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陽斗が運転席で、ハンドルに腕を預けて笑った。
「スンホ……ほんとに、よく頑張ったな。」
スンホは窓の外を見ていた。
さっきまでの恐怖と安堵で、身体の奥がまだ震えている。
陽斗がポケットから小さなスマホを取り出した。
「お前が全部抱え込むからさ……俺も大変だったんだぞ?」
スンホの眉がわずかに動く。
「……え?」
陽斗はスマホの画面を指で叩いた。
画面には、スンホのこれまでの取引履歴や、知らない人間たちとのやり取りのデータが映っていた。
「……なに、それ……」
陽斗が笑顔のまま、言葉を落とす。
「スンホ。お前、俺がいなきゃ、ずっとここまで辿り着けなかったろ?
誰が“あいつら”にお前の場所流したと思ってんだよ。」
スンホの心臓が冷たくなる。
「……嘘……だろ……陽斗……?」
陽斗は優しい顔で、でもどこか突き放すように言った。
「ごめんな? スンホ。
でもさ――俺だって金が必要なんだわ。
お前の借金、もうちょっとだけ稼いでもらわないと困るんだよ。」
スンホの肩が小刻みに震えた。
逃げ場はない――そう思った瞬間、陽斗の手が再びスンホの肩に置かれる。
「だからさ……もう一回だけ、俺に協力してくれよ?
次で本当に最後にしてやるから。」
スンホの口から、小さく喉が鳴る音が漏れた。
逃げたはずの夜が、また牙を剥く音がした――。
スンホはシートベルトを握りしめていた手を、ゆっくりとほどいた。
陽斗の言葉が、車内にずっと残響している。
(これで……最後だ。これで……終わる……)
何度もそう繰り返す。
それ以外に、自分を正当化できる言葉が見つからなかった。
陽斗はあっさりと笑ってギアを入れる。
「お前ならやれる。
だってここまで全部、俺と一緒にやってきたんだろ?」
スンホは息を殺し、こくりと小さく頷いた。
窓の外を見れば、東京の夜明け前の光がぼんやりと街を照らしていた。
眩しくて、ただ眩しくて、目の奥が痛い。
(これで本当に終わるんだ。
終わらせるんだ――。)
陽斗は笑いながら、スンホの肩を軽く叩く。
「さすがだな、スンホ。
お前がいないと回らねぇんだよ、この仕事。」
スンホは何も言わずに、ただ前を見ていた。
握りしめた拳の中の爪が、掌に食い込む。
それでも――この闇の先に光があると、まだ信じたかった。
(これで……最後だ。)
車はゆっくりと、再び暗い路地裏へと滑り込んでいった――。
作業が終わったのは、明け方直前だった。
スンホは、もう何も感じなかった。
感情も、痛みも、温度も、すべて置いてきたような気がした。
陽斗は軽く拍手をして、気楽そうに笑う。
「よし、お疲れ。これで、ホントに最後な?」
スンホは無言のまま、ただ頷いた。
それで終わり――のはずだった。
だが数時間後、スンホの携帯が鳴った。
見知らぬ番号。
出ると、男の低い声が聞こえた。
「お前がイ・スンホか? 陽斗から聞いてる。明日の夜、来れるな?」
一瞬、意味がわからなかった。
「……え、えっと、すみません、どなた……」
「あいつが言ってなかったのか? 金も振り込んでもらってる。お前が代わりに来るって」
スンホの手から、スマホが落ちそうになる。
電話の向こうの声は、決して怒鳴らない。だが、明確な支配の匂いを持っていた。
「逃げないでくれよ。あんたが来ないと、あいつにも“責任”があるからさ」
通話が切れた。
スンホはしばらく、画面を見つめていた。
「……うそだろ……」
陽斗に連絡を取ろうとした。
だが、メッセージも通話も、すべて未送信。
SNSのアカウントも消えていた。
陽斗は――いなかった。
(これで終わりじゃなかった……)
(全部、最初から仕組まれてた……)
視界が滲む。
でも、誰にも頼れない。
誰も信じられない。
スンホの手が震える。
それでも――立ち上がるしかない。