朝起きると、病室の窓からは眩しい陽光が降り注いでいた。空は青くて、晴れている。昨日の雨が、噓みたいだ。
だが、その天気とは裏腹に、樹の気持ちは曇っていた。体調が悪い日も多くなり、一日のほとんどをベッドの上で過ごす日もあった。
今日も、気分は優れない。出された朝食を口に運ぶが、いつものように、体が受けつけなかった。箸を置き、ベッドに身体を倒す。はあ~っと、大きく溜め息をついた。
すると、そばにあったスマホが、着信音を鳴らした。誰だろうと思って画面を見ると、メールが来ていた。北斗からだった。
『おはよう
今日、会いに行ってもいいか?
辛かったら、断っても全然大丈夫だからな』
よく頻繁に会いに来てくれるのは、北斗と大我、それに高地だ。みんな、忙しいにも関わらず、スケジュールの合間を縫って訪ねてくれる。
辛かったら、断ってもいい。その言葉に甘えそうになるが、樹は会いたかった。辛いけど、会いたい。話を聞いてもらいたかった。
『おはよ、北斗
来てくれるの?
ありがとう。
俺も話したいことがあるから、嬉しいよ
いつ来れる?』
しばらくして、返信が来た。
『そっか、良かった
今日は午後から仕事だから、午前に行けるよ
9時くらいでいいかな
都合いい?』
時計を見上げると、今は8時前だった。あと1時間だ。食事はまだ終わっていないが、どうせ食べきれない。
『うん、大丈夫。
9時ね。気を付けて来てね』
『ありがとう』
ドアのノックの音が聞こえ、樹ははい、と答える。北斗かな、と思ったが、時計を見るとまだ8時半だった。姿を見せたのは、看護師だ。食事用のカートを引いている。
「下げても大丈夫ですか」
樹はおずおずと頷く。毎回、残しているのが気後れだった。もったいないし、食材に悪い。そうは思っていても、やはり食べられなかった。
看護師「やっぱり食べられないですか? 体調、どんな感じですか」
樹「……朝起きると、だるくて、全然動けなくて。食欲もほとんどないんです」
看護師「そうですか…辛いですよね。でも、大丈夫ですからね。先生も味方ですし、私たちもいます。メンバーの皆さんも田中さんの仲間ですよね」
看護師は笑ってくれた。少し、心がほぐれる。
看護師「栄養剤のエンシュア、飲んでますか?」
樹「はい」
エンシュアは、少し前から処方されている栄養剤の薬だ。食事が摂れず、栄養が足りないので飲んでいる。
看護師「普通の食事よりは栄養量は少ないですが、必要最低限はありますので、それだけでも飲んでいれば大丈夫ですよ。あとは、好きなことをして、心の栄養も摂取してくださいね」
樹は思った。きっと、ナイチンゲールってこんな人柄だったのだろう。誰にでも優しくて、人に寄り添ってくれる。
今日は北斗にも会える。みんなそれぞれ忙しいから、揃って来てくれることは少ないけど、それでも好きな人に会えることが嬉しかった。
「樹?」
聞き慣れた、低くて大人っぽい声。顔を見ずともわかった。「北斗」
部屋の入口に、コート姿の北斗が立っていた。ノックをせずに入るのが、彼だった。
「おはよう」
その挨拶を聞いた途端、樹は笑みをこぼした。
「何で、岡山のイントネーションなの笑」
「あ、知ってるんだ! カムカムの俺、見た?」
「もちろんだよ。ずっと見てたよ。だからわかった。おはようの、は、にアクセントがあるんだよね」
「そうそう。ちょっと癖がついちゃって、たまに出るんだよね。まあ、今の岡山弁とはまた違うだろうから、岡山の人に通じるかどうかはわからないけど」
「まあいいじゃん。俺は好きだよ。昭和の好青年って感じで」
「ありがとう」
「あ、ありがとうは普通なんだ笑」
「ははw。…なんか話したいことがあるって言ってたよね」
「うん…。……きょもからみんな聞いてるかもしれないけど、最近食欲がなくて、全然食べれないんだよね。今日の朝ごはんも残した。…それに、何するのも気力が湧かないっていうか。…みんなと話すのはいいけど」
「そうか…。これ何?」
北斗は、後ろのテーブルに置いてある瓶を指さした。
「それは、栄養剤。こないだから処方してもらってる」
「あぁ…」
北斗の表情が曇る。事態の深刻さを察したようだ。
「美味しいよ、それ。いろんな味があるの」
当の本人は、おどけてみせた。
「へえー。いや、俺はお前を心配してんだよ。もう、わかってんのか」
「わかってる。わかってるよ」
「でも、これを処方されるほどなんだろ? ……今も、ベッドに寝たままだし。…体調悪いんだろ」
北斗は、鋭い視線を樹に向ける。樹の瞳が揺れた。確か、こんな感じで真剣な眼差しを浴びたのは、2回目だったような…。
「ほら黙った。否定しないってことは、そうなんでしょ」
「……やっぱり、何でもわかるんだね」
「そりゃそうだよ」
北斗の顔に、笑みが戻る。
「無理もない。しんどいのはしょうがないし。でもやっぱ、心配だな…。お医者さんに相談はした?」
「したから、薬とかもらってる」
「うん…」
「でもさ」
そこで言葉を切った。次の言葉を模索しているようにも、躊躇っているようにも見えた。
「うん。何でも言いな」
「――無理」
絞り出すように、言った。肩が小さく震えていた。
「話すのが?」
ゆらゆらと首を振った。
「違う、もう、なんか…生きてるのが。辛い」
二人とも、黙り込む。北斗は、樹の言葉を噛みしめるように思案していた。
「……どんな風に?」
「動けないし、歩けないし、更にご飯も食べれない。体調も悪い日が多くて、ベッドにずっと寝たままで。これからどうしようかって考えたときに、もう道がない気がして。俺、どうやって生きていけばいいんだろうって。どこにも、居場所がないんじゃないかって。生きる意味、見失った」
北斗は、掛ける言葉を探す。「樹……」
「なんかさ、いつも看護師さんとかに清拭とかいろいろ介助してもらってるんだけど、それがすごい虚しくて。自分で何にもできなくなったことが悔しい。今まではできてたことが、何一つできないって、もう訳わかんねぇよ…」
ひとつ深呼吸をしてから、続ける。
「そういうの考えてたら、全部嫌になっちゃって。もうどうしようもないんだよ…。もう無理。何もかもがダメ。ボロボロだよ…」
「樹」
ちらっと北斗の顔を見る。
「泣いていいんだよ」
「え」
「辛かったら泣けばいい。大人でも、泣きたいときだってあるさ。泣いたら、嫌なこととか忘れられるし」
「もう、泣いたさ」
「……樹…」
「十分泣いたよ! もう枯れ果てたんじゃないかってくらい。悔しくて、悲しくて、やるせなくて。結局、お前らには、俺の気持ちなんてわかんないんだよ! 俺は現実を突き付けられて、どうしようもねーんだよ!」
病室には、樹の怒声が響いた。それと同時に、大粒の涙が零れ落ちた。北斗も、泣きそうな声で言った。
「わかんないよ」
「え…」
「わかんないから樹の話を聞いてるんだよ。わかろうとしてる。でも、わかるときはわかるから。通じるときだってある。辛いんだよな。わかる。大丈夫だよ…」
北斗は泣きじゃくる樹の背中をさすり、声を掛けた。
「でもな、俺は…お前が生きてただけですっごく嬉しい。ほんとは、倒れたとき、死んじゃったらどうしようって怖かったんだよ」
「え」
「頭打ったかもしれないし、首折れてたかもしれないし。なんにも希望がない中で、電話かけてきてくれたことがどれだけ嬉しかったことか。どれほど安心したことか」
「そっか…」
感慨深げに、何度も頷く。
「生きてて、よかった」
樹を見つめる北斗の目は、ほんのり潤んでいた。
「生きる意味がわかんないんだったら、俺らのために生きろ。好きなことのために生きろ。音楽やるために」
「…みんなと、音楽のために?」
「うん。それだけで十分だよ。だって、俺ら、樹がいないとダメだもん。だから…生きてて、本当によかった…」
「…ありがとう」
北斗は樹をひしと抱きしめた。
「でも樹、ちょっとお前…おかしいぞ」
腕をほどいた北斗が言った。
「え? ……何が?」
「いつもの樹じゃない。そんなネガティブじゃなかったよな。そりゃ、もう一生歩けないなんて言われたら、いつものようになんか振る舞えないと思う。でも…今の樹は、さすがになにかがおかしい」
一度閉じた口を、躊躇いがちに開く。「……心療内科、いってみたらどう」
樹は唖然としている。
「…心療…内科? ……そうだよな、おかしいよな、俺」
樹は薄く笑った。「壊れたの、脊髄だけかと思ってたけど、違うみたいだね。脳も変になったのかな」
「じゅ、樹」
北斗は、樹の言動に困惑した。
「自分でも変だとは思ってた。体の異変にも気付いてたし。でも、やっぱ人に言われてみないとわかんないもんだね。……みんなにこれ以上心配かけてもダメだから、北斗の言う通り、先生に相談してみるよ。ここ総合病院だから、精神科医の先生もいるし」
「……おおごとにならないといいけどな…」
「それは…どうかね」
「樹、戻ってきてくれる?」
「どこに」
「俺、普段の樹が見たい。5人とワイワイ喋って、ふざけて、楽しんでるあの樹が。……俺らも一緒についてるからな。絶対独りじゃない。大丈夫、安心しな」
北斗は笑いかける。
「…うん」
樹は曖昧に頷いた。
SixTONESのグループラインは、会話の回数が減った。事務連絡も少ない。
約1週間ほど前から止まっていたラインが、久しぶりに動き出した。その口火を切ったのは、樹だった。
『精神科で診断してもらった
うつだって。
薬を処方してもらって、すぐ治療に入るらしい
ショックだけど、みんなと話すのは本当に楽しいから
普通に接してくれたら嬉しいよ』
その時は、5人で雑誌の撮影に集まっていた。自分のラインを見た5人は、口々につぶやいた。
ジェシー「嘘だろ」
慎太郎「ええっ」
大我「……そんな」
高地「まさか」
北斗「そうか…。やっぱりか」
慎太郎「え、やっぱりって?」
北斗「前見舞いに行ったとき、俺が…精神科を受診してみたらどうかって言ったから」
大我「そうなんだ」
北斗「色々辛いって言ってた。もう気が滅入っちゃってるみたいで、だいぶボロボロで。見てるこっちも辛くなる…」
ジェシー「……え…」
北斗「治療して良くなるといいけどな」
慎太郎「うん…」
その後の5人の空気は、重いままだった。雑誌の笑顔のカットで「暗い」と怒られた。それにさらに落ち込む。とぼとぼと歩いて楽屋に戻ってきた5人を、大我のマネージャーが見つけ、声をかけた。
マネージャー「あ、お帰りなさい。……顔暗いですよ、どうしたんですか」
ジェシー「…撮影で、顔暗いって注意されたんです。マネージャーさんにもまた、暗いって言われちゃった」
ジェシーは自虐的に笑った。
「そうなんですか。京本さんから聞きました。田中さん、うつって診断されたそうで。それで落ち込んでるんですか」
ジェシー「…そうです」
「そんな、みなさんが気負いすることないと思いますよ。普通に接してあげればいいんじゃないんですか」
ジェシー「…やっぱりそうですよね」
高地「何でもお見通しですね。実は樹、メールで『みんなと話すのは楽しいから、普通に接して』って言ってたんですよ」
「そうなんですか!」
高地「また樹とも話せば、みんな気が楽になるかもしれないし」
「そうですね」
さっきよりかは、表情が柔らかくなった5人だった。
続く
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