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駅前の大きなビルのそのフレンチレストランは、美冬も数回利用したことがあった。 エレベーターを降りるとガラス張りの向こうに見事な夜景が見えて、店の入り口には綺麗なガラスで店舗の名前が彩られている。
入るとすぐレセプションがにこやかに対応してくれた。
「いらっしゃいませ、ご予約のお名前をお伺いいたします」
美冬が名前を名乗るとすでに槙野は来ていると個室に案内された。
先に来て席についていた槙野は相も変わらず高級そうなスーツに身を包んでいて、案内されてきた美冬を見て目を軽く見開いている。
いつもはシンプルなスーツ姿が多い美冬がピンクのワンピースを着ているからだろう。
そうして槙野はふん、と笑った。
またなにか小馬鹿にされたような気がする!
「ふうん、童顔で好みじゃないと思ったが悪くはないな」
(あ、好みじゃないのね)
美冬の顔は好みではないけれど、服は悪くないということだろうか。普通にへこむ。
「好みじゃないとか言っちゃうんですね」
「隠し事しても仕方ないしな。それに悪くないと言っただろう」
ギャルソンが椅子を引くのに、美冬は「ありがとう」と言って腰を掛ける。
白いクロスをかけた大きなテーブルを挟んで、向かいにいる槙野は切り込むように美冬を見ていた。
好みではない、と言うなら美冬にも槙野は好みではない。
なんせヤのつく職業の人だと思ったくらいだ。
それにきっと槙野の好みはモデルのようなナイスバディの華やかな美女なのだろう。
改めて槙野を見たら納得だ。
背が高く、ブランド物に負けないくらいの迫力といかにもな押しの強さ。経営者然としたその風貌。すらりとしたナイスバディの美女が並んだら相当な迫力だしお似合いだ。
(どうせ童顔だもん。好みじゃなくて悪かったわよ)
だからそれについては触れないことにした。
契約婚であることはお互い承知の上なのだ。
なんなら、今日はその条件のためのうち合わせなのだし。
「これがミルヴェイユの服です。可愛いでしょ?」
美冬はにっこり笑って槙野に服を見せた。
「なるほどな。木崎さんも勧める訳だな。特別、と言うのも分かる。品があっていい」
槙野がとても裏表のない正直な性格なのだということはよく分かった。
美冬も腹芸はできない方だという自覚はある。
そういうところは気が合いそうだと思った。
あらかじめ言われているのか、ギャルソンは綺麗な仕草でグラスに水を入れそのまま立ち去った。
姿を完全に消したのを確認して、槙野が口を開く。
「止めるなら今だが、本当に構わないのか?」
口を開いた槙野から聞こえてきたのは、思ったよりも穏やかな声だった。
美冬は目の前の白いクロスをじっと見つめる。
どうして今になってそんなことを確認するのだろう。
白いテーブルクロスは汚れ一つない。クロスはあらかじめ汚れが落ちやすい加工をしてそういう素材を使っているのだ。
その白い布を見ながら改めての槙野からの確認に、美冬は後悔しているのかなという気持ちになった。
「お前はこの前、夫婦、といったらはしゃいでいただろう。結婚に夢持ってるんじゃないのか? なのにこんな形で決めてしまっていいのか?」
そう。はしゃいでいた。夢も持っていた。
けれど、その相手が槙野ではいけないのだろうか。
美冬には今、恋愛する気持ちの余裕はない。
誰かに恋したり、その人に気持ちや時間を持っていかれたり、そんな余裕はないのだ。
今後、そのために婚活する時間を作るくらいなら、会社のことを考えていたい。
「冷たい、とか女子っぽくないって思われても構いません。恋愛なんてする余裕私にはないんです」
「余裕……」
「その時間があったら会社のことを考えたいの。槙野さんだって事情があると言ったわ」
いつ見ても自信満々な槙野の表情が、少しだけ揺らいで見えた。
「悪い……俺の事情にお前を巻き込むのはどうかと……」
少なくとも浮き立っていた。ここにこうして座って槙野の話を聞くまでは。
好みではないと言われて、契約婚であるはずなのに、事情もあると言っていたのに、槙野がすでに後悔しているような雰囲気だったとしても今さらやめる気は美冬にはない。
美冬は少しだけ、切ないような気持ちになった気がした。
一瞬俯いて、ギュッと美冬は手のひらを握る。
この契約婚の目的を思い返すのだ。
──何があっても絶対、後悔はしないわ……!
それはまるで自分の心に刻みつけるかのように、そう決心した。
美冬は顔を上げて笑う。
「じゃあやっぱりお互いにメリットがある、ということよね。お話は進めましょう」
では割り切った関係であればいい。
多分自分たちにはそのほうが向いている。
結婚という言葉に浮き立ったり揺らいだりはもうしない。
──この人と契約婚する。
美冬は心の中でそう決めた。
その美冬の顔をみて、槙野は頷いた。