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※この物語はフィクションです。
作中の受験制度や日程、進路に関する描写は、実際のものとは異なる場合があります。
あくまで物語としてお楽しみください。
これから受験をされる方は、実際の制度をご確 認ください。
『第三十話 決意』
──三月。
卒業を間近に控えた、ある日。
「亜土さん、少し時間いいですか?」
担任に呼ばれた。
生徒指導室で向かい合わせに座る。
「西東京は残念でしたね……」
担任は、千夏の反応を窺うように話し始めた。
「あれから私も調べましたが、今年の教育学部は例年よりも応募が多くて……模試で合格圏内でも、ほんの数点で明暗が分かれていました」
「はい……」
千夏は自分事ではないように力無く応えた。
そう言われても、実感がわかない。
不合格であることに違いはなかった。
担任は言葉を切ると机の上に一枚の資料を置いた。
千夏は資料に目を落とした。
そこには、大きく書かれていた。
『国立大学後期募集』
「教育学部を目指している亜土さんにとって、もう一度挑戦できる貴重な機会です」
担任は資料を差し出した。
「もちろん、受けるかどうかはあなたが決めてください」
千夏は資料を受け取った。
教育学部。
その文字が、胸に飛び込んでくる。
しかし、募集人数は少ない。
かなり狭き門だ。
そして──
「関西教育大学……大阪?」
思わず声が漏れた。
大阪。
遠い。
知らない街。
友達もいない。
家族からも離れる。
悠真もいない。
もし合格したら、一人で行かなければならない。
「……怖い」
小さく呟いた。
「え?」
「いえ……」
千夏は首を振った。
担任は何も言わず、資料を千夏の前に置いたままにしてくれた。
「一度、家に持ち帰って考えてみてもいいですよ」
「……はい」
資料を鞄に入れる。
その一枚が、いつもよりずっと重く感じられた。
──
家に帰ると、母親は夕食の準備をしていた。
「先生から話があったんでしょ?」
「うん」
千夏は鞄から資料を取り出した。
「大阪の大学の後期募集」
母は資料を受け取り、しばらく目を通した。
「大阪……」
「うん」
「一人で行くことになるの?」
「合格したらね」
母は黙った。
その表情を見て、千夏は少し俯いた。
「……心配?」
「そりゃ心配よ」
母は正直に答えた。
「遠いもの。知らない場所で、一人暮らしするのよ?」
「やっぱり……」
「でも」
母は資料を千夏に返した。
「あなたが後悔しない道を選びなさい」
「……後悔しない道?」
「どっちを選んでも、きっと少しくらい後悔すると思う」
母はそう言って笑った。
「だから、自分で選んだと思える方にしなさい。その方が納得できるわ」
千夏は黙って資料を見つめた。
「自分で……」
その言葉を、胸の中で何度も繰り返した。
──
その夜。
自分の部屋で、千夏はもう一度資料を開いた。
大阪のキャンパスの写真。
広い校舎。
見知らぬ学生たち。
教育学部の紹介。
そこには、教師を目指す学生たちの笑顔が並んでいた。
「……ここに、私が?」
想像してみる。
朝、知らない街で目を覚ます。
誰も起こしてくれない。
一人で朝食を用意して、慣れない路線の電車に乗って、知らない顔ばかりの教室へ向かう。
そして、教師になるために勉強する。
「…………」
胸の奥が、ざわついた。
自分にできるのだろうか。
これまでずっと東京で暮らしてきた。
友達がいて、家族がいて。
そして、いつもどこかに悠真がいた。
その全部から離れて、一人で新しい生活を始める。
考えれば考えるほど、心細くなった。
それに、また受験だ。
あの毎日が戻ってくる。
勉強漬けで、問題集と受験日までの日数が書かれたカレンダーを交互に見る毎日。
漠然とした不安が押し寄せて、眠れない夜を過ごす。
「また、あの日々に戻るの……」
千夏は資料を閉じた。
机の横に置いていたスマートフォンが目に入る。
何気なく手に取った。
連絡先を開く。
『佐藤悠真』
指が止まった。
「……お兄様に聞いてみようかな」
電話をすれば、きっと話を聞いてくれる。
「受けたほうがいいよ」
そう言ってくれるかもしれない。
あるいは、
「無理しなくてもいい」
と言ってくれるかもしれない。
どちらにしても、悠真なら自分のことを考えてくれる。
千夏は通話ボタンの上で指を止めた。
そして、スマートフォンを伏せた。
──お兄様に決めてもらったら駄目だ。
群馬へ行くとき、悠真は言った。
自分が納得して、大人になったと思った時点で大人になる。
千夏はもう一度、スマートフォンを見る。
「……自分で決めなきゃ」
そう呟いた。
けれど、胸の中の迷いは簡単には消えなかった。
── 数日後。
まだ千夏は迷っていた。
一人で廊下を歩いていると、声をかけられた。
「おい」
振り向くと、不機嫌そうな顔の 路木だった。
「最近、元気なくない?」
「……そうかな」
「そうだよ」
路木は腕を組む。
「文化祭のときのお前、どこ行ったんだよ」
「……?」
千夏は黙った。
「縁日カフェ。覚えてるだろ?」
「う、うん……」
「お前、あのとき、すごかったじゃん」
「……」
「自分で考えて、動いて、みんな巻き込んで……私も巻き込まれたし」
路木は少し照れたように目を逸らした。
「私、あんたみたいになりたいと思った」
「……え?」
千夏は耳を疑った。
こんな何もできない自分より、小さな弟や妹の面倒を見ている路木の方が、遥かに立派だと思っていた。
「だから」
路木は千夏に一歩近づいた。
「あんまり私をがっかりさせんな」
千夏の目が、少しだけ揺れた。
「……路木さん」
「別に、どこ行けとか、何になれとか言ってるわけじゃねえんだけど」
路木は背を向ける。
「ただ、自分で自分を諦めるのだけはやめろ。うざい」
「…………」
「そんだけ」
路木は、そのまま歩いていった。
千夏はしばらく、その背中を見つめていた。
──
その日の帰り道。
千夏は、一人で駅へ向かっていた。
ふと、文化祭の日のことを思い出す。
浴衣姿で笑った自分。
みんなと一緒に縁日カフェを作ったこと。
そして、教壇に立つ未来を想像したこと。
あのときは、教師になることが楽しみだった。
何もかもが新しくて、未来が輝いて見えた。
「……どうして今は、こんなに迷ってるんだろう」
千夏は空を見上げた。
答えは分かっていた。
失敗したくないからだ。
これ以上、何かを失いたくないからだ。
西東京に落ちた。
国立も受けられなかった。
もう一度挑戦して、また結果を待つ。
その先に何があるのか分からない。
だから、足が止まりそうになる。
でも──
迷っているだけで時間は過ぎていく。
『千夏ならどんな道でも大丈夫』
──結衣の言葉。
『あんまり私をがっかりさせんな』
──路木の言葉。
『あなたが後悔しない道を選びなさい』
──そして、母の言葉。
千夏は立ち止まった。
胸の奥に、あの雨の夜が蘇る。
『泣いていいよ』
『また立ち上がれるなら』
──悠真の言葉。
「…………」
千夏はゆっくり顔を上げた。
大阪は遠い。
一人で暮らすことも、もう一度受験することも、簡単なことではない。
それでも。
胸の奥には、まだ消えていないものがあった。
教師になりたい。
あの夢を、自分から手放したくない。
「……やってみたい」
小さな声だった。
けれど、確かに自分の口から出た言葉だった。
──
翌日。放課後。
千夏は職員室へ向かった。
担任の机の前に立つ。
「亜土さん?」
千夏は一度、深呼吸した。
そして、顔を上げた。
「……受けます」
担任は少しだけ目を見開いた。
やがて、静かに頷いた。
「分かりました。すぐに出願しましょう」
千夏はもう一度、手にしていた資料へ目を落とした。
そこに書かれた大学名。
『国立関西教育大学』
その先にある、何も予想できない未来。
正直、怖い。
けれど──
今度は、自分で決めた。
誰かに決めてもらった道じゃない。
逃げるためでもない。
諦めるためでもない。
自分の足で、もう一度立ち上がるために。
千夏は資料を胸に抱えた。
「……頑張ります」
その言葉に、担任は微笑んだ。
千夏は職員室を出る。
廊下の窓から差し込む春の光が、床を照らしていた。
卒業まで、あと少し。
そして──
これから始まるのは、最後の受験。
自分で決めた夢のための最後の挑戦だった。
千夏は一歩、前へ進んだ。
──続く
コメント
1件
第三十話、読み終えたよ〜🌸✨ 千夏ちゃんが自分で決めるって言えたの、本当に胸アツだった😭💕 路木さんの「自分で自分を諦めるな」もグサッときたし、母さんの「後悔しない道を選びなさい」も染みた…。 また一歩、大人になったね。大阪、絶対受かってほしい!!続きが待ちきれないよ〜📚💪
#年の差
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