夜風が、静かに庭を撫でていた。
桜の枝が揺れ
花びらがはらはらと舞い落ちる。
アリアは
その風に身を委ねながら
月を見上げていた。
寒さを感じないのは
不死の血が巡っているからだろうか――
それとも
心が凍りついているからだろうか。
桜の幹に背を預け、目を閉じる。
しかし
脳裏には
先程の光景が焼き付いて離れない。
双子を連れ去られ
冷えた布団の前で咽び泣く
時也の姿。
心を殺し
動かないよう
自分に言い聞かせながらも
その涙を思い出す度
胸が軋むように痛む。
だが、それだけではない。
時也が一人残されて
双子との別れに打ちひしがれている
その光景に
違和感が胸に巣食っている。
その原因を、アリアは知っていた。
布団の前で崩れ落ちた時也。
抱え込んだ身体から漏れた
小さな吐息。
その音が
胸を抑え込む
苦しげな息遣いだった事を
アリアは見逃していない。
時也が隠そうとしている。
それは、もはや確信に近かった。
普段通りに振る舞っているが
その顔には冷や汗が滲んでいる。
食事も殆ど手をつけず
以前よりも明らかに痩せてきている。
時折
胸を押さえ、痛みを堪えている姿を
アリアは何度か目撃していた。
(⋯⋯彼奴は⋯病に侵されている⋯⋯)
確信しているのに
問いただす事ができない。
時也はいつも笑顔で
無理をしてでも穏やかに振る舞う。
その背中にある責任感が
彼を追い詰めているのだろう。
だからこそ
アリアは心の声でも
心配を口に出せない。
時也の読心術が
余計に彼を苦しめる事を
理解しているからだ。
(⋯⋯彼奴は⋯⋯
不死に成る事を
許してくれるだろうか⋯⋯)
ふと
心の奥底に沈んでいた問いが
浮かび上がる。
不死の血を与えれば
時也もまた
この呪いに縛られる。
生と死の境界を失い
永遠の時を生きるという
耐え難い孤独を
共に背負わせることになる。
それが
どれだけ残酷なことか
アリア自身が一番よく知っている。
だが――
時也を失う覚悟が
どうしてもできない。
彼が病に倒れ
その命が尽きる日を想像する度
心が冷たく凍りつく。
不死鳥の呪いが
愛する人をも
縛り付けようとしている。
その事実に
嫌悪を感じながらも
それでも――
時也がいなくなる未来など
想像すらできなかった。
(私は⋯⋯なんと、身勝手か⋯⋯)
アリアは
自嘲するように薄く笑い
再び月を見上げた。
彼の人としての命を奪わない為には
何もせず
ただ見送るしかない。
だが⋯⋯
その選択肢が
どうしても受け入れられない
自分がいる。
永遠の命を与えれば
彼の苦しみもまた続く。
それでも――
時也を失いたくないという
この自分勝手な想いを抑えきれない。
胸の奥に押し込めた感情が
じわじわと溢れ出す。
時也が生きている――
それだけで救われるはずなのに
どうしても
その命が脆く見えてしまう。
病に侵され
痩せ衰えた彼の姿が
頭から離れない。
冷たい風がアリアの頬を撫でたが
涙は零れなかった。
心を殺さなければならない。
そうすれば、時也の為になる――
そう信じながらも
ただ一人
月の下で祈る事しかできない自分が
あまりにも惨めに思えた。
桜の花がひとひら
アリアの肩に舞い落ち
その冷たさが肌を伝う。
それが
まるで凍える程の
孤独を象徴しているかのようだった。
庭に立ち尽くし
夜風に身を晒しながら
アリアは自らの心を殺し続ける。
双子を失い
時也までもが
病に蝕まれようとしている――
その現実に直面しながらも
感情を押し殺して
耐えようとしていた。
だが
その心の奥底には
微かに膨らんでいく絶望があった。
幾許の猶予も無く
時也を失うかもしれないという恐怖。
そして
また訪れるかもしれない
孤独の影。
それは
過去に体験した
どの痛みよりも深く、冷たく
胸を締め付けてくる。
(⋯⋯私は⋯また
独りになってしまうのか⋯⋯)
微かに震える指先を自分で握りしめ
桜の幹に額を押し付けた。
冷たい木肌が
かろうじて現実に繋ぎ止めてくれる。
それでも
心が徐々に
暗闇に飲まれていく感覚が
止まらなかった。
絶望――
その言葉が
脳裏に浮かんだ瞬間
アリアはハッと息を呑んだ。
深紅の瞳が驚愕に見開かれ
胸の奥が凍りつくような
感覚に包まれる。
(時也を蝕んでいるのは⋯⋯
病などではなく⋯不死鳥ならば⋯⋯?)
その考えが脳裏を過ぎった瞬間
全身の血が
逆流するような戦慄が走った。
時也が苦しんでいるのは
病などではなく――
自分が背負っている
不死鳥の呪いが
影響しているのではないか。
もしそうであれば
彼の胸を蝕む痛みも
不死鳥の力が
引き起こしているということになる。
「⋯⋯そんな⋯⋯」
乾いた声が、唇から零れた。
それは
まるで信じたくない現実を
否定するかのような呟きだった。
だが
頭の中で無情に響く仮説が
どうしても否定できなかった。
不死鳥は、絶望を糧に力を増すー⋯。
もし
時也の胸を蝕んでいるのが
絶望の影響だとしたら――
自分が傍にいることで
時也をさらに
傷つけているのだとしたら――
(⋯⋯私が⋯彼を⋯殺しているのか?)
胸の中で
恐怖と罪悪感が
暴風のように吹き荒れた。
目の前の桜が揺れ
花びらが降り注ぐ中で
アリアは堪えきれなくなり
その場に崩れ落ちた。
膝から力が抜け
地面に手をついたまま
肩が震える。
絶望――
それを与えているのが
不死鳥を宿す自分なのだとしたら――
時也の命を縮めているのが
自分の存在そのものだとしたら――
自分が時也を愛する故に
彼を破滅へと
追い込んでいるのだとしたら――
「⋯⋯私は⋯⋯」
唇が震え
声にならない嗚咽が喉を塞ぐ。
自分が時也を愛すれば愛する程
彼を苦しめ
死に近付けてしまう。
その事実が、アリアの心を抉り続けた。
(⋯⋯私が⋯離れれば
時也は⋯救われる⋯⋯?)
だが
そんな選択肢ができる筈がない。
今さら離れた所で
不死鳥は彼を殺すだろう。
愛している。
彼と共に生きたい。
その願いを叶えた瞬間に
彼の命を奪ってしまうかもしれない――
その矛盾が
アリアの心を容赦なく裂いていく。
夜風が冷たく吹き抜け
金色の髪を無情に揺らす。
桜の枝が軋む音が
まるで悲鳴のように響いた。
アリアは震える手で胸を押さえ
どうすれば良いのか分からずに
ただ座り込んでいた。
(どうすれば⋯私は⋯⋯時也を⋯⋯)
涙は出ない。
感情を殺し続けたせいで
悲しみすらも形にできない。
それが
さらに自分を追い詰めていく。
アリアの絶望が
不死鳥の力を
さらに強めているのからこそ――
その無限の連鎖が
アリアを壊そうとしていた。
月が、冷たく空に浮かんでいる。
その白い光の中で
アリアはただ
壊れた人形のように震えていた。
絶望と愛が混ざり合い
出口のない闇が
心を覆い尽くしていた⋯⋯。
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