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「まっ、これにてめでたしめでたしだな。あの屑が最期まで屑だったのは、まあそんなもんだろ」
ジュウベエが昨夜の事を思い返し、その末路に耽る。
あの場に姿こそ見えなかったが、近くで確実に見届けていたのだろう。
「……て事で、安心したら腹減っちまったよ。朝飯まだ?」
早速朝食の催促だ。猫の朝は早い。しかし昨夜の事で遅くなったのか、既に日は昇っている。
「分かった分かった」
テレビの電源を落とした幸人は立ち上がり、簡易食器棚へ向かう。
もうすぐ開院の時間だ。朝食はさっさと済ませた方がいいのだろう。
食器棚にはペットフードの袋が置かれている。U社が開発した猫用総合栄養食、金のスプーン。袋にはドライフードをバックに、可愛い猫の姿絵がチャームポイントだ。
猫に大人気の金のスプーン。ペットフードとしては少々、いやかなり値は張るが、食い付きの良さは他の追随を許さない。
例に洩れず、ジュウベエもこの金のスプーンしか口にしない。猫まんま等、論外である。
「あっ……」
「なんだ、あっ……て?」
袋を手に取った幸人が言葉を濁したのを、ジュウベエは見逃さなかった。
お待ちかねのジュウベエの下へ、幸人は無言でジュウベエ専用容器に、金のスプーンの袋を逆さに翳す。
“早く早く”と片眼が催促しているのが、痛い程に伝わって来るのが分かる。
“カラカラ”
そんな期待を裏切る間の抜けた軽い音が、容器へと小さく音を発てた。
「えっ!?」
流石に信じられない、といった表情だ。ジュウベエは容器の前で、馬鹿みたいに目を丸くさせている。
何故なら目の前の容器には、金のスプーンと思わしき小さな固形物が、目視で数えられる程(五粒)しかなかったからだ。
「済まん……。買い置きするのを忘れてた……」
幸人はばつの悪そうにしている。悪気は無いのだろう。とどのつまり、朝はこれで我慢してくれとの、無言のお達しである。
「ふっ……ざけんな! 何だこれ? おやつか? いやおやつより酷いぞ!!」
しかしジュウベエは収まらない。余程空腹なのか、ヒステリックに叫び声を上げる。
「お、落ち着けジュウベエ……」
「これが落ち着いていられるか! 可愛いオレが飢え死にしちまったらどうすんだ!?」
朝食を抜いた位で死にはしないだろう。猫も人も。
だが“食べ物の恨みは七代先まで祟る”とは正にこの事か?
これの何処が可愛いんだかと、幸人の表情は困惑と茫然の入り交じりだ。
「大体な! お前はいつも食というものを――」
もはや止まらない。ここで反論、もしくは猫まんま等で誤魔化せば、もれなく猫パンチの洗礼を受けるだろう。
ジュウベエとの付き合いを長く知り尽くしているのは、幸人自身が一番良く知っている。
ここで選択肢。
“ひたすら謝る”
これはNGだ。何より時間の無駄だし、謝った処でジュウベエの腹は満たされない。
「分かった分かった、買いに行きます」
「当たり前だ!」
根負けしたかの様に、もう一つの選択肢を選ぶ。
“速やかに買いに行く”
というより、これ以外最善の選択肢は無いのだから、選択という名の選べない強制である。
掛け時計の時刻は午前九時前を指している。一般的なスーパーやドラッグストアは、まだ開店するには少々早い。
コンビニという手段もあるが、金のスプーンは何故かコンビニには置いてない。流石は高級ペットフードたる、金のスプーンの崇高さ。
幸人はこの時ばかりはコンビニの不便さと、ジュウベエの高級嗜好を恨んだ。
だが世の中には、まだまだ絶対数こそ少ないが“二四時間営業スーパー”なるものが存在する。
如月動物病院の近くに所在し、徒歩でおよそ十分少々。
開院まで何とか間に合いそうだなと、幸人は白衣を羽織って出入口のドアへと向かう。
如月動物病院は九時半開院と、一応定めてある(勿論緊急時は何時でも対応している)
「よっしゃ、とっとと行くぜ!」
ジュウベエは幸人の左肩に飛び乗り、急かす様に促す。
当然の様に着いてくる気満々のジュウベエ。勿論その場で即、食べる為だ。
「お前……本当にいい性格してるよ……」
幸人は溜め息を漏らしながら、金のスプーンを買いに部屋を出る。
無人となった部屋内。ジュウベエ専用容器の五粒の金のスプーンは、おやつ以下として処理されていた。
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日は昇ったとはいえ、この季節の朝は寒い。これから本格的な冬の到来を思えば、まだまだ序ノ口だが、“彼”にとってはそうはいかない。
「さみぃ! 凍えちまうよ……」
金のスプーンの為に、張り切って着いて来た割りには、ものの数分もしない内にもう弱音だ。
それでも食い意地の力は偉大とも云えた。家を出て十分余り歩いた頃、お目当てのスーパーが見えてくるにしたがい、待ちきれないとばかりにジュウベエの瞳は燦々と輝きを増している。
寒気より食い気が僅かに勝った模様。
前方に今時木造だが、小綺麗な小さな店舗が目に入る。
“サンドーロ”
このネーミングセンスの欠片も見出だせない呼称は、近辺に数店舗構える地域密着型の小規模スーパーの名称の事だ。
品揃えは一通りだが、いかせん田舎臭が漂う“昔気質”の店舗感が否めず、全てに於いて有名大型スーパーの比では無い。
だが二十四時間営業を売りにしてるだけではなく、その昔気質が親しみやすいという事で、近辺の方からは根強く愛されている。
幸人もまた近くという事もあり、利用頻度はそれなりに高い。(金のスプーン購入目的が大半なのは言うまでも無いだろう)
「早く早くぅ」
ジュウベエに急かされながら、幸人は自動ドアを通り、店内へと足を踏み入れた。
レジからは『いらっしゃいませぇ』との、女性店員の元気な声が響き渡り、入ってすぐは青果売場の影響か、季節の果物の香りがほのかに漂ってくる。
他のを見て回る事は赦されない。目指すは真っ直ぐペットフード売場。
「ユキ先生おはようございます。金のスプーン買いにですか?」
「おはようございます。ええ、うっかりきらしてしまったもので……」
途中女性店員に話し掛けられ、それを笑顔で受け流す幸人。
それにしても、猫と同伴で店内に入り込んで来たというのに誰も咎めようともしないのは、地域密着型のみならず、幸人とジュウベエのセットがマスコットみたいに浸透している証だろう。
「おお! オレの愛しのゴールドちゃん」
棚に規則正しく並んである金のスプーンの袋を手に取ったのを見て、愛称で呟くジュウベエ。
その吐息の荒らさは、精算前に袋ごと飛び掛からん勢いだ。
「あらぁユキ先生。ジュウベエちゃんとお買い物ですかしら?」
後は精算して食べるのみ、という処で、買い物客に呼び止められる。
四十代後半と思わしき、品の良さそうなマダムだ。ある意味、人はそれを下品とも呼ぶ。
「こいつに急かされて……」
マダムとの立ち話に、幸人は金のスプーンを手に苦笑する。
「仲の宜しい事ですわね。ジュウベエちゃんは本当にお利口さんな猫ちゃんだこと。おほほほ」
二人のコンビを良く知るこのマダムは、病院での常連の類いだろう。
「うるせえババア。朝っぱらから香水キツいんだよ」
思わぬ処で足止めを食った為なのか、不機嫌そうに暴言を吐くジュウベエ。
「寄るな見るな離れろ!」
確かに端から見ても香水の匂いは強烈だった。空腹のジュウベエにその匂いは、さぞ気分の悪い事だろう。
「まぁお利口さんねぇ」
“ニャア”という声を好意の返事と受け取ったのか、上機嫌なマダムだが、そんな真実等、勿論知るよしも無い。
「ははは……」
幸人は苦笑いを浮かべながら、その真実のやり取りを誤魔化すしかなかった。
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「ありがとうございました!」
従業員の声を背に、店内から外に出た幸人だが、既に疲れている様な表情なのは気のせいではない。
「お前……本当に今食う気か?」
「当たり前だ! その為に来たんだぞ。しかもあのババアの無駄話のせいで、オレの腹は限界を超えちまってもう我慢出来ねぇんだよ!」
マダムとの相乗効果の甲斐もあって、ジュウベエの機嫌はすこぶる悪い。今ここで金のスプーンの袋を開ける以外、選択肢は残されてはいないからだ。
「やれやれ……」
幸人は袋を開けるが、ここで“地面に置く”といった馬鹿な行動を起こせば、即座に猫キックは免れまい。
金のスプーンは幸人の掌で山盛りとなっていく。
「うひょおぉ!」
ジュウベエは幸人の掌目掛けて飛び付き、人目憚らずがっつく。幸人は店外に備え付けてある簡易ベンチに腰を降ろし、食べ易い体勢への配慮も忘れない。
「ちょっ! 俺の手まで噛まないでくれ……」
今のジュウベエの貪欲な口の前では、金のスプーンも幸人の掌もお構い無しだ。
専用容器か直接、幸人の掌からしか、ジュウベエはエサを口にしない。がっつく姿は端から見たら下品だが、ある意味プライドの高さの顕れか。
ただ其処には確かな信頼関係が有る、かの様に見えるのはきっと気のせいだろう。
微笑ましい構図に見えるが、どっちが主従関係か分かりはしない。
「ったく、下品過ぎるな猫って奴は……」
その時、その一部始終を見ていた何者かが、溜め息混じりに呟いていたのを、二人は聴き逃さなかった。
勿論ジュウベエはその声に気付いているはずだが、金のスプーンの残り粕まで舐めきってから。
「なんだと!? このデカブツが!」
振り返り威嚇するが、金のスプーンに夢中の時間差は、やはり間抜けにしか見えない。
視線の先には、優雅な毛並みのゴールデンレトリバーが鎮座していた。毛色からアメリカ系だろう。
二人のやり取りは犬の目から見ても、さぞ滑稽に映っていたに違いない。物珍しそうに見詰めていた。
「犬ぶぜいにオレの何が分かる!」
ジュウベエは幸人の膝から飛び離れ、ゴールデンレトリバーの傍らまで近付き威嚇するが、その体格差は歴然だ。
“犬 VS 猫”
相容れぬ二つの種。その闘いの火蓋が、今きっておとされようとしていた。
体格の差で勝負の大方は、ゴールデンレトリバーの圧倒的有利。ジュウベエの勝機は体格の小柄さと、身軽さを活かした撹乱戦法のみ。
まずは猫パンチで牽制を試みて、相手の出方を伺う。それが脳内で一瞬の内に組み立てた、ジュウベエの戦法思考であった。
「おいおい落ち着けよ。猫は気が荒くていけねえ……」
「んだとぉっ!!」
ただ、闘争本能剥き出しにしてるのはジュウベエのみで、彼に戦闘意志は皆無。
「はいはい、そこまで」
その構図に微笑ましさの表情を浮かべた幸人が、二人を止めに入った。
「何故止める幸人! コイツはオレに喧嘩売ってんだぞ!」
「売ってねえって。てか無意味だし」
そのやり取りに思わず笑いが堪えきれない。本日は平和だ。
収まらないジュウベエだが、幸人の手により丸く収められた。つまり戦闘は強制終了。
「待てや、まだオレの闘いは終わってない」
漫画の見過ぎともいえる捨て台詞と共に、幸人の腕の中で地団駄を踏むジュウベエ。勿論その脚は虚しく空をきる。
「済まなかったね。うちのは見ての通り、非常に気性が荒い」
「気性が荒いだと! オレの何処がだ!?」
幸人は行儀良く座っているゴールデンレトリバーへ、飼い主として非礼を詫びるが、ジュウベエは相変わらずもがいてる。
「珍しいな……。アンタ、オレ達の言葉が理解出来るのか?」
ゴールデンレトリバーは物珍しそうに幸人を見据えていた。彼の興味対象は、既にジュウベエには無い。
幸人は瞳で肯定した。それで充分に伝わったようだ。
「少し羨ましいな。オレも御主人と言葉が交わせたら、と思う時があるよ」
「君は御主人とここに来たのかい?」
「ああ。散歩がてらに今買い物中。待ってる最中だけど、良いものが見れたよ」
「おいコラ、なにフレンドリーにしてんだよ!」
人と犬との言葉でのやり取り。不思議な光景だが、口を挟むジュウベエとの三つ巴すら、ごく自然な流れに見える。
動物の言語を完全に翻訳するのは、飼い主にとって永遠の夢の一つだ。だからこそ語りかけ、コミュニケーションを取ろうとするが、感情や思考までは理解出来ても、言語は理解出来ない。
彼等には飼い主の言葉が理解出来る。だが飼い主とお互いの言語で理解し合うのは、彼等にとってもその想いは同じなのかも知れない。
ただ端から見たらこの三人の行動は、相当変わって見えるのは間違いない。
店へ出入りする何名かの客が、微笑ましそうというより、怪訝そうに見て通っていたからだ。
「タロウ、お待たせぇ」
買い物袋を手に声を上げて呼び掛けながら、店内から出てくる一人の少女の姿。
高校生位だろうか? さらさらの黒髪ショートがとても良く似合ってる、活発そうでとても可愛らしい少女だ。
「おっと。お迎えが来たようだ」
近付いて来る少女に向けて、よりいっそう尻尾を振って応えるゴールデンレトリバー。どうやらこの少女は彼の御主人らしい。
「ぶはっ! タロウだってよ、この図体で」
ジュウベエがその名のギャップに噴き出した。その失礼極まりなさに、幸人も頭を痛める。
「お前も対して変わらないだろ……ジュウベエ?」
「んなっ!」
すかさずちらりと瞳を向けたタロウが、的確な突っ込みを入れる。どうやら図星だった模様。ジュウベエは固まったまま反論出来ないでいる。
してやったりのタロウに、見事とでも言わんばかりに笑みを浮かべる幸人。
どうやらタロウの方が、ジュウベエより一枚上手の様だ。
「……うん? どうしたのタロウ?」
少女はタロウが向ける視線の先を追う。
そこには笑いを堪える表情の幸人と、その腕でだらしなく固まっているジュウベエの姿。
長身の白衣姿と黒猫の対比は、誰の目からも異質に見える。
「えっと、お医者さん……ですよね?」
少女はその対比に、少し警戒心を以て問い掛けていた。
幸人の白衣姿は一目瞭然。それでも確認を促すのは人の性だろう。
「ええ。近くの如月動物病院を経営しています」
その瞬間、少女の瞳が輝いた。
「あの評判の! どうしよどうしよ! ここで逢えて感激です。今度タロウを検診に連れて行こうと思ってたんですよ」
少女は頬を染めながら黄色い声を上げる。まるでアイドルにばったり出会ってしまったかの様なはしゃぎようだ。
評判の病院の獣医が、容姿端麗なら無理からぬ事。それは憧れに近い。
「何時でもいらしてくださいね。歓迎します」
幸人はとびっきりの笑顔を少女へ向ける。
「はい! 是非是非! きゃあ~」
その表情に裏は無いだろうが、向けられた笑顔に少女は一人で大騒ぎだ。
「ようロリコン。色男は辛いね」
「黙れジュウベエ」
腕の中のジュウベエは、クククと嫌味を向けるが、幸人は笑顔を崩さぬまま、誰にも聞こえない様に受け流す。
「アンタ医者だったのか。今度、御主人と一緒に伺わせて貰うよ。アンタの瞳は信用出来る」
タロウも少女と同感のようだ。犬で有るがゆえに、人の本質を正確に見抜くのだろう。
幸人は二人に近付き、タロウの頭を優しく撫でる。
「お待ちしております」
「へっ、来るんじゃねぇぞ」
それから少女とタロウは、必ず来る約束を交わし、その場を後にした。
「あぁやだやだ! あのデカブツめ」
二人の姿が見えなくなった後、ジュウベエは歓迎の意を示さない。
「そう言うな。お前も満更には見えなかったぞ」
「んな馬鹿なっ!」
動揺から明らかに図星だった。もしかしたら、この二人は良き喧嘩友達になるんじゃないかと、幸人は朧気ながらもそう思わざるを得なかった。
「さあ戻るぞ」
「まてまて有り得ねぇ!」
二人は開院の為、帰路に向かう。
それは穏やかな日の事。
そんな当たり前な日常があった日の事。