一月の半ばに結葉の両親がアメリカへ旅立ってしまってから、早二週間が過ぎた。
荷物が減り、少しガランとしてしまった実家で「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」と年始の挨拶をしたのはつい半月ばかり前のことだったけれど、結葉には遠い遠い昔に思えてしまう。
偉央には言えないけれど、すでに美鳥や茂雄が恋しくてたまらない結葉だ。
山波家が家を管理してくれるから。他所の人に家を貸したりしなくて済んだから。家の中が空っぽにならなくてまだ耐えられたけれど、実家が何もないがらんどうの状態になっていたら、結葉はきっと泣き崩れてしまっていたと思う。
年始まわりの際、偉央や両親とともに山波家にも顔を出して家のことをしっかりお願いしておいた。
結葉はそのとき、偉央が想に何か要らないことを言うのではないかと気が気ではなかったのだけれど、〝外面の良い〟偉央が皆の前でそんなことをするはずがなかった。
終始和やかに何の問題もなく顔合わせが済んでホッとした結葉だったけれど、帰宅するなり偉央に半ば無理矢理に身体を求められ開かされて、偉央がかなりのストレスを感じていたのを実感させられた。
嫁の身でありながら、三が日、偉央の実家へ赴いたときの方が心穏やかでいられたとか言ったら、きっと友人たちからは「嘘でしょ」と言われたと思う。
頭の中でそんなことを考えては、誰にも話すことが出来ない現実に意気消沈させられる結葉だ。
(好きで結婚したはずの夫が怖くてたまらないとか……。こんな異常な事態だって、私、誰かにお話を聞いてもらえたらもっと前向きに頑張れる気がするのに)
そんな、自分ではどうしようもないことを思っては溜め息をつく毎日。
***
あれから半月。
管理を任せている実家も、今のところおおむね目立った問題もなく、結葉は〝それなりに〟穏やかな日々を過ごせている。
もちろん、偉央からの監視は変わらず継続しているし、家からひとりで出歩く自由も、電話などで外部と好き勝手に連絡をとる権利も与えられてはいないのだけれど。
偉央から酷く折檻を受ける原因になった想の名刺の所在は結局有耶無耶のままになってしまっている。
偉央に捨てられてしまったのか、それとも偉央がどこかに隠し持ったままなのか、結葉には知る術がない。
ただ、今のところ偉央が想に連絡を取ったという話は聞かないし、それだけは良かったと胸を撫で下ろしている結葉だ。
せっかく想が自分を気にかけて渡してくれた名刺を手放してしまったのは心苦しいけれど、このまま何事もなく風化してくれればと願ってしまう。
***
「結葉、今日は格別冷える。ひとりだからって暖房をケチったりせず、しっかり部屋を暖めて身体を冷やさないようにするんだよ?」
玄関先、いつものように偉央の荷物を手に、戦前の妻さながらに彼を見送りに出た結葉をギュッと抱き締めると、偉央が「行ってくるね」と名残惜しそうに妻の額に口付けて仕事へ出かけて行った。
偉央に抱き締められるたび、どんなに優しくされていてもときめきとは違う意味で心臓が忙しなく鼓動を刻み、息がうまく吸い込めなくなるようになってしまった結葉だ。
それは偉央のことが怖くてたまらないから、そのストレスからの症状なのだと結葉自身にも分かっている。
でも両親が海外に旅立ってしまい、友人たちとの交流も断たれてしまった結葉には、それを相談できる相手がいなかったから。
結局自分で深呼吸をしたりしてやり過ごすしかないのだけれど、いつか偉央にそれを見破られてしまいそうで怖い。
いくら従順な結葉でも、今のままの状態でいつまでもいられないことは分かっていた。けれど、ではどうすればいいのかと考えると酷い頭痛に襲われて頭が回らなくなってしまう。
せめて誰かに相談出来たら。
でも、そんな人ひとりもいないじゃない。
その堂々巡りのなか、結葉は何とか騙し騙しで日々の生活をこなしていた。
「洗濯物……干さなきゃっ」
偉央を見送ってから一生懸命深呼吸をして呼吸を整えて。
大分身体が落ち着いてきたところで自分に言い聞かせるようにそうつぶやくと、結葉は脱衣所に置かれたドラム式洗濯機に向かった。
今日はこの辺りにしては珍しく雪が積もって、外がしんと静まり返っている。
ただ、空は抜けるような快晴だから、積もっている雪もすぐに溶けてなくなってしまうはずだ。
二月の日照時間は極めて短い。
六時半頃になってようやく明るくなった空も、十八時半頃には陽が落ちて暗くなってしまうだろう。
外干しした洗濯物は太陽があるうちに取り込んで置かないと冷たく冷えてしまうから、お日様に当てられる時間はマックスでも十時間ない。
ましてや結葉が洗濯物を外に出すのは偉央を見送った後なので、いつも九時前だし、そもそもマンションの物干しスペースは百十センチの高さの 手摺壁より下部なので、日当たり自体あまり良くなくて。
御庄家では、基本的には洗濯物は浴室乾燥機で乾かすのだけれど、全てを浴室に干すのは物理的に厳しい。それで仕方なく、タオル類のみ外干しにしている結葉だ。
しかし、そんななので厚手のものなどは下手すると外干ししたがために完全に乾くのに日をまたいでしまう、ということもざらだった。
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