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久しぶりにマザー・カタリーナのオバツタを満足するまで食べ、またカインと文字通りの下世話な話題で盛り上がり、ブラザー・アーベルに呆れた様に何度も首を横に振られながらも家とはまた違う安堵感故にのんびりとしすぎた事に気付いたリオンは、ウーヴェが心配していないかと思いつつ電話を掛けてみるものの、コールが10を越えても穏やかな、今は旧友との時間を楽しんでいるだろうウーヴェの声は聞こえてこなかった。
電話に気付けないほど盛り上がっているのかと苦笑しつつ帰ることをマザー・カタリーナに伝えると、二人で一緒に食べなさいと、いつの間にか用意していたドーナツを袋に入れて手渡してくれる。
そんな母の頬にキスをし、ブラザー・アーベルの肩を叩いた手でカインの腹に拳を宛がうと、同じように腹に拳が押しつけられる。
「吐くから押しつけるな」
「お前もだろうが」
玄関先でも学生時代と何ら変わらないやり取りをする二人をマザー・カタリーナがにこにこと笑顔で見守っているが、早く帰らないとウーヴェに心配を掛けますよと伝えるとリオンの頭が一つ上下に揺れる。
「おい」
「ん? なんだ?」
カインの呼びかけに首を巡らせたリオンは、お前がさっき考え込んでいた違和感は何だとタバコに火を点けつつ問われて目を瞬かせるが、ウーヴェはどれだけ辛い事があったとしても前を向こうとするが、その友人は前よりは後ろを見ているような感じがすると返し、あぁ、それが違和感かと己の言葉に納得してしまう。
「似ていると思ったけど、決定的な違いはそれだな」
「後ろ向き?」
「上手く言えねぇけどな、オーヴェは俺ほどじゃねぇけど、考え方はどちらかと言えばポジティブだ。人に前を向けと言うときは自分でもそうしようと思っているし実際そうしている。でもそいつは言葉では前を向くと言いながらも実際は出来てねぇ」
「ネガティブって事か?」
「オーヴェのダチだから本当にネガティブなヤツはいねぇと思うけど、どちらかと言えばネガティブ寄りな感じだな」
そういう所が良いと思う人もいるだろうからそんなパートナーなり友人なりがいれば幸せなのにと、マウリッツの幸せをウーヴェの友人というフィルターを通して願ったリオンは、カインがぽつりと呟いた言葉に目を瞠ってしまう。
「ウーヴェがいるから大丈夫じゃないのか?」
お前の話を聞いたりまた回数は少ないが食事だったり酒の席だったりで一緒になったウーヴェの言動を見ていると、お前が思い描く幸せはその友人のすぐ傍にあるんじゃ無いのかと、珍しくカインが人を褒めたことに咄嗟に気付けなくて呆然としたリオンだったが、切れ長の目元がうっすらと赤くなったことに何故かリオンも顔を赤らめそうになる。
「……早く帰れっ」
「うるせぇっ。言われなくても帰るってーの!」
何故か照れ合う二人にクスクスと笑い声を零しながらマザー・カタリーナが今度はウーヴェと一緒にいらっしゃいとリオンに声を掛け、リオンもダンケマザー、おやすみと再度頬にキスをし、いつもと変わらない優しい態度で見送ってくれる家族同然の男女に手を上げて出て行くが、車に乗り込んで冷えてきた事を車内の温度で知る。
「うー、寒くなってきたなぁ」
こんな夜は早く帰ってウーヴェに抱きついて暖を取ろうとタバコに火を点けつつ暢気な声を上げるリオンだったが、自宅に帰ってリビングを見ればそんな思いが一瞬で掻き消えることなど当然今のリオンに分かるはずもなく、早く帰ろうと自作の帰宅ソングを歌いながらステアリングをノックするのだった。
来客用のスペースにマウリッツのものらしいSUVが停まっているのを確かめたリオンは、今夜はマウリッツが泊まっていくことを思い出し、キーホルダーを指に引っかけてくるくると回転させながらエレベーターに乗り込むと、どんな感じで飲んでいるのだろうかと想像する。
ウーヴェと似ているようで決定的な違いを持つマウリッツだが大人しそうに見えて実は己の意志をしっかりと持っている男である事はウーヴェが大学時代から付き合っている事からも理解出来るが、先程カインに指摘されたようにネガティブな所もあるように思えていた。
ネガティブな考えは人それぞれで悪いとも良いとも言えないが、リオンがそれをマウリッツの性格として捉えたときに感じた微妙な感覚のずれが何なのかを思案していると、エレベーターが自宅フロアのある最上階に到着する。
鼻歌交じりにたった一つのドアを開け、今帰ったぞーと歌うように呟きながら廊下を進んで明かりが漏れているリビングのドアを開けたリオンは目の前の光景に絶句し、ドアに手を掛けたまま硬直してしまう。
たっぷり50まで数えられそうな時間同じ姿で微動だにできなかったが、ソファの上からウーヴェの小さな苦痛の声と右手が震えながら持ち上がった事から我に返り、ソファを回り込んだリオンが発見したのは、真っ赤な顔で眠りこけながらウーヴェを羽交い締めにしているマウリッツと、そんな友人からの強烈なハグに顔面蒼白になって苦悶の表情を浮かべて助けを求めているウーヴェの姿だった。
「……オーヴェ……? そんな趣味あったっけ……?」
「誰も、好きでこんなことをしてるんじゃない……っ!!」
蒼白になって珍しく慌てふためくウーヴェにリオンがぽかんとするが、事情を察した途端込み上げてくる笑いを抑えることが出来ずに肩を揺らしてしまう。
「……笑っていないで助けろっ!」
「あ、ああ、うん、でもさ……」
これはきっとカスパルなどが見れば抱腹絶倒か茫然自失ものだと笑い、ウーヴェの救難信号を無視して己のスマホを取りだしたリオンは、何をする気だと驚くウーヴェに笑えと無理難題を吹っかけながら写真を撮る。
「……アニキに送ってやろうっと」
「……人が苦しんでいるのを尻目に良い度胸だな、リオン・フーベルト」
リオンの浮かれ気分を吹き飛ばす様な氷河期からの声がリビングに低く響いた瞬間、スマホをソファに投げ捨てたリオンが今までの態度などウソだと教えるように素早くマウリッツの腕を取ってウーヴェを拘束から救出するが、己の頭上に落ちた拳に悲鳴を上げる。
「イタイイタイ痛いっ!」
「う・る・さ・い!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、お願い許してオーヴェ!!」
くすんだ金髪に拳をぐりぐりと押しつけながら鼻息荒くうるさいと言い放ったウーヴェの手を掴んで必死に防御しようとするリオンだったが、今回は己の言動が完全に反省しなければならないものだと理解したのか、ごめんなさいとその場に膝を折って座りウーヴェに対して殊勝な姿を見せる。
「……まったく」
「だってさ、帰ってきたらオーヴェがマウリッツから熱烈なハグされてるんだぜ? アニキに絶対に見せなきゃだめだろ?」
「見せなくて良いっ!」
リオンの上目遣いの言葉を勢いよく否定したウーヴェだったが、マウリッツが何事かを呟きながら寝返りを打ったため、二人でつい口の前に指を立ててアルコールによって赤くなった端正な顔を見下ろしてしまう。
「……どれだけ飲んだんだよ」
「……そのことについては明日本人から言わせようかな」
「あ、逃げやがった。マウリッツがこれだけのビールを一人で飲むわけねぇだろ?」
また穏やかな寝息を立て始めたマウリッツに安堵の溜息を零した二人だったが、リオンがテーブルの上に並ぶビール瓶やワインボトルに呆れた様な目をウーヴェに向け、形勢が逆転したことを悟られないように顔を背けたウーヴェが聞き取りにくい声で呟くが、逃げやがったとリオンに呟かれて肩を揺らす。
「まったく。飲んでも良いとは言ったけどなー」
どこかの誰かさんは身体を心配して忠告している俺の言葉などまったくこれっぽっちも聞き入れてくれないんだからなーと恨みがましい言葉を吐き出し始めたリオンにウーヴェが首を竦めるが、こんな時のために買って来ていたチョコを思い出して立ち上がる事をリオンに伝えると、不満をブチブチ零しつつもウーヴェの手を取ってソファから立ち上がらせて己の腰に腕を回させる。
「ほら、オーヴェ。どこ行くんだ?」
「パントリー」
「パントリーにもリサイクルに出すビール瓶あったよなぁ?」
スーパーで買い物をしているときに危惧していた事を思い出したリオンの声にひっそりと溜息を零したウーヴェだったが、こうなれば仕方が無いと腹を括ったかと思うと、リオンの名をそっと呼んで蒼い双眸をこちらへと向けさせる。
「リーオ」
「ん?」
「……うん、いつもありがとう。お前が忠告してくれることが分かっているのについつい甘えて飲み過ぎてしまう」
これからはその忠告を聞いて飲み過ぎないようにするから許してくれと、普段では見られない下手からの宣言にリオンの目がみるみる見開かれた後、ぶちゅっと頬にキスをされる。
「陛下は策士だ」
「そうか?」
「そう! そんな顔をされたら逆らえないってーの!」
まったくとぶつぶつ文句を言うリオンだったがその顔は満更でもないもので、ウーヴェも眼鏡の下で目を細めてお返しのキスを頬にする。
「パントリーにお前の好きなチョコがある」
「いやっほぅ」
浮かれながらも同じ歩幅でパントリーに歩いて行くリオンの腕をそっと撫でたウーヴェは、ダンケと小さな声で礼を言いリビングから出て行く。
その二人の後ろ姿を頭を仰け反らせた逆さまの世界で見守っていたマウリッツは、二人の姿がリビングから消えると同時に寝返りを打って頬杖をつくと、羨むような、それでいて自慢しているような顔になる。
己を心配し、酔いつぶれても邪険にせずに最後まで面倒を見てくれる心優しい友人とそのパートナー。
二人の間にきっと己が知らない大小様々な出来事があり、それを今のように互いに寄り添いながら乗り越えて来た事を簡単に想像させる後ろ姿に、小さな溜息とともに思わず本音が零れ落ちる。
「……ぼくも、あんな関係を誰かと作りたい、な」
学生時代に好きになった人が友人を愛している事実を知った直後に独身宣言をしてしまい、それによって自縄自縛をしてきた人生だったが、それを撤回しても良いのだろうかという気持ちが不意に沸き起こる。
誰もが羨むでは無く、自分たちだけの関係をしっかりと築ける相手と出会うことが出来れば、その時は独身宣言を撤回しようと納得の溜息を吐くと組んだ腕に頬を載せて顔を伏せ目を閉じるが、その顔にはここに来るときに覆っていた暗い影の代わりに、リオンや見慣れているウーヴェですらも見た直後に思わず赤面してしまいそうな穏やかな笑みが浮かんでいるのだった。