【前編】
それは、ある蒸し暑い夏日のこと。相も変わらず絡みつくような熱に辟易し、空調の行き渡った屋内で1人、窓から外を眺めては何をするでもなくただ物思いに耽っていた。
私以外は誰も居らず、物音ひとつしない静かな空間に心地良さを感じる。
貴方はまだ覚えているでしょうか?誰よりも早く、建国宣言のわずか11分後に私の存在を承認してくれた事を。
きっと今まで我々が受けてきた屈辱や冷遇に同情して頂けたのでしょう。私たちは信教が異なるというだけで、昔から散々な目に遭わされてきましたから。
しかしこれはあくまでも私の憶測であり、ただ世間体を気にしたまでのことかもしれませんね。どうであれ国家の考えは誰にも知り得ないものです。
思い返せばどんな時でも必ず側に居て、隣で支え続けてくれたのは……アメリカ、ただ1人でしたね。
昔から中東において孤立していた私を決して見放さなかった。厄介な嫌われ者という烙印を押されてしまった小さな国に、暖かく手を差し伸べてくれた。
貴方にとっては些細なことかもしれませんが、当時の私はそれに救われました。
欧州の国々も支援を惜しまなかったけれど、やがて手に負えなくなり見放す者もいて。いつの時代もそのような扱いを受けてしまう、もはや定めなのでしょうか。
一種の諦観さえ持ったが、貴方は私を特別だと言ってくれた。他の人種とは異なる存在なのだと。
それは今までの理不尽な「特別」とは相反するもので、多少の違和感を覚えながらも確実に私は満たされた。
いつしか気が付くと私は貴方に執着するようになっていて。子供たち(大抵の場合、国家は国民をそう呼ぶ)に300以上のロビー団体を組織させ、米国の政治に大きな影響力を持つように仕向けた。
やがて反イスラエルとみなされる米大統領候補者は徹底的に落選した。
「イスラエル、そしてユダヤ人に味方しない者は大統領には選ばれない」といった暗黙の了解は他の誰でもない、私たちが作り上げたのです。
このような事が出来てしまう背景には、彼が有する人口の実に4分の1を占める福音派の存在も大きいでしょう。
キリスト教の一派である彼らは聖書の教えに忠実で、どこまでも敬虔な教徒です。思慮深くてユダヤ人の立場にも理解がある。例えば誰かがパレスチナの問題について私を非難すると、皆口を揃えてこう言いました。
「某地区の被害の動画や民間人の犠牲の情報は、ハマスというテロ集団が拡散している嘘の情報だ」と。
あぁ、なんて使い勝手のいい駒!私はどんな手でも使ってみせる。ずっと、アメリカが私から離れないようにするために。
そうして涙ぐましい努力の甲斐あって、現に貴方は私を支持し続けることを余儀なくされている。「アメリカ合衆国はイスラエルの犬」という滑稽な風刺も広まりつつあるようだ。
確かにそれは誇張されているように聞こえますが、あながち間違いでもないと思います。だってそうでしょう?
先日、某地区での”ジェノサイド”(マスメディアがこぞって使う事実無根な表現ですし、 あまり使いたくないのですが…)について 貴方は随分と私に説教を垂れてきましたね。
それでもやはり注意するに留まってしまう。人道に反しているという世論が広まっても、貴方の子供たちがどれだけデモ活動を行おうと、結局のところは何も行動できないでいる。
なんていじらしい……なんて不憫な覇権国でしょう。好きですよ、アメリカ。きっと私は誰よりも貴方を想っているに違いない。
願わくば本物の犬のように、赤い首輪で縛ってしまいたい。リードを引いて貴方を手繰り寄せることが出来たなら、それはどんなに素晴らしいんでしょう。
「……える」
僅かに空気が揺れる。その振動を生んだ方へ目を遣ると、そこには不機嫌な佇まいでこちらに睨みを利かせているアメリカが居た。刺さるような視線がなんとも痛い。
「イスラエル!」
近くにいるというのに、ことさら声を張り上げられては敵わない。はっきり物を言うところは嫌いではないけれども……流石に度が過ぎるだろう、思わず眉間に皺が寄る。
大きい音は本当に苦手だった。記憶から消してしまいたいあの恫喝の数々を、恐怖を思い出し、反射で身体が震えてしまうから。
「すみません、 いらっしゃったんですね」
是非とも彼に小言を言ってやりたい気持ちになったが、なんとか溜飲を下げる。今日は公的な予定などは入っておらず、何か急ぎの連絡でもあるのだろうかと考えを巡らせた。
「一丁前にシカトとは良い度胸じゃねぇか?」
冗談めかして言う貴方にほっと胸を撫で下ろす。どうやら気に障ったのではないらしい。すると突然肩に腕を回され、その距離の近さに思わずたじろぐ。
「なぁ、悩み事か?聞くぜ」
「どんな風の吹き回しですか?
いつもは自分の話ばかりなのに、ふふ」
むっと顔を顰められる。折角の気遣いを無碍にしてしまっただろうか、小首を傾げると貴方は顔を背けた。
「無いならいい」
拗ねた子供のような口振りだ。また笑ってしまいそうになるが、抑える。そうしていじける貴方を撫でた。
「……何だよ」
「いいえ?ただ、愛らしいなと」
言葉を紡ぐと同時に、彼の頬も淡く染まっていくのが分かる。相変わらずの分かりやすい反応だ。もう250にもなる国家がポーカーフェイスを使いこなせずにどうするというのか?
ただ、会談の際に必ず完璧な表情作りをこなしてみせるあたりは伊達に覇権を握っていないのだなと実感させられる。
私には心を開いてくれていると考えてよいのだろうか。まさかこれも作られた表情とは誰も思わないはずだ。
……しかし、交際関係にある訳でもないのにこうして照れられては期待してしまう。本来であれば「お前ゲイかよ、きっしょ」などと言ってなじられてもいい筈なのですが。
彼を思うこの気持ちは果たして一方通行ではないのか、少なくともそう判断できる確実なものが欲しい。
「好きです」
交際どころか周りとの交友関係すら構築できない私には、飾り気のある台詞なんて持ち合わせていなかった。あまりにも直球すぎるだろうと自嘲してしまいたくなる。
実際、笑い飛ばしてくれた方が幾分か気持ちは楽になったのかもしれない。下手なジョークだと揶揄ってくれた方がよかったのかもしれない。
それでも至って真剣な眼差しで目の前の人物を見据える。
「へ?」
彼から咄嗟に出たのは、何とも間の抜けた声。唐突な状況に驚きを隠せていない。やはりアメリカの余裕な表情を崩すのは堪らなく楽しくて、目が細まる。
彼が私の発した言葉を理解するまで、およそ数秒の時間を要した。それもそのはず、アメリカは既に隣国と恋仲であるのだから。そのように困惑するのも無理はない。
連れ添う者がいるというのに、現実を直視せず一抹の夢を抱くなんてあまりにも馬鹿げている。でも、こうして頬を赤らめる貴方を前にするとどうしても勘繰ってしまうのだ。
「な、急に……」
「そろそろ潮時だと思いませんか?」
言葉を遮り、更に続ける。彼は眉間に皺を寄せた。普段から人の話を遮って主張しがちなのは他でもない貴方だろうに。しかし私はそんな様子など気にも留めず続ける。
「パートナーから避けられている自覚は、少なからずありますよね?」
瞬間、彼の目が見開かれた。なるほど図星か。前々からうっすらと勘付いていたから特別驚くことではないけれど、覇権国でさえもその方面には弱いのだ。
「……」
彼から一切の笑みが消失する。何か悪いことをしてしまったような罪悪感に駆られるが、はっきりしておかなければならないとも思う。私は続けた。
「無論、貴方の所為だとは思っていません。私たちはアメリカのやり方を全面的に肯定する」
「たとえそれが国際社会から敬遠されてしまうようなものでも……ね」
きっかけは彼が新政権に乗り換えたあの瞬間だろう。周囲の国々と指針が大きくかけ離れたことによって、外交関係は着実に悪化の一途を辿っている。
「何が言いたいんだよ」
ギロ、と睨みつけられる。怒らせたくはないのですが、コミュニケーションというものは本当に難しいものです。
「最大の理解者はこの私だ。貴方の恋人ですら、今や愛想を尽かしていると聞きましたよ?
具体的なデータで言えばカナダ人のアメリカに対する世論は例年より__」
言いかけて、口を噤んだ。その瞳が僅かに揺れ、明らかに動揺しているのが分かる。嫌われている自覚があって尚繋ぎ止めるというのは果たして健気か。
「……随分と言ってくれるじゃねえか。じゃあなんだ、お前はさぞかし俺を満足されられるんだろうな?」
「えぇ、勿論。それに貴方だって期待してるんじゃないですか?こうして用も無いのに私の元を訪れて……」
きっと私は彼の寂しさを埋める為に利用されているのだろう。だが構わない、たった一時でもアメリカの感情が私に向けられるのであればそれでいい。
レビ記は明確にこう定める。
「あなたは女と寝るように、男と寝てはならない。これは忌み嫌うべきことである。動物と寝て、動物によって身を汚してはならない。女も動物の前に立って、これと臥してはならない。これは道ならぬことである。」
ソドミー、それは不自然な性愛を意味する言葉だ。今の私を形容するのに適している。
反ユダヤ的な罪に手を染めてしまった私を、一体誰が裁いてくれようか?教えに背いた私を、誰が追放してくれるというのだろう。
「狡い人。何も答えてくれないんですね」
彼の指先が、私のネクタイに這った。
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