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奥から目をこすりながら出てきたお父さんが、瑞樹さんの姿を見るなり、言葉を失って固まった。
無理もない。
藍色の着流しを美しく着こなし、汚れ一つない瑞樹さんの佇まいは
場違いなほどに高貴で、圧倒的だったから。
「お父さん!ちょっとワケありで、この人に助けてもらったんだけど、この人、行き場がないみたいで、お礼にうちに置いてあげたいんだけど……」
「…置いてくれと言われてもな。うちは見ての通りの貧乏古道具屋だぞ」
「……俺は、食事と屋根さえあれば構わない」
瑞樹さんが静かに口を開いた。
その声には、有無を言わせぬ響きがある。
「その代わり、この店を脅かす『穢れ』は俺が払おう。お前たちの用心棒として」
「用心棒だって?こんなひょろっとした男が……」
お父さんが訝しげに近づこうとした
その時だった
店先に置いてあった
長年動かなくなっていた古い水瓶が、瑞樹さんの気配に当てられたようにガタガタと震えだした。
中には一滴の水も入っていないはずなのに
底からこんこんと清らかな水が湧き出し、溢れそうになる。
「ひいっ!なんだ、こりゃあ!」
腰を抜かしたお父さんを横目に、瑞樹さんはスッと指を立てた。
すると、溢れかけていた水はぴたりと止まり、まるで生き物のように水瓶の中に収まった。
「……お父さん。この人、ただもんじゃないと思うの」
私がおずおずと言うと、お父さんは震えながら瑞樹さんを見上げ、それから私の顔を見た。
「……わかった。勝手にしろ。だがな、食いぶち分はしっかり働いてもらうぞ!」
こうして、瑞樹さんの八百万堂での居候生活が決まった。
その夜、私は台所で余っていた冷や飯と、味噌汁を温め直して彼に出した。
瑞樹さんは、箸の持ち方すらおぼつかない様子で、慎重に碗を口に運ぶ。
「……温かいな」
一口啜った彼が、驚いたように目を見開いた。
「この『飯』というのは、これほどまでに、腹の底を熱くするものなのか」
「え?はい、みんなこれを食べて元気を出しているんですよ」
ふふ、と思わず笑みがこぼれる。
あんなに恐ろしい怪異を指先一つで消した人が、お味噌汁一杯で子供のように感動している。
そのギャップが、なんだかおかしくて、愛おしかった。
「お小夜。俺は、自分が何者だったのか、わからない。だから、それをどうしても思い出したい」
瑞樹さんは、空になった碗を大切そうに置き、碧色の瞳で私を真っ直ぐに見つめた。
「だが……それまでは、この江戸という町を見ていたいと思った」
窓の外では、また静かな夜雨が降り始めていた。
私の隣には、世界で一番美しくて
ちょっぴり世間知らずな「用心棒」がいると思うと、怖くは無い。
物の声と、水の音。
騒がしくて不思議な、私たちの江戸八百万事件帖。
その物語の幕が、今、静かに上がった。