テラーノベル
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その夜、二人は川辺を離れられなかった。
別れの言葉を口にするたび、本当に終わってしまいそうで怖かった。
緋八マナはライの肩へ額を押しつけたまま、小さく息を吐く。
「……ほんまに、逃げるしかないん?」
ライは答えなかった。
答えられなかった。
もし他に道があるなら、とっくに選んでいる。
けれど現実は残酷だった。
貴族と農民。
その差は、二人が思っていた以上に大きい。
「マナ」
静かな声。
「俺は、お前に生きていてほしい」
「……」
「だから逃げてくれ」
マナは唇を噛んだ。
一緒に行こうと言いたかった。
でもライの立場を捨てれば、追手はもっと激しくなる。
きっと逃げ切れない。
「……嫌やなぁ」
涙混じりに笑う。
「好きな人と離れるために生きろって、一番しんどいやん」
ライの腕が強くなる。
その言葉がどれほど苦しいか、彼も同じように感じているのだと分かった。
やがて東の空が白み始めた。
夜明けが来る。
終わりの時間が。
ライはゆっくりマナから離れる。
「もう戻らないと」
その声が震えていた。
マナは何も言えない。
言えば泣いてしまいそうだった。
するとライは懐から小さな布袋を取り出した。
「これを」
「……?」
開くと、中には銀の飾り紐が入っていた。
深い紫色の組紐。
小さいが、明らかに高価なものだ。
「俺の母上の形見だ」
マナが目を見開く。
「そんなん受け取れん!」
「受け取ってくれ」
ライは真っ直ぐ言った。
「お前に持っていてほしい」
震える手で、マナは組紐を握る。
そこには微かに香の匂いが残っていた。
まるでライそのものみたいに。
「……ずるい」
涙が零れる。
「こんなん、忘れられんくなるやん」
ライが泣きそうに笑った。
「忘れないでくれ」
その顔を見た瞬間、胸が壊れそうになる。
その時だった。
遠くから馬の音が響く。
ライの表情が変わる。
「……来た」
追手だ。
マナの背筋が冷える。
ライはすぐにマナの肩を掴んだ。
「山の裏道を行け」
「ライは!?」
「俺が引きつける」
「嫌や!!」
マナは咄嗟にライの袖を掴む。
離したくない。
ここで別れたら、本当に二度と会えない気がした。
「マナ!」
ライが珍しく声を荒げる。
「頼むから、生きろ!」
その言葉に、マナは息を呑む。
ライの瞳は必死だった。
怖いのだ。
自分が追われることより、マナが傷つくことのほうが。
「……っ」
涙で視界が滲む。
ライは震える指で、マナの頬を撫でた。
「愛してる」
初めて聞く言葉だった。
けれど意味なんて聞かなくても分かる。
胸が痛いほど熱くなる。
マナは泣きながら笑った。
「……俺も」
声が震える。
「ライが好きや」
その瞬間、ライが苦しそうに目を閉じた。
馬の音が近づく。
時間がない。
ライは最後にマナを抱きしめた。
短く。
けれど永遠みたいに強く。
そして。
「走れ!」
ライがマナを押し出す。
マナは涙を拭い、山道へ駆け出した。
後ろを振り返りたい。
名前を呼びたい。
でも足を止めたら終わる。
だから走った。
必死に。
その頃。
追手たちは川辺へ辿り着いていた。
「若君!」
ライは静かに振り返る。
もうマナの姿は見えない。
それを確認して、少しだけ安心した。
「……一人で何をなさっているのです」
従者の問いに、ライは淡く笑う。
「月を見ていた」
その横顔は不思議なくらい穏やかだった。
けれど。
袖の下で握り締めた拳だけが、小さく震えていた。
コメント
1件
しろまるさん、第10話読みました🥀 別れの場面、あまりにも切なくて胸がぎゅっとなりました……「忘れないでくれ」って形見の組紐を渡すライの優しさと、「俺も好きや」って初めて言葉にできたマナの強さが、同時に来て泣きそうになりました。 「月を見ていた」って笑うライの横顔、でも拳は震えてたっていう描写がもう…最後まで二人の気持ちを丁寧に描いてくれてありがとうございます。続き、気になります。