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その日の昼ごろ、陽菜がまた屋敷の女官たちと一悶着引き起こした。もう昼食の時間のはずなので陽菜が催促すると、「こんな日の高いうちに食事ですか?」と言われて陽菜がキレてしまったのだ。
「こらあ、あたしたちは上皇様の客人だろ! 昼飯も食わさないとはどういう扱いだ?」
そうどなり散らす陽菜に、女官たちが困り果ててオロオロしている所へ昭雄が割って入り、女官たちに平謝りしながら陽菜を自分たちの部屋へ引きずるようにして連れ戻した。事情を察した玄野がリュックの中から非常食のクラッカーの箱を引っ張り出し陽菜に手渡す。陽菜は箱を開けてクラッカーを貪り食いながら、まだプンプンした口調で文句を言った。
「なによ! 客人に昼飯も出さないって!」
「いや、そうじゃないよ」
苦笑しながら昭雄が説明する。
「この時代ではちゃんとした食事は朝と夕方の二回だけ。つまり一日二食が常識だったんだ。だから昼間は食事をしない方が普通なんだよ」
「え? よくそれで体もったわね、この時代の人間って」
「まあ、農民や力仕事をする人たちはさすがにもたないから、八時という時間帯に間食をする習慣はあったんだけどな」
「ヤツドキ?」
「昔の時間の数え方で、まあ午後の二時ごろだな。その時間に食べる簡単な食事をオヤツと言うようになったんだ。僕たちの時代にもその名残があるだろ?」
「え? おやつって、元はそういう意味だったの?」
玄野も感心して言った。
「へえ、俺もそれは初めて知りました」
陽菜の豪快な食いっぷりを目を丸くして見つめていたフーちゃんも続いて言った。
「それは知らなかった。22世紀では女の子は太るのを気にしてオヤツは食べないのが普通だって聞いていたから」
その時屋敷の一番大きな門の方で大声が響いた。数人の男女が叫ぶ声が陽菜たちの部屋まで響いてきた。
「お上が一大事である! はよう、はよう、お床を!」
「まあ、お上! お気を確かに。誰ぞ、誰ぞある?」
「薬箱を持て!」
ただ事ではない気配を察して陽菜たちも屋敷の玄関の方へ走って行った。そこにはお供の者に両側から抱きかかえられて、よろよろとした足取りで廊下を歩く上皇の姿があった。フーちゃんが上皇に駆け寄ってその体にすがるように近づいて声をかける。
「上皇様! どうなさったんですか?」
上皇は額から脂汗を流しながら、それでもかすかに微笑して答えた。
「おお、タマモか。いや、急に体の具合が……なに、少し伏しておれば良くなるであろう」
だが、その言葉とは裏腹に、上皇の顔色は明らかに尋常な様子ではなかった。女官たちの指示で陽菜たちは一旦部屋へ戻り、その後薬師(くすし)、つまり平安時代で言う医者が何人も呼ばれたが上皇の体の変調の原因に関しては見当もつかない様子だった。
夜になってフーちゃんが上皇の寝室に呼ばれた。陽菜たちも一緒について行った。上皇はやや落ち着いた様子だったが、相変わらず顔には生気がなくぐったりした様子で布団代わりに体に掛けられた数枚重ねの衣の下から手を伸ばし、子供のようにフーちゃんの手を握り締めた。
ちなみにこの時代に21世紀で言う布団はまだない。寝るときは着古した衣などを何枚も重ねて体の上に掛ける。上皇は酒に酔ったようなフワフワした口調でフーちゃんに語りかけた。
「タマモよ。すまぬの。そなたの寝所へ夜這いに行くのはしばらく後になりそうじゃ」
「まあ!」
フーちゃんはにっこりと笑いながら答えた。
「そういう事をおっしゃる元気があるうちは、大丈夫ですよ。もう!」
ほほ笑み続けるフーちゃんの顔を見て陽菜は少し安心した気分になった。だが陽菜はこの時知らなかった。フーちゃんのその微笑には、隠された別の意味があった事に。
翌朝になっても上皇の具合は良くならなかったようだった。フーちゃんは朝早くから上皇の寝所へ呼ばれて看病をしていた。陽菜、玄野、昭雄の三人が庭に出て所在なげにぶらぶらしていると、また門のあたりが騒がしくなった。好奇心につられて言ってみると、門で一人の公卿風の服装の男と門番の武者たちが押し問答をしていた。
「ここは畏れ多くも先の帝の院である! 何者であろうと今はお通しできぬと言うが聞こえぬか?」
「それ故にまかり越したと言うておりますじゃろ? ええい、そなたたちでは埒が開かぬ。誰か、誰か、安倍泰成の名を知る者はおらぬのか?」
すると、屋敷の中から老貴族の男が飛び出して来た。上皇とフーちゃんが昨日の朝池のほとりで話をしていた時に、上皇から巻物を受け取ったあの人物だった。彼は門番たちを押しのけてその、30前後に見える貴族の男に駆け寄った。
「アベノヤスナリ……陰陽師(おんみょうじ)にあらせられますか?」