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千波
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お豆腐メンタル
10
私立明正高校の旧校舎は、普段から人の気配が少ない。
木造三階建ての古い校舎で、現在は特別教室や備蓄倉庫、地域活動のための教室として使われている。授業で使うこともあるが、本校舎に比べれば生徒が出入りする機会はずっと少ない。
その三階。
階段を上りきった先に、女子トイレの入り口があった。
廊下の蛍光灯は一本しかなく、その光もどこか弱々しい。白い壁には古い染みが残り、木製の扉は何度も塗り直された跡がある。女子トイレの文字が書かれたプレートも、角が欠けていた。
入り口から中を覗いても、奥まで見通すことはできない。
タイル張りの床が細長く続き、その先に個室が並んでいる。昼間なのに薄暗く、廊下から差し込む光は入口付近までしか届いていなかった。
そして、一番奥。
そこだけ、他の個室より少しだけ扉が古かった。
「……ここ?」
明里が入口の前で足を止めた。
「ここ」
理恵が頷く。
「噂の場所。旧校舎三階、女子トイレの一番奥」
「なんか、いかにもって感じだな……」
ちょっと怖い。
「いいじゃん! こういう場所を撮るのが映画部でしょ!」
明里は楽しそうに笑う。
「怖くないの?」
ゆりかが尋ねる。
「怖いよ?」
「怖いから面白いんじゃん」
明里はそう言って笑った。
「映ったらバズらないかな?」
その隣で、理恵は落ち着いた様子で周囲を見ていた。
微かに笑みを浮かべている。
「理恵先輩、どうしたの?」
明里が声をかける。
「いえ、なんでもないです」
「怖い?」
「……いえ、そうではなくて」
理恵が小さく首を振る。
「本当に活動してるんだなって」
そうか。
映画部が廃部するかもしれなかったから、こうして活動できているのが嬉しいのかな。
これが映画部の活動として正しいかは別の問題として。
明里がスマホのカメラアプリを起動して、女子トイレの入口へ向かう。
物怖じする様子もなく、先頭を切って薄暗い入口をくぐっていく。
「ちょっと、待ってよ」
ゆりかが慌ててその後を追う。
るなもカメラを手に続き、最後に理恵が周囲を気にしながら静かに足を踏み入れた。
「待て」
俺は慌てて呼び止めた。
「俺が入るのはいいのか?」
「女子トイレだから?」
「そう」
「じゃあ悠真はここで待ってて」
「いや、俺だけ締め出すのかよ」
「だって男子でしょ?」
「そうだけど!」
正論だった。
結局、女子四人がトイレの中へ入り、俺と澪は廊下で待機することになった。
「俺、何のために来たんだろうな」
「記録係」
「それなら澪先輩も同じでしょう」
「私は監督!」
「いつから?」
「今から」
澪は何事もなかったように言った。
澪先輩、怖いから行きたくないだけなのでは?
「……まあいいけど」
トイレの中から、るなの声が飛んできた。
「先輩、ここから撮影してください。画角は入口から奥まで。誰かが入ってきても分かるように」
「了解」
俺はスマホを構えた。
今回の目的は単純だった。
花子さんが本当にいるなら、その姿を映像に収める。
いなかったとしても、それはそれで映画部の活動記録になる。
「でもさ」
トイレの中から、ゆりかの声が聞こえた。
「花子さんって、小学校とか中学校の怪談じゃない?」
「あ」
明里の声がする。
「確かに」
「高校にいるの、変じゃない?」
「それは……」
理恵が少し考える。
「明正高校って、昔は中学校だったはず」
「本当に?」
「うん。資料室で学校の沿革を確認したことがあるから」
「じゃあ、昔ここで中学生が花子さんを呼んでた可能性もあるってこと?」
「噂として残っていてもおかしくないと思う」
それを聞いた明里が、ぱっと表情を明るくした。
「じゃあ問題なし!」
「問題なしって……」
「花子さん、いけるじゃん!」
俺たちは顔を見合わせた。
こうして、映画部初の怪異撮影が始まった。
*
「花子さん、いますかー?」
明里が個室の前から声をかける。
返事はない。
「花子さん?」
やっぱり何も起きない。
カメラには、薄暗いトイレと、並んだ個室の扉が映っているだけだった。
「……やっぱり夜じゃないと駄目なのかな」
明里が小声で言った。
「学校の怪談って、だいたい夜に出るしな」
「じゃあ夜まで待つ?」
「えっ」
ゆりかが嫌そうな声を出した。
「私は帰りたいんだけど」
「大丈夫。みんな一緒だから」
「それが一番信用できないんだけど……」
しばらく待ってみても、何も起きなかった。
誰もいないトイレ。
古い校舎。
静かな廊下。
ただ、それだけ。
「今日は無理かな」
るなが時計を見る。
「そうですね。撤収しましょ――」
そのときだった。
「……はい」
小さな声がした。
全員が止まった。
「……今の、誰の声?」
俺が尋ねる。
「聞こえた」
澪が答えた。
いつも落ち着いている彼女の声が、ほんの少しだけ低くなっていた。
「中から?」
るながカメラを見る。
映像には何も変化がない。
「花子さん?」
明里が個室の方を見る。
返事はない。
「もう一回聞いてみよう」
明里が声をかけた。
「花子さん、いますか?」
「……はい」
また返事があった。
姿は見えない。
ただ、確かに声だけが返ってきた。
「撮れてる?」
「音声は入ってる」
るなが答える。
「じゃあ成功じゃん!」
明里が嬉しそうに笑った。
「姿は撮れてないけど」
ゆりかが言う。
「それでも、声は撮れた」
「……まあ、これはこれで」
俺もカメラを止めた。
怪異の姿を映すことはできなかった。
けれど、確かに声は記録できた。
「じゃあ、帰ろう」
理恵が言った。
俺たちは一人ずつ、女子トイレから廊下へ出ていった。
最初に出てきた明里は、満面の笑みだった。
「撮れた!」
目を輝かせ、さっきまでの緊張など最初からなかったように弾んだ声を上げる。
「声だけだけどね」
俺が言うと、
「声だけでも怪異だよ!」
と胸を張った。
その次に出てきたゆりかは、入口を振り返りながら小さく息を吐いた。
「……怖かった」
さっきまで強がっていたせいか、声には少し疲れが混じっている。
「でも、本当に返事したよね」
「した」
「……それなら、まあいいか」
そう呟いた彼女は、安心したように肩の力を抜いた。
るなはトイレから出ると、すぐにカメラを確認した。
表情は真剣だったが、口元にはわずかな笑みが浮かんでいる。
「音、ちゃんと入ってる」
撮影した映像を確認するたび、嬉しそうに頷いた。
澪は最後まで冷静だった。
廊下に出ても、特に慌てる様子はない。
ただ、トイレの入り口を一度だけ振り返った。
「……本当に、いたんですね」
その声には驚きが滲んでいた。
そして、理恵。
彼女は全員が出てくるのを待ってから、最後にトイレの中を確認した。
誰もいない。
ただ古い個室が並んでいるだけだ。
「……じゃあ、帰ろうか」
そう言って振り返った彼女の表情には、どこか安心したような、それでいて少し不思議そうな色が浮かんでいた。
最後に俺が入口から離れる。
背後には、薄暗い女子トイレ。
古びた扉。
誰もいない個室。
俺は何となく、もう一度だけ振り返った。
何もない。
そう思った。
だから、そのままみんなの後を追った。
「いやー、初めての怪異撮影、大成功!」
明里の声が廊下に響く。
「姿は撮れてないけどね」
「細かいことはいいの!」
その声を聞きながら、俺は笑った。
こうして映画部最初の怪異撮影は終わった。
映像に残ったのは、古い女子トイレと、小さな「はい」という返事だけ。
それでも俺たちは満足していた。
――少なくとも、そのときは。
コメント
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うわあ、めっちゃ好きな雰囲気の話でした🥀✨ 旧校舎の薄暗い女子トイレで「花子さん」を呼ぶっていう、いかにもって感じのシチュエーションなのに、声だけ返ってきたときの「……はい」が想像以上に不気味で…! 姿は映らなくても確かにそこに“いる”感じが伝わってきて、背筋がぞわってなりました。 キャラの反応がみんな違うのもいいですね。明里ちゃんの好奇心旺盛な感じと、ゆりかのビビりつつもついていく感じの対比が好きです。最後に主人公が振り返ったところ、何もないのに何か引っかかるような余韻が残って、続きが気になります…🌙