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ゆうは病院のベッドで目を覚ました。頭に包帯が巻かれ、体のあちこちが鈍く痛む。交通事故に遭ったと医者に告げられたが、ゆうにはその記憶がなかった。それどころか、自分の名前すら曖昧で、過去の人生が霧の向こうに隠れているようだった。 「ゆう、大丈夫?」
病室の隅で、男が微笑んでいた。やわらかな黒髪に、透明感のある瞳。どこか懐かしい雰囲気だったが、ゆうはその顔に見覚えがなかった。
「君は…?」
「るい。覚えててくれると嬉しいな。」
るいは軽い口調でそう言ったが、ゆうの心にはもやがかかったままだった。
退院後、ゆうは自分のアパートに戻った。見慣れないはずの部屋なのに、なぜか落ち着く。机の上には古い写真が一枚。ゆうと、るいに似た男が笑い合っている。ゆうは写真を手に取ると、胸の奥に小さな疼きを感じた。
「これ、君だよね…? 俺たち、どんな関係だったんだ?」
るいはゆうの隣に座り、優しく笑った。
「大事な人だよ。ゆうにとって、俺はそうだった。」
ゆうはるいのことを知ろうと、記憶の手がかりを探した。携帯にはるいとの写真が何枚も残っていた。海辺で笑う二人、夜の花火を見上げる二人、冬の公園で手をつなぐ二人。どの写真でも、るいの笑顔はゆうを幸せそうに見つめていた。
「るい…俺の恋人だったのか?」
ゆうは写真を見つめながら呟いた。心の奥で何かが動き出す。断片的な記憶、るいの笑い声、肩に触れる手の温もり、夜道を歩きながら交わした他愛もない会話。
だが、同時に奇妙な違和感もあった。るいはいつもゆうの前にだけ現れる。誰も、るいの存在に気づかない。アパートの隣人や、ゆうの友人たちに「るいを知ってるか」と尋ねても、皆が首を振る。
「ゆう、俺のこと、思い出して。」
るいの声は次第に切なさを帯びていた。
ある日、ゆうは事故の現場を訪れた。街外れの交差点、信号機が赤く光る場所。そこに立つと、頭痛とともに記憶の欠片が蘇った。
車が突っ込んできた瞬間。助手席にいた誰かが、ゆうをかばうように抱きしめた。
「るい…!?」
ゆうは叫んだ。頭の中で映像が繋がる。あの夜、ゆうとるいは車で帰宅中だった。対向車が制御を失い、猛スピードで突っ込んできた。るいはゆうを守るためにハンドルを切り、衝撃を受けた。
「るい、死んだ…?」
ゆうの声は震えた。るいは静かに頷いた。
「でも、ゆうが心配で、そばにいたかった。ゆうが一人で立ち直れるまで。」
記憶が戻るにつれ、ゆうの心はるいで溢れた。二人が出会った喫茶店、初めてキスした公園、将来を語り合った夜。るいの笑顔が、ゆうの生きる理由だった。
「なんで忘れてたんだ…。君のこと、こんなに愛してたのに。」
ゆうは泣きながらるいに抱きつこうとしたが、腕は空を切る。るいの姿は薄れ始めていた。
「ゆう、ありがとう。もう大丈夫だよね。君は生きて、幸せになって。」
「行かないでくれ! るい、俺には君が必要なんだ!」
るいは首を振った。
「ゆうは強いよ。俺、ずっと君を愛してる。」
るいの体は光の粒子となって消えていった。ゆうは地面に崩れ落ち、声を上げて泣いた。
数ヶ月後、ゆうは海辺に立っていた。るいと初めてデートした場所だ。手に持つのは、るいが好きだった白い花。
「るい、俺、ちゃんと生きていくよ。君の分まで。」
ゆうは花を海に投げ、微笑んだ。心の奥には、るいの笑顔が今も確かに生きていた。