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時は少し遡り、ここはノアの私室。
労働者の正当な権利である休暇を却下されそうになったと思えば、急に優しくなったグレイアスは、ノアに「善は急げと言いますから、今日にでも孤児院の皆さんに会ってきなさい」と言った。
しかも辻馬車を拾って移動するつもりだったノアに、道中危険が無いようにと馬車まで手配してくれた。その気遣いが、妙に怖い。
でも余計な出費はできるだけ控えたいノアは、ありがたく使わせてもらうことにした。
浮いた金でまた仕送りできるという、こすい計算が働いたかどうかは内緒である。
──というわけで、ノアは出掛ける準備を終えると、休日まで護衛をする気満々のフレシアに声を掛けた。
「そろそろ行こっか、フレシアさん」
「……もう少し、お待ちを」
「あー……はい」
実はこの会話、もう8回目だったりする。
女性の支度は何かと時間がかかるものなので、フレシアに待ってと言われれば、ノアは素直に頷く。
しかしフレシアは、もうすでに外套代わりの魔術師御用達のローブを羽織っている。
王都に近い街まで行って帰ってくるだけの距離は、日帰り旅行にもならない。一体、なんの準備に時間がかかっているのだろう。
もしかして手土産的な何かを用意してくれてるのか?などと図々しいことを一瞬だけ思ってしまったが、すぐに違うと判断する。
だって今の時刻は夜だ。夕食も終えている。
普段ならお風呂に入って、ベッドの上でゴロゴロしながらアシェルが貸してくれたキノコ図鑑を読んでいる。
さすがにキッチンでは後片付けも終わっているだろうし、シェフの皆さんだって、もう就業時間外のはずだ。
実際のところ、ノアはシェフの勤務形態がどうなっているのかは知らない。けれど、夜中に菓子を用意しろと言われたら、「えー、今からぁー」と思うはずだ。
フレシアは無口だし無愛想だけれど、どっかの馬鹿殿下と違って無理を押し通すようなことはしない。
そうなると……フレシアが、モタついていることになる。
ぐだぐだと考えた結論は、待てばいいだけだという単純なものだった。ノアは、サイドテーブルに置いてあるキノコ図鑑を手に取り、ふかふかの猫足ソファに移動する。
そして、ノアが図鑑を開いて最初のページをめくった瞬間──
「……お待たせいたしました。では、今から向かいましょう」と、フレシアに声をかけられてしまった。
(いや、別にいいんだけれどね……別に)
準備が終わるまでと思って読もうとしただけだが、あまりの間の悪さにちょっとだけ、このタイミングですか?と、心の中でぼやいてしまう。
表情にも出てしまっていたのだろうか、フレシアはシュンとした顔になってしまい、ノアアは慌ててソファから立ち上がる。
「全然待ってないですよ!ほんと、待ってないです。さ、早く行きましょう、早く!!」
勢いで弁解して、フレシアの背中を押しながら廊下に続く扉に向かったノアだが、なぜかフレシアは首を横に振った。
「え?まさか……中止になったんですか??」
「いいえ、違います。ただ本日は、こちらからお願いします」
「……は、い……?」
フレシアが言った”こちら”とは、窓だった。なぜ?コソ泥のような真似を??
「夜遅い時間帯だから他の人の迷惑にならないように、そっと出るのがよろしいかと」
確かにフレシアの言い分はもっともだ。
すぐ近くの部屋にいるアシェルがもう寝ていたら、睡眠妨害になるだろうし、巡回中の衛兵さん達もお化けと間違えてびっくりするだろう。
でも、こんなに遅くなったのはフレシアがもたもたしていたのも原因の一つだし、そもそも、明日の朝一番に出発する予定だったのにグレイアス先生が「絶対に、今日の夜にしろ」と急かされたせいでもある。
(魔術師兄妹は、ちょっとのんびり屋でせっかちさんなんだなぁ)
無事に窓を乗り越えて離宮の庭園を歩くノアは、呑気にそんなことを思った。
まかり間違っても、兄妹そろって何かを企てているんじゃないか?なぁーんてことは、欠片も思わない。まぁいっかで済ますノアは、おおらかな性格なのか、大雑把な性格なのか、このお城ではキノコ以外に興味を持てないのかは不明である。
本人に直接問うても、きっと答えはでない。なので、とにかく魔術師兄妹にとってはある意味扱いやすい存在、それがノアである。
「───……ノア様、こちらを通って行きましょう。近道です」
「あ、はーい」
窓から外に出た途端、指示を出すフレシアに、ノアは何の疑問も持たずに素直に従う。
だって厩の場所がわからないから。
誘拐された時は、お城の中のかなり奥まで馬車で乗り付けたから、馬車が停まっている場所なんてわからない。
ノアは数か月ここで働いているが、ほとんどの時間を離宮かグレイアス先生の私室で過ごしているため、城内の間取り図が頭に入っていない。
そんな状態でフレシアの道案内無しに一人で厩まで行こうもんなら、間違いなくお城の敷地内で朝日を拝むことになるだろう。
(やっぱ、フレシアさんと一緒で良かった。休日返上して付き合ってくれて、ありがとう。あと、ちょっとだけ準備が遅いなって思ってごめんなさい)
ノアは前方を歩くフレシアに感謝とお詫びの念を送った途端、なぜか突然フレシアが消えた。
「ええええっ、噓でしょ!?」
瞬き一つで頼れる存在が消えてしまった現実を受け入れたくなくて、ノアは絶叫した。
だってここはお城だけれど、棟と棟の間のなんか林みたいな所なのだ。整えられた庭園のようにガーデンライトなんて一つも無いし、今日に限って月は雲に隠れている。
「……ちょ、ど、ど、ど、どうしよう」
元来た道に戻りたいが、動揺しすぎてグルグル回ってしまった結果、さらに道に迷ってしまった。もはや帰る方向がわからないし、向かうべき方向もわからない。
はぁーっというため息を吐いたノアは、その場にへたり込む。
「朝まで野宿かぁ……あぁ……え?ん?んん!?」
どうせならキノコでも探そうと、地面に膝を付いた瞬間、ものすごい速さの足音がこちらに向かってきた。
そしてノアが振り向く前に、耳をつんざくほど大声が辺りに響いた。
「ノア、待って、行かないでくれ!!」
混乱を極めた状態でも、他の誰とも間違えようがない美しい声の持ち主が誰か──振り返らなくてもわかる。
声の主は、アシェルだった。