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「彬、長々付き合わせてごめんね」
実家に向かう車内で、園香は気まずい思いで彬人に声をかけた。
流れとはいえ夫婦の話合いに同席するはめになり、きっと居たたまれない気持ちだっただろう。
瑞記と顔見知りだったとはいえ、ふたりは殆ど会話をしていなかったし。特に彬はずっと黙ったままで、難しい顔だった。
彬人はバッグミラー越しに園香をちらりと見てから口を開く。
「気にするな。それより部屋を見る時間があまりなかったようだったがよかったのか?」
「うん、まあ」
話し合いの後、瑞記と希咲は仕事に戻ると言っていたので、ゆっくり家を見てみようと思っていた。ところが彼らは出かけると言いつつなかなか動く様子がなかった。
園香が自室で荷物などを確認しているときも、なぜか瑞記がついて来て後ろに立って待っていた。
『瑞記、私のことは気にしないで仕事に戻ってね』
『いや、園香が心配だし待ってるよ。もし何か分からないことがあったら僕がいた方がいいからね』
そんな風に待たれるとゆっくりするのは申し訳ない気持ちになって、園香は必要最低限の荷物を持参したバッグに詰めるとすぐに部屋を出たのだ。
「自分の部屋を見ても何も響くものが無かったし、荷物を持ち出せたからいいかな」
リビングと同じフローリングに白い壁。ベッドを置くとあまり他の家具を置けなくなる小さな部屋が園香の私的な空間だった。
狭いが部屋からはベランダに出られるようになっている為、それなりに開放感があった。
家具はナチュラルウッドのもので、ファブリックはベージュ系で揃えられていた。リビングと同様シンプルで特徴のないインテリアで大した感想は浮かばない。
造り付けの半畳サイズのクローゼットの中はすっきりしていて、収納場所を覚えていなくても必要な着替えなどはすぐに探し出せた。
(この一年の間に、ずいぶん片付け上手になったみたい)
「実家には一カ月くらいいるんだよな?」
部屋の様子を思い出していると、彬人の声がした。
「うん、その予定」
「また荷物を取りに行く必要が出来たら、車を出すから」
「え?」
口数が少なく口調も淡々としたものだけれど、彬人は親切だ。
園香は自然と微笑んだ。
「ありがとう。助かるよ」
「ああ」
高速に乗る頃には、外は日が落ちてすっかり暗くなっていた。
流れていく景色をなんとなく眺めていると、ときどき視線を感じる。
きっと彬人が園香の様子を気にしているのだろう。
その割に話しかけて来ないのが彼らしい。
「そう言えば、彬は今どこの部署で働いているの?」
園香の方から話題を切り出してみた。
彼は三年前は販売促進室に勤務していたがその後台湾の店舗に転勤になった。
「今はWEBサービス事業部だ」
「意外。希望したの?」
彼はなぜかSNSが大の苦手だし買い物もオンラインショッピングはなしという同年代では珍しいタイプだ。
「希望した訳じゃないが命令だから仕方ない」
彬人はうんざりしたようすで眉を顰めた。
「ふふ。そうだね。まあその内異動になるだろうから、頑張ってね」
「ああ」
彼は父の評価が高く将来有望だ。上に立ったときに役立つようにいろいろな部署を経験させられているのかもしれない。
ちなみに園香は経理部で働いていた。本当は広報を希望していたのだけれど。
その後、それなりに彬との会話が弾み、いつの間にか実家に近付いていた。
おしゃべりで気分転換をしたのと、安心出来る実家に帰って来たことで園香はほっと胸をなでおろした。
「ようやく帰って来たね」
園香が弾む声で言うと、彬人が小さく笑った。けれどすぐに浮かない表情になった。
「しばらくは実家でゆっくりしてるといい」
「え? うん、そのつもりだけど」
なぜ改めてそんなことを言うのだろう。
「あまり冨貴川のことで考えすぎない方がいいと思う」
園香は目を瞬いた。
(さっきの瑞記との会話を聞いていてそう言ってるのかな?)
客観的に見ても、園香と瑞記は距離を置いた方がいいということだろうか。
「……大丈夫。彬も知ってる通り瑞記との記憶は全くない状態だから、頻繁なやり取りにはならない。何を話したらいいかも迷うくらいだから」
「そうか」
「うん。心配してくれてありがとうね」
「いや……」
園香は僅かに首を傾げた。こんな言葉に詰まる様子は彬らしくない。
「どうしたの?」
「……冨貴川と一緒にいた名木沢希咲とも関わらない方がいいと思う」
「彬ったらやけに気にしてるのね」
こんなに心配性だっただろうか。園香よりも悩んでいるようにすら見える。
苦笑いを浮かべかけた時、ふと違和感を覚えた。
(あれ……今、彬は名木沢希咲って呼び捨てにしたよね?)
彼は拘りがあるのか、滅多に女性を呼び捨てにしない。するのは親しく心を許した相手のみ。もしくは相当嫌っている場合。あまりに無礼な態度を取られたときなど、相手に気を遣う必要はないと判断するらしい。
それなのに、いきなりの【名木沢希咲】よび。
(でも名木沢さんとはさっきが初対面で挨拶をしただけだし、嫌う程の接点はない。怒る程の失礼な態度もなかったと思う。それなのにどうして?)
彬人は自分の発言に気付いてないようだが、少なくとも彼にとって希咲は警戒心を抱く存在ということになる。
園香が知らない間に、彬人と希咲の間で何か会話が交わされたのか。
「怪我が完治していないし、記憶もない。納得がいかないことがあっても感情的になって無茶はするなよ」
「……分かった」
園香は彬人の忠告に頷いた。胸の中にまた一つ不安が生まれた気がした。