優しい熱に絆されて
私は「ううん、やっぱりちょっと…ううん、すごく寒いかも……」なんて自分から折れて
彼の腕の中に自分から潜り込んでしまったのだった。
◆◇◆◇
「……で? 結局、相手のペースに飲まれて自分から抱きつきにいったわけ?この大バカエマ!」
翌日、再び緊急招集されたアイラの私室。
一部始終を包み隠さず報告した私を待っていたのは
本日二度目となるアイラの深く、深すぎるため息だった。
「だって、アイラ! アルくん、本当に、今にも消えてしまいそうな泣きそうな顔をしたのよ!?」
「『僕に触られるの嫌?』なんて捨てられた仔犬みたいな声で言われたら、全力で否定するしかないじゃない!」
「それはね、エマ。あんたの性格を熟知した上での確信犯的に使っている『母性本能くすぐり作戦』よ! あんたが押しに弱いって分かってるのよ、あの腹黒鉄壁騎士は!」
「は、腹黒とか言わないでよ!アルくんはそんな人じゃないんだから!」
アイラは愛用の扇子をバンッ! と机に叩きつけると、ガバッと立ち上がった。
その目は本気だ。
「いいわ、ステップ1が失敗したなら、もう生温いことは言ってられない。次は『ステップ2』よ!」
「ステップ2……他の男の人からのプレゼントを見せつける、だっけ?」
「そう! 明日は王宮の園遊会。あえてアルヴィン卿以外が贈った『リボン』を、一番目立つところに結びなさい」
「……いい、エマ? 今度は絶対に逃げちゃダメよ。彼がどんなに子犬のような目をしても、どれだけ甘い声を出しも、そのリボンだけは絶対に外さないこと。分かったわね?」
アイラの背後に、巨大な炎がメラメラと燃え上がる幻覚が見えた気がした。
次は、アルくんの隣で、あえて他の男の印を身につける。
想像しただけで胸がキュッと締め付けられて痛むけれど
あの余裕たっぷりの笑顔を独占欲で「ぐちゃぐちゃ」にするためだもの。
やるわ
今度こそ、彼を心の底から戸惑わせてみせるんだから!