飯塚は自宅をカフェにするときの注意点などもちゃんと心得ていて、いろいろ写真やデザイン画などを見せてくれながら、説明してくれた。
「こんな感じで、保健所も消防署もオッケーだと思いますよ」
「ありがとうございます。
いや~、でも、ほんとにこんな風になるんですかね? あの家が。
しかも、それが自分のカフェだなんて信じられないです」
とのどかは今見たデザイン画に喜ぶ。
「そうですね。
寮スペースのプランも大体考えてはあるんですが」
と言いかけ、飯塚はチラと貴弘を見て、
「ほんとうに社員寮にするつもりですか?」
と訊いていた。
「……するつもりだが?」
と言う貴弘に、
「じゃあ、今のまま進めますね」
とちょっと笑って、飯塚は言った。
「じゃあ、次までにそっちの案は詰めときますよ。
大工さんも心当たりがあるので、一度、此処でお話してみましょうか。
来週の――」
と飯塚が言いかけたとき、二人はサッとスケジュール帳を出してきた。
「……なんかやる気満々ですね」
と言われたが、のどかは、単に、デートのシールを貼りたいだけだった。
社長の方は知らないが。
だが、打ち合わせが楽しいのも確かだ。
「あ、珈琲来ましたよ。
飲んでいってください」
と飯塚が言う。
さっき、デスクの上の資料を片付けたあとで、近くのカフェから珈琲を取ってくれたのだ。
茶系統の小洒落たエプロンをした若い女性が入ってくるのをのどかは眺めていた。
彼女が出て行っても、そちらをガラス越しに見ながら呟く。
「衣装も決めなきゃですよね」
「……ユニフォームだろ。
踊る気か」
と貴弘に言われる。
「家の改装や、ユニフォームもいいが。
肝心のメニューは決まったのか?」
そう貴弘が訊いてきた。
「あ、どんな感じになるんですか?
楽しみにしてるんですけど」
と飯塚も言う。
「そうですねー。
やっぱり、雑草をハッキリメインにしたいので。
雑草が目立つようなメニューがいいですかねー?」
と言って、
「いいですかねーって、やっぱりちゃんと考えてなかったな」
と貴弘に呆れられた。
そうですねー、とのどかは考え。
「ヨモギの雑炊とか」
「絶対入ると思ったぞ」
「ヨモギの天ぷらとか。
ツワブキの雑炊とか。
ツワブキの天ぷらとか」
のどかは、また少し考え、
「……タンポポの雑炊とか」
と呟いて、
「お前、メニューに雑炊と天ぷらしかないじゃないかっ」
と怒られる。
「いやいや、ちゃんとスープとかも考えてるんですよ~。
朝は、栄養があって、あったまるスープとかいいかなと思ったり。
料理の名前もいろいろ変化を加えてみようかとか、一応考えてはいるんですよ」
無策なわけではないと訴えるようにのどかは言った。
「わかりやすく、なおかつ、インパクトのある名前にしたいんです」
とのどかが言うと、飯塚が、
「それはいいですね。
あそこの店のなになにが食べたいとスッと浮かんでくる感じの名前、いいと思いますよ」
と微笑み、貴弘が、
「わけのわからん長い女子向けの名前やめろよ」
と言う。
「ああ、『春の妖精たちのお茶会』とか。
だから、なんのメニューなんだってやつですね。
可愛いんですけどね。
でも、男の方にも来ていただきたいですし。
社員寮の食堂も兼ねてますしね」
「どんな料理かリアルに想像できる名前だと、サッと頼みやすくて、急いでいるお昼時のサラリーマンなんかにも好まれるかもしれませんね」
と飯塚に言われ、
リアルにか、とのどかは考えた。
「『縁側のサンダルの横に生えてたツユクサのスープ』とか?」
「……リアルの方向性が違うと思うぞ」
と貴弘に言われてしまったが。
そのあと、二人で海の見えるカフェでランチを食べた。
気持ちのいい風が吹いていたので、テラス席だ。
こうして、猫耳神主も居なければ、呪いで人が降ってきたりもしない場所で、この人と向かい合っていると、変な感じだな、とのどかは思っていた。
だって、これではまるで、普通の恋人同士か夫婦ではないか。
「変な感じです」
思ったままをすぐ口にしてしまうのどかは、このときもすぐに言葉に出してしまっていた。
貴弘がこちらを見る。
青空と対岸の工場群と大きな白い船を背にした俳優のようなイケメンの髪が、今、目の前で風になびいている。
「……なんで、私、今、貴方と此処でこうしてるんでしょうね?」
相当トボけたことを言った自覚はあるのだが、貴弘は笑わなかった。
この明るすぎる五月の日差しのせいか。
薄暗い屋敷の中での怪しい出来事の数々がすべて夢まぼろしか、気のせいのように思えて。
いや、家に帰れば、確実に、暇を持て余した猫耳神主が居るんだが……。
「なんだか、あの日、夜のロビーで目を覚ましてから、今まで。
ずっと夢を見ていたような気がします」
で、今、この陽光の中で、苦手な取引先の社長だったはずの貴弘が目の前に座っていることに気づき、思うのだ。
「これ、夢なんですかね?」
「今か」
またか、と貴弘は言う。
「いや、ふいに日常に帰ると、呪いのあばら屋敷に住んでることより、貴方とこうしていることの方が不思議なことのように思えて」
と本音をもらすと、
「ようやく正気に返った感じか」
と貴弘は呟く。
「俺はもうちょっと早くに返ってた」
と言う彼に、
「えっ? じゃあ、早くに、やっぱり離婚しようと思ってました?」
とのどかは身を乗り出し、訊いてみた。
迷惑ばかりかけていた自覚はあるからだ。
だが、
「いや」
と青いボトルから水を注いでくれながら、貴弘は言う。
「俺は早くに正気に返ったうえで、お前と暮らしてみようと思ったんだ」
そう驚くようなことを言ったあとで、貴弘は、
「俺たちは今、吊り橋の上には居ないと思うが。
やっぱり、お前のことが気になる気がするから」
とよくわからないことを言う。
「……いいんですか? 私で」
「なんだかわからないが。
酔っていたとはいえ、俺がお前を選んだんだ。
いいんだろう」
いや、その理屈で言うなら、酔っていたとはいえ、私も貴方を選んだわけですから、いいんだって話ですよね?
「まあ……お前も正気に返ったところで、一からちゃんと付き合ってみよう。
そういえば、これ、デートなんだろ?」
改めて言われて、のどかは赤くなる。
「あ……、えーと。
そうでしたね」
と俯いた。
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