朝食を残したデザイナー。
その姿に、皆がいたく感動していた。
吾妻勇信は、自身を愛している。
端正な顔立ちと肉体美。
加えて財閥の御曹司である。
さらには、父から受け継いだ頭脳は明晰で、仕事もできる。
兄・勇太死亡の報が流れても、会社が混乱へと陥らなかったのは、社員の心の中に弟の勇信がいたからであろう。
そうした吾妻勇信を捨てるというデザイナーの決意。
それは劣化版の勇信へと作り変える作業に他ならない。
吾妻勇信が到達できるもっとも理想的な状態は、まさに現在だ。
つまりデザイナーの変化とは、自らをおとしめるプロセスである。
どこの誰が、進んで自らを壊せるというのだ。
その事実ひとつをとっても、デザイナーの決意が崇高であるのは明らかだった。
「さあさあ、後片付けするから、全員じっとしててくれ」
本日の皿洗い担当ジョーが、躊躇なくデザイナーの皿を下げた。
食べ物への未練を断ち切らせるための、ジョーなりの配慮だった。
6杯のコーヒーがテーブルに置かれた。
ランチメニューを考えるシェフを除いて、全員がコーヒーをすすった。
「デザイナー。今後について少し聞かせてくれないか。いくら具体性がないとしても、大まかな概要くらいは頭にあるだろ?」
「すべての勇信が心置きなく外出できるようデザインする」
「方法は?」
「ファッションを含む改革。勇信の新しい顔を創造しよう」
「顔を創造? たとえばハリウッド風の特殊メイクを学ぶとか?」
「それはすばらしいアイデアだ。是非取り入れさせてもらおう」
デザイナーが驚いた表情で言った。
「……本当になんも決まってなかったんだな」
「いや、計画はある。3Dテクノロジーを習得する道へと私は進む」
「3Dテクノロジー? どこでどう使うつもりだ」
「世界最先端の3D技術を使って、勇信の新たな顔を作成するのだ。道行く誰も疑わないほどの、精巧な仮面を。
そのためにはどこかにスタジオを建設しなければならない。スタジオにこもりそこで私は技術者となって、吾妻勇信のための研究に没頭しよう」
「おい! おまえ崇高だな!」
リビングルームに拍手が響いた。
「デザイナーって、もしかすると上位互換か?」
あまのじゃくが言った。
「いや、自覚している。私には大いなる欠陥があることを。私のアイデアはここまでであって、計画を実践へと落とし込む能力が備わっていない。これ以上先が何も浮かばない……。
吾妻勇信はすべてにおいて有能だった。しかしその才能を削がれたようで、あまりに苦しい」
「心配しなくていい。おまえには強い意志がある。それは極めて肯定的な属性だ!」
「肯定的などではない。本当は痛くて苦しい。生まれて早々に自らの限界を知ってしまったことを、本心から悲しんでいる。
ただし、私には強い意志がある。だから諦めたりはしない。人生をデザインするという属性が、この弱い心に鞭打ってくれているのだから」
「もしかすると、吾妻建設の堀口課長も似たような心境だったのかもしれんな」
唐突にキャプテンが言った。
「そうかもしれないな。いきなり会社から解雇されて、すべてを否定されたんだからな。しかし生きていくためには、強い意思が必要だ。ある意味、デザイナーと同じかもしれんな」
「それについては興味がない。私はただ自分の人生をデザインするのみ」
「強い意志はあるが、わかりやすい欠損もあるようだな……」
みなが呆れる中、沈思熟考がぽつりとつぶやいた。
「だがひとつ思うことがある。もしかすると俺たちの中にも、まだ見つかってない才能があるのかもしれない。機会に恵まれなかっただけであって、そのときがくれば咲く才能が」
「そうかもしれんな」
「そうかもしれんな」
「そうかもしれんな」
何気ない一言だったが、すべての勇信の心がすっと晴れた。
デザイナーの優秀さと劣等さ。
つまり、とある状況になれば自分だって役に立つかもしれない。
そんな希望だった。
「デザイナー、おまえの誕生には意味があったのかもしれない。
生まれてきてくれてありがとう。さあ、みんな拍手だ」
再びリビングルームに拍手が鳴った。
「私はしばらくすれば旅に出る。誰も知らない場所へと。誰にも見つからない辺境の施設へと。
その場所で新たな吾妻勇信をデザインするために研究に没頭しよう。デザインがやがて、実質的な製品になるまで没頭しよう」
「あまり大げさにしなくていい。世界最先端の3Dスキャナと最高性能の3Dプリンタがあれば解決できる問題だと思うがな」
「いや、それが違うんだ」
キャプテンの言葉に、コーヒーカップを持つ勇信たちの手がとまった。
「デザイナーの言っていることは正しい。ちょっとみんなに発表したいことがある」
「何だ?」
「さっき言ったろ。フィルタがかかっていて輪郭がはっきりしないって。だがな、実は結論だけは出てるんだ」
「結論!?」
「そう、結論」
キャプテンが姿勢を正すと、穏やかなリビングルームは緊張に包まれた。
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