第10話:模様のない日
朝、ユイは早く目が覚めた。
窓から入る光がまぶしくて、カーテンの隙間に手を伸ばす。
前髪は自然に整っていて、パジャマの袖口にアイロンの折り目がうっすらと残っていた。
「……なんか、よく寝たな」
制服に着替えたユイは、鏡の前でリボンを結び直した。
今日は目の下の隈もなく、黒髪もきれいにまとまっている。
ほんの少しだけ笑ってみた顔は、思ったよりちゃんと“今の自分”に見えた。
家を出る直前、財布を手に取る。
いつものように、“まるいもの”を確認するために中をのぞく。
……何も、なかった。
確かにそこにある。けれど、模様が、まったく浮かんでいない。
光にかざしても、角度を変えても、そこにはただの“透明な丸”が静かにあるだけ。
「……今日は、何も起きない日なのかな」
通学路はいつもより風がやわらかく、空は澄んでいた。
教室の窓際の席に座ると、澄音が声をかけてくる。
「ユイちゃん、今日なんかいい顔してる」
「え……そう?」
「うん。なんか、“ちょっと大丈夫そうな感じ”」
何も不思議は起きていない。
誰かの声が重なることも、影がふれることも、音が片耳にだけ聴こえることもない。
でもそれが、どこか、特別な日だった。
放課後、帰り道の夕焼けの中で、ユイは再び財布を開く。
“まるいもの”は、相変わらず無地のまま。
でも、よく見れば――ほんの少し、自分の顔が映っていた。
(今のわたしで、大丈夫ってこと……なのかな)
家に着いたとき、財布の中をもう一度のぞくと、“まるいもの”はなかった。
消えたのでも、落としたのでもなく、自然に“卒業”していったような消え方だった。
ポケットの重さがなくなって、ユイは少しだけ、歩きやすくなった。
完
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