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女子会でできあがった暗黙のルール通り、それ以降、戸田か久美子が高原の対応に出るようになった。私が彼からの電話を取ってしまうこともあったが、その場合は強引ではあったが一度保留にした上で、二人のどちらかに転送した。大木の私への態度は相変わらずだったが、同僚たちのおかげで、これまで高原が関わった時にあった分の嫌がらせだけは、明らかに減った。
高原が、自分を避けている私の行動に気づかないはずはない。何かの折にいつか彼からそのことを追求されるかもしれないと思いはしたが、この時の私は大木の嫌がらせを少しでも回避したいと強く思っていた。
それなのに、高原が戸田や久美子に対して笑顔を見せていると、なぜかいらいらした。その理由を自分なりに考えた時、それが実は嫉妬だということに気がつく。その笑顔を独り占めしたいと思うほどには、私はいつの間にか高原を好きになっていた。
そんなある夜のこと。自宅で夕食を食べ終えて寛いでいると、携帯に高原から着信があった。私が彼を避けている理由について聞きたがっているのだろうと察しがついた。
しかし、私は電話を無視した。その理由をうまく説明できる自信がなかったし、自覚したばかりの彼への気持ちの整理もまだついていなかったからだ。その後も時間を置いて何度か電話が入ったが、私は引き続き無視を決め込んだ。申し訳ない気持ちと放っておいてほしい気持ち、そして声を聞きたい気持ちがごちゃ混ぜになって、ひどく苛立った。
何回目かの着信の後、マナーモードに変えた。私が電話に出るつもりがないことが伝わったのだろう。その後一度だけあった着信を最後に、携帯の画面は光らなくなった。
もう諦めたはずだと思いながら携帯を手に取った途端、メッセージが入った。高原からだった。見たことが相手側に知られてしまうと迷ったが、結局私はメッセージを開いた。
『何かあったんじゃないのかと心配している』
責めるでもない、説明を求めるでもないその一文に、心が揺れた。胸がきゅっと苦しくなる。
話をしたい。顔を見たい――。
自分でも驚くほど自然にそんな気持ちが湧き起こった。
その翌日、仕事を終えてロビーに降りた私は、端の方に寄ってバッグから携帯を取り出した。昨夜もらった高原のメッセージを見返し、電話してみようかとふと思う。しかし、とすぐに思い直した。あれだけ無視し続けておいて、今さらかけ直すのはとても気まずいし、きっと彼は怒っているに違いない。そう思うと、電話する勇気は出ない。
今度、万が一高原から電話が来ることがあれば、その時に出ればいいじゃないかと消極的なことを考えながら、バッグの中に携帯を仕舞い直そうとした時だ。手の中で画面がぱっと明るくなり、着信音が鳴った。高原だった。
周りには誰もいなかったが、ロビー中に響き渡る着信音に慌てた。すぐに止めなければと思い、留守番電話に切り替えようとして、うっかり通話のマークを押してしまった。
やってしまった――。
心の準備が整う前に電話の向こうから声が聞こえた。
――早瀬さん?
間違えたふりをして、そのまま電話を切ってしまうこともできた。しかし、逃げ続けてばかりはいられないと覚悟を決める。携帯に耳を当て、ためらいながら挨拶の言葉を口にする。
「こんばんは……」
――やっと出たな。
電話の向こうで、高原がふっと笑ったのが分かった。その声音の中に私に対する怒りのようなものは感じられない。ほっとしつつ、久しぶりに直接耳にしたその声に胸がトクンと鳴り、苦しくなった。
「すみません。忙しかったので……」
――そういうことにしておくか。ところで、仕事は終わった?
色々な意味で強気に出にくかった私は、彼の問いに素直に答える。
「帰ろうとしていたところです」
――それならちょうどよかった。今、君の会社の駐車場にいるんだ。
「えっ?」
私は携帯を耳に当てたまま、急いでエントランスを出た。そんなに広い駐車場ではない。すぐに見覚えのある高原の車に気がつく。
「どうして、ここにいるんですか?」
高原は当然のように答える。
――待ってたに決まってるだろ。
「だから、どうして」
しかし高原はそれには答えない。
――これから時間があるなら、少し俺に付き合わないか。腹、減ってるだろ。
「いえ、結構です」
私は即答した。本当は嬉しかったが、ここのところずっと避けていた高原の誘いに、簡単に乗るのも気が引けた。
高原の声が優しく私の耳を打つ。
――君が素直じゃないことは、もう分かってるよ。ひとまずこっちに来た方がいいんじゃないか?『誰か』に見られでもしたら、色々と面倒なんだろ?
心の中を見透かされた気がした。途端にふっと全身から力が抜けて、今まで彼を避け続けていた自分が急にばかばかしく思えてきた。
「……分かりました。今行きます」
私は携帯を切り、高原の車の方へと足を向ける。彼が車の中から動かないのを少しだけ不思議に思いながら、ドアを開けて車に乗り込んだ。
「お疲れさま」
自然な笑顔を見せられて、私の胸は高鳴る。
「今日はどうしてドアを開けてくれなかったのか、って顔してるな」
「ち、違います。そんなこと思ってません」
心を読まれてしまったかと慌てる私に、彼は言った。
「君の会社の前だから、あまり目立つことはしない方がいいかと思ったんだ」
「そ、そうですか。それはどうも気を遣って頂いて……」
私はもごもごと口の中で言いながら、シートベルトをかける。ドアを開けてくれるという、高原の一連の行動に慣れてしまっていたらしい自分が図々しくも恥ずかしい。
彼は愉快そうに笑いながら、車を発進させた。
この前までは特に何も思わなかったはずの二人きりの車中は、ひどく緊張する。それを少しでも和らげたくて私は外の景色を眺めていたが、車が赤信号で止まった時、ようやく口を開いて高原に訊ねた。
「どこへ行くんですか?」
「契約してくれたお客さんの店に、礼を兼ねて行くつもりだったんだ。そこの飯ってうまいから、早瀬さんを連れて行きたいと思って待ってた」
私は目を見開き、彼の横顔を見た。
「また契約取れたんですか?おめでとうございます。すごく順調ですよね」
「ツイてるだけだよ」
「そんなことないと思います。きっと頑張っていらっしゃるからですよ」
「早瀬さんから、そんなふうに言ってもらえるとは思っていなかったな」
「私の仕事は、代理店さん方のお仕事をサポートすることですから。契約が取れたことを一緒に喜ぶのは当然です」
「それにしては、最近対応してくれなかったけどな」
「そ、それは……」
「まぁ、いい。その理由は後でしっかり聞かせてもらおうか」
高原はくすっと笑い、信号が青に変わったのを見てアクセルを踏む。ハンドルを切って大通りから脇道に入り、そこにある有料駐車場に車を止めた。
「行こうか」
彼は私に声をかけて先に降り、今度はわざわざ助手席側に回ってドアを開けてくれた。
ちょっとしたことで、こんなにドキドキしてしまうなんて――。
私は自分の変化に戸惑いながら礼を言う。
「あ、ありがとうございます」
車から降りた私は、辺りを見回してぼそっとつぶやく。
「近くだわ」
「何が?」
「い、いえ、独り言です。ところで、そのお店ってどこなんですか?私からもその方に何かひと言、お礼を言った方がいいでしょうか」
「まぁ、別に何も言わなくてもいいだろ。とりあえず、行こうか」
高原の言い方に含みのようなものを感じたが、聞き返すことはせずに、私は彼の後を着いて行った。