テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
#ざまぁ
バーの扉の前に立ったとき、手のひらが少しだけ汗ばんでいることに気づいた。
今朝、あんなに最低な態度で家を飛び出したのに、どの面下げて店に行けばいいのか。
だけど、このまま竜牙さんと疎遠になるなんて、考えるだけで足元が崩れるような恐怖があった。
意を決して真鍮のドアノブを回すと、カラン、と乾いたベルの音が静かな店内に響いた。
「いらっしゃ──」
カウンターの奥、温かい照明の下でグラスを拭いていた竜牙さんが俺の姿を認めて少しだけ目を丸くした。
「……慧斗」
「どーも」
できるだけ、いつも通りの「生意気な常連客」を装って、短く応える。
でも、声が微かに震えていたのは自分でも分かった。
全然、普通じゃない。
鏡を見なくても、自分が今にも泣き出しそうな
それでいて虚勢を張った歪な顔をしている自覚があった。
竜牙さんはそれ以上何も言わず、手にしていたグラスを置くと、いつもの俺の指定席に視線を向けた。
高いスツールに腰を下ろす。
静かに流れるジャズの旋律。
氷がグラスに当たる微かな音。
使い古されたウッドカウンターの質感と、様々な銘酒が混ざり合った独特の匂い。
いつもなら、世界で一番落ち着くはずのこの空間が、今日はやけに酸素が薄くて息苦しい。
「何飲む」
「……いつもの」
「了解」
竜牙さんはそれだけ答えると、慣れた手つきで俺のお気に入りのカクテルを作り始める。
迷いのないシェイカーの動き、浮き上がる腕の筋肉。
その横顔を盗み見ながら、俺は改めて、どうしようもない事実に直面していた。
(……この人、本当に、かっこいいんだよな)
大人の余裕があって、包容力があって、それでいて細やかな気遣いができて。
自分みたいな、感情のコントロールも上手くできないガキには、もったいないくらいの恋人だ。
なのに。
なのに、なんでこんなに胸の奥がどろどろとモヤつくんだろう。
かっこよくて完璧な「店主としての竜牙さん」や
「彼氏としての竜牙さん」しか見せてもらえないことが、今の俺にはたまらなく寂しい。
「はい、お待たせ」
目の前に、いつもの琥珀色のグラスが置かれた。
「……ありがと」
「ん」
そこからまた、会話が途切れる。
俺はストローを指先で弄りながら、氷をカチカチと鳴らした。
竜牙さんも、何かを言い出そうとしては飲み込むように、手持ち無沙汰にカウンターを拭き直している。
「……この前は」
先に沈黙を破ったのは、竜牙さんの方だった。
「ごめんな。……それと、今朝も。悪かった」
低い、心の底から申し訳なさそうな声。
その顔を見た瞬間、胸の奥がちくっと、嫌な痛み方を。
……違う。
俺が今夜ここに来たのは、竜牙さんに謝ってほしかったからじゃない。
「ごめん」の一言で、また昨日の拒絶を、今朝の壁を、無かったことにされるのが嫌なんだ。
「……別に、謝ってほしいわけじゃないし」
「……」
「恥ずかしいなら恥ずかしいって、正直に言えばいいじゃん。俺、笑ったりしないよ」
竜牙さんが少しだけ目を伏せる。
その「これ以上踏み込んでくるな」と言わんばかりの大人の仕草が、俺の中の導火線に火をつけた。
「なんなの、その“色々”って。俺たち、付き合ってるんでしょ?」
「慧斗」
「理由も言わないし、何を聞いても隠してばっかだし。俺のこと、そんなに信用できないの?」
イライラする。
ほんとはこんな言い方、したくない。