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職員室の重い扉を開けると、一斉に視線が突き刺さった。
男所帯特有の、埃と煙草が混ざったような匂い。都会のガラス張りの校舎とは対照的な、年季の入った木の机が並んでいる。
「本日赴任いたしました、宮野愛梨です。よろしくお願いします」
愛梨が深く頭を下げると、一瞬の間を置いて、パラパラとした拍手が起きた。歓迎というよりは、珍しい動物を見定めるような好奇の拍手だ。
教頭が「まあ、遠いところ大変だったね」と形式的な言葉をかけるが、その目は笑っていない。彼らの手元には、おそらく愛梨の「履歴書」以上の情報が届いている。不自然な時期の異動、そしてネットに漂う消えない噂。
「宮野先生、あなたの席はあそこです。隣は養護の木村先生だから、わからないことは聞きなさい」
指示された席に座ると、隣の席から「お疲れ様」と小さく声がした。
木村は、この殺風景な職員室で唯一、温かい陽だまりのような雰囲気を纏った年上の女性だった。
「……ありがとうございます」
「緊張しなくていいわよ。ここは男の子ばっかりで騒がしいけど、みんな単純だから」
木村の言葉に少しだけ肩の力が抜けた。けれど、授業の準備を始めようとした時、廊下から生徒たちの話し声が聞こえてきた。
「なあ、新しい数学の先生、見た?」
「見た見た。超美人じゃん。でもさ、前の学校で不倫してクビになったってマジかな」
「マジだろ。都会の女は怖えな」
愛梨の手が、ピタリと止まる。
――知られている。
隠せるはずがないのだ。狭い田舎、SNSの時代。逃げてきたつもりで、愛梨は自ら新しい檻に入ったに過ぎなかった。
胸の奥が冷たく凍りついていく。愛梨はたまらず立ち上がった。
「あの、木村先生……少し気分が悪いので、保健室をお借りしてもいいですか?」
逃げるようにして職員室を飛び出した。
まだ一時間も経っていないのに、心はもう限界だった。