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第1話
『音のない春』
高校三年の春。
小鳥遊蒼空(たかなし そら)は、駅のホームで立っていた。
人の流れ。
口の動き。
電車の振動。
音は、ある。
でも、全部は届かない。
蒼空は先天性の聴覚障害がある。
補聴器をつけているが、大きな音はひび割れて聞こえ、
広い空間の中では言葉が歪む。
だから蒼空は、人の口元を見る癖がある。
笑うときも、怒るときも、まず視線は唇へいく。
その日。
車椅子の男性がエレベーター前で立ち止まっていた。
何かを言っている。
でも、蒼空にははっきり聞こえない。
周囲の人の口が動いている。
でも、誰も近づかない。
蒼空は、動けなかった。
聞き取れなかったらどうしよう。
うまく返せなかったらどうしよう。
“できない側”だと、思われたくなかった。
そのとき。
一人の女性が自然に近づいた。
口の動きがはっきりしている。
ゆっくり話している。
目線を合わせている。
車椅子を押すその姿は、強くも偉そうでもない。
ただ、対等だった。
蒼空は思った。
——支えるって、上からじゃないんだ。
隣に立つことなんだ。
自分も、ああなりたい。
“できない側”じゃなくて、
誰かの隣に立てる人になりたい。
それが、福祉大学を選んだ理由だった。