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リクエストをいただいた佐野さん視点のお話になります。
2話完結+小話の予定ですが、文量が多いためお時間のある際にご閲読いただけたら幸いです。
「……BL、映画?」
仁人のその声が、少しだけ上ずったのを俺は見逃さなかった。
リハーサル後の、汗の匂いと湿気が混じったスタジオ。手渡された資料の表題には、確かに「主演:佐野勇斗、吉田仁人」の文字が並んでいる。
「おー、まじか」
努めて明るく、いつもの調子で声を上げた。俺の心臓は、マネージャーの言葉を聞いた瞬間から、ドラムの連打みたいに騒がしく鳴り響いているっていうのに。
M!LKとして走り続けてきた長い年月。仁人は俺にとって、誰よりも信頼できるパートナーであり、背中を預けられる戦友だ。リーダーとしてグループを支えるあいつの繊細さと、時折見せる年下らしい脆さ。それを一番近くで守ってきた自負はある。
けれど、今回の「役」は、その領域を軽々と飛び越えていた。
『運命に翻弄される幼馴染』。
友情が、執着に、そして愛に変わっていく過程を、俺と仁人で演じる。
「俺と仁人で、恋愛……。なんか、想像つかねーな」
ガシガシと頭を掻きながら笑ってみせる。これは俺なりの防御反応だ。そうやって茶化さないと、仁人の顔をまともに見られそうになかった。
「……勇斗は、抵抗ないの? 俳優として、その、男同士っていうのは」
仁人が、探るような瞳で俺を見てくる。不安そうに揺れるその瞳。あいつはいつだって、真面目すぎて損をする。
俺はわざと、あいつのパーソナルスペースに踏み込んで、その肩をポンと叩いた。
「ん? 全然。むしろ仁人とだったらやりやすいじゃん。気心知れてるし。なあ?」
手のひらから伝わる、仁人の体温。薄いTシャツ越しでもわかる、あいつの細い肩。
「やりやすい」なんて、嘘だ。
相手が赤の他人なら、いくらでもビジネスとして割り切れる。けれど、相手が「吉田仁人」である以上、俺の中にある「佐野勇斗」の本音が、演技という隠れ蓑を使って暴れ出さないか。その恐怖の方がずっと大きかった。
その日の夜、自宅のソファに深く沈み込みながら、俺は台本を開いた。
配役名は、航平と直実。
読み進めるうちに、喉の奥がカラカラに乾いていくのがわかった。
航平という男は、直実に対して異常なまでの独占欲を抱いている。最初はそれを「親友としての絆」だと思い込もうとするが、直実に近づく他人の存在に苛立ち、やがてその感情が歪んだ恋慕だと気づいていく。
(……これ、俺じゃん)
苦笑いが漏れた。
M!LKの活動中、仁人が他のメンバーと楽しそうにしているのを見て、ふと「俺だけの相棒でいてほしい」と思う瞬間がなかったわけじゃない。もちろん、それはグループを想うがゆえの感情だと整理してきたけれど。
台本の中の航平は、俺が心の奥底に封じ込めていた「独占欲」を、これでもかと肯定してくる。
『航平が直実を押し倒す』
『深い口づけを交わす』
文字が網膜に焼き付く。その光景の直実が、勝手に俺の知っている仁人の顔で再生される。
潤んだ瞳、少し開いた唇、俺を呼ぶ掠れた声。
「……やべーな」
思わず口に出して、冷えた水を一気に飲み干した。
俺は俳優だ。これまでも恋愛ものは経験してきた。けれど、仁人とこれをするのか? 唇を重ね、肌を合わせ、互いの熱を確かめ合う。
それは、俺たちのこれまでの「清廉な関係」を壊す劇薬になる。
スマホを手に取る。指が勝手に、仁人とのトーク画面を開いていた。
不安がっているであろうあいつに、いつもの「勇斗」として声をかけなきゃいけない。
『仁人、台本読んだ? めっちゃ切ないけど、いい話だな。特にラストのシーン、俺好きだわ』
送信。
数分後、仁人から返信が来た。
『……うん、そうだね。すごく繊細な話だと思う。でも、俺にちゃんと演じられるか、少し不安だよ』
行間から漏れるあいつの震え。俺は、自分の中の黒い感情を押し殺して、一番頼りがいのある相棒の顔で返した。
『何言ってんだよ、仁人なら大丈夫。俺がついてる。……明日からの本読み、楽しみにしてるわ。おやすみ』
「俺がついてる」
その言葉に嘘はない。けれど、俺が導こうとしている先が、底なしの沼であることを、仁人はまだ知らない。
数日後、会議室。
監督やプロデューサーに囲まれた閉鎖的な空間で、本読みが始まった。
隣に座る仁人の緊張が、空気の震えを通して伝わってくる。あいつは資料を握りしめ、何度も深呼吸を繰り返していた。
「では、24ページのシーンから始めてみましょう」
監督の声。
俺は一瞬で、意識のスイッチを切り替えた。
いや、切り替えたというよりは、俺の中にいる「航平」という人格に、普段の理性という鎖を解いてやった、という感覚に近い。
「……なぁ、直実。お前さ、最近俺のこと避けてるだろ」
低く、湿り気を帯びた声。俺自身、自分の声がこんなに響くことに驚いた。
仁人がビクリと肩を揺らす。
「……避けてなんかないよ。ただ、ちょっと忙しいだけで」
仁人の、絞り出すような声。
いい。すごくいい。
直実の持つ脆さが、仁人の資質と共鳴している。
俺は台本にはない動きを加えた。テーブルの下で、仁人の膝を強く掴む。
「嘘つけ。お前、俺と目が合うとすぐ逸らすじゃん。……俺、なんかしたか?」
仁人の膝が、俺の指先の下で小刻みに震えている。
拒絶か、それとも恐怖か。
俺はわざと指に力を込めた。ジーンズ越しに伝わる仁人の体温。俺は今、俳優として「航平」を演じている。だから、この接触も、この執着も、すべて正当化される。
「してない……。何も、してないから……」
「じゃあ、こっち見ろよ。……直実」
仁人が、吸い寄せられるように俺を見た。
そこにあったのは、戸惑いと、拒絶しきれない甘えが混ざった瞳。
俺は確信した。
この映画を撮り終える頃には、俺たちの関係はもう、元には戻れない。
いや、俺が戻さない。
「はい、そこまで。素晴らしいね」
監督の声で、魔法が解ける。
俺はパッと手を離し、いつもの「佐野勇斗」の笑顔を貼り付けた。
「ふぅ、緊張したー! 仁人、今の間すごく良かったわ」
「あ、ありがとう……」
仁人は、赤くなった顔を伏せて胸を押さえている。
ごめんな、仁人。
俺はもう、お前の「優しい兄貴分」ではいられないかもしれない。
俺の中の航平が、お前を壊したがってる。
クランクイン。
大学キャンパスのロケ地。
撮影が進むにつれて、俺と仁人の境界線はどんどん曖昧になっていった。
アドリブで交わす軽口、ベンチで並んで座る距離。
スタッフたちは「さすがM!LK、息がぴったりだ」と絶賛するが、俺の中では一分一秒、葛藤が激しさを増していた。
そして、夕暮れ時の図書室のシーン。
航平が、直実の髪に触れる場面。
「なぁ、直実。……お前のまつ毛、長いなと思って」
台本通りのセリフ。けれど、伸ばした手は俺の意志とは関係なく、もっと深い場所を求めていた。
髪をかき上げる指先を、そのまま耳の裏から、仁人の熱い首筋へと滑らせる。
「っ……」
仁人の喉が小さく鳴る。あいつが首筋に弱いのは、何年も一緒にいれば知っている。
俺はわざと、親指の腹でその熱い肌をなぞり、引き寄せた。
「航平、近い」
震える声。俺を見上げる仁人の瞳が、潤んでいる。
俳優としての理性が「やりすぎだ」と警鐘を鳴らす。けれど、俺の指先は仁人の肌の柔らかさに狂喜していた。
「ダメか?」
顔を近づける。鼻先が触れそうな距離。
仁人の吐息が、俺の唇にかかる。
このまま、奪ってしまいたい。カメラのことなんて忘れて、本気で。
「はい、カット! オッケー!」
監督の声。
俺は逃げるように仁人を離した。
「あはは、ごめん。反応が面白くてつい」
軽薄な言葉で誤魔化したが、俺の掌は、仁人の首筋の熱を覚えていて、痺れるように疼いていた。
撮影三日目の夜。
ホテルの自室で、俺は独り、のたうち回っていた。
明日は、雨の中での告白と、最初のキスシーン。
今の俺の状態で行けば、絶対に「佐野勇斗」が漏れ出してしまう。
仁人を怖がらせたくない。けれど、あいつを誰にも渡したくない。
その矛盾が、俺を追い詰めていた。
(……一回、確かめなきゃ無理だ)
俺は台本とコンビニの袋を掴み、仁人の部屋に向かった。
ノックをし、ドアが開く。
そこには、案の定、不安に押し潰されそうな顔をした俺のパートナーがいた。
「よっ。起きてた?」
強引に部屋に入り込む。
仁人は、俺のペースに戸惑いながらも、いつものように受け入れてくれた。
その無防備さが、今の俺には猛毒だった。
「角度とかさ、鼻が当たらないようにとか。一回、やっとかない?」
練習。
そう、これは練習だ。仕事だ。
そう自分に言い聞かせないと、理性を保てなかった。
ホテルの狭い部屋。
雨音だけが響く沈黙の中、俺は仁人の肩を掴んだ。
昨日の図書室よりも、ずっと強く。
「……もう、逃がさないから」
セリフに、俺の本音が混ざる。
仁人の顔が上がる。
そこにあるのは、俺だけを映した綺麗な瞳。
俺はゆっくりと顔を傾けた。
触れるか触れないかの距離で、仁人が目を閉じる。
その瞬間、俺の中の何かが完全に壊れた。
重なった唇は、柔らかくて、驚くほど熱かった。
ただの練習。技術的な確認。
そんな言い訳は、数秒で消し飛んだ。
仁人の吸い付くような質感が、俺の理性を焼き切っていく。
(仁人……。お前、今、どんな顔してる?)
離したくない。このままベッドに押し倒して、俺のものだと刻みつけたい。
けれど、俺の理性が、最後の最後でブレーキをかけた。
今ここで壊してしまったら、明日からの撮影が続かなくなる。
何より、仁人が俺を「拒絶」する未来が怖かった。
俺はパッと手を離した。
仁人が恐る恐る目を開ける。その呆然とした表情に、俺は胸が張り裂けそうになった。
「……お、おう。こんな感じか。角度、大丈夫そうだな」
不自然なほど明るい声。俺は自分の声が震えていないことを祈りながら、逃げるように部屋を出た。
扉を閉めた瞬間、廊下の冷たい空気の中で、俺は深く項垂れた。
唇に残る、あいつの感触。
明日、俺はカメラの前で、この熱を「演技」として処理できる自信が、一ミリもなかった。
「……仁人。お前、本当にわかってねーんだな」
俺の恋心は、もう隠しきれないところまで来ていた。
雨音にかき消された独り言は、誰に届くこともなく、ホテルの冷たい廊下に消えていった。
ロケバスの窓を叩く雨音が、俺の焦燥を煽る。
隣で寝た振りをしている仁人の横顔を、俺は薄く開けた目の端で追っていた。昨夜、あいつの部屋で交わした「練習」の感触が、まだ唇にこびりついて離れない。
仁人の、あの驚いたような、それでいて拒みきれない甘い吐息。それを思い出すだけで、下腹部の奥がジリジリと熱くなる。
「シーン50、本番……スタート!」
放水機からの激しい雨。視界が白く霞む中、俺は逃げようとする仁人の腕を掴んだ。
指先に伝わる、あいつの細い骨の感触。濡れて肌に張り付いたシャツが、仁人の身体のラインをなぞるように強調している。
「待てよ、直実!」
叫んだ声は、もはや演技ではなかった。
台本にある「航平の苛立ち」を借りて、俺は自分の中のドロドロとした独占欲を仁人に叩きつけた。俺を避けるな。俺だけを見ていろ。その執念が、腕を掴む力に乗り移る。
「……もう、逃がさないから」
壁に押し付けた仁人の顔。雨に濡れた長いまつ毛が震えている。
その瞬間、俺の中の理性が音を立てて千切れた。
台本にある「キス」というト書き。それを、俺は自分勝手に上書きした。
重なった唇をこじ開け、舌を滑り込ませる。
仁人の驚いたような短い吐息が、俺の口内へ流れ込んできた。熱い。雨の中で、あいつの口内だけが暴力的なほどに熱かった。
(……もっと、深く。全部、寄越せ)
俺を拒まない仁人の身体が、雨に打たれながら俺の熱に絆されていくのがわかる。
これは芝居だ。周囲にはスタッフがいる。監督が見ている。
わかっているのに、俺の手は仁人の項を強く引き寄せ、さらに深く、あいつの存在を貪った。銀色の糸が引くほど生々しく、執拗に。
「……はい、カット! オッケー!」
監督の声。
俺は、仁人の顔を埋めるようにしていた身体をゆっくりと離した。
仁人の唇は赤く腫れ、瞳は焦点が合わないまま潤んでいる。その「直実」ではない「吉田仁人」の無防備な姿を見て、俺は背筋に冷たい戦慄が走るのを感じた。
やべぇ。俺、今、本気であいつを食おうとした。
「……勇斗のアドリブ! あの強引な感じ、完璧だったよ」
監督の称賛が、皮肉にも俺の「罪」を「功績」に変えていく。
俺はタオルを顔に押し当て、自分の中の「佐野勇斗」を必死に押し殺した。隣で震えている仁人に、今はかける言葉が見つからなかった。
映画の撮影から離れた、M!LKとしてのダンスレッスン。
いつものメンバー。いつもの笑い声。
けれど、俺の視界は、鏡越しに仁人の動きだけを不自然に追っていた。
「仁ちゃん、今日やっぱり変だよ?」
舜太の声に、仁人が「撮影の疲れ」だと苦笑いして誤魔化す。
「勇ちゃんも、今日ちょっと静かじゃない?」
柔太朗の鋭い視線。
あいつはメンバーの中でも一際、俺たちの異変に気づきやすい。俺は「台本覚えるのに必死なんだよ」と笑って返したが、内心では、仁人の腰を抱く振り付けのたびに、役中の仁人の肌の感触がフラッシュバックして気が狂いそうだった。
(……あいつに、触れたい)
メンバーとしてじゃなく。相棒としてじゃなく。
昨日、あの雨の中で、俺の一部を受け入れた「恋人」として。
「……仁人。お前が『航平』を意識してるなら、俺も『直実』として向き合うだけだ。……気まずいなんて思うな。俺を信じてろ」
休憩中、わざとそんな「仕事人」らしいセリフを吐いた。
仁人を安心させるためじゃない。そう言っておかないと、俺が今すぐあいつをどこか連れ去ってしまいそうだったからだ。
「俺を信じてろ」という言葉の裏側で、俺は自分自身のブレーキが壊れていることに、誰よりも恐怖していた。
「最小人数でいきます。カメラ、照明、録音以外は退出してください」
助監督の声が、静まり返ったセットに響く。重い扉が閉まり、完全な密室が完成した。
スタッフが機材を調整するわずかな隙。俺は、ベッドの端に座る仁人の隣に腰を下ろした。あいつはさっきから、壊れそうなほど固くなっている。その小刻みな震えが、俺の奥底にある「あいつを支配したい」という独占欲をチリチリと刺激した。
「……仁人。そんなに固くなるな」
「……わかってる。でも、どうしても、あの日のことが……」
あの日――先日の雨のシーンでのキスのことを言っているんだろう。あいつにとっては戸惑いかもしれないが、俺にとっては、引き返せない一線を越えるための引き金だった。
「なら、一回ここで合わせるか」
俺はあいつの手首を掴み、ベッドへと押し倒した。
「……っ、勇斗? まだ本番じゃ……」
「練習だよ。……どこまで触ったら仁人がどんな反応をするか、知っておかないと。皆に『最高の映画』だって見せたいだろ?」
「仕事」という大義名分を盾に、俺は真っ直ぐにあいつを射抜いた。
俺の膝をあいつの足の間に割り込ませる。バスローブが乱れ、俺の太ももに、仁人の滑らかな素肌が触れた。その熱に、俺の理性が溶けそうになる。
「直実……」
航平の声で囁く。けれど、俺の視界に映っているのは、航平を愛する直実ではなく、俺――佐野勇斗の熱に絆され、今にも泣きそうな顔をしている吉田仁人だ。
俺は顔を下げ、あいつの首筋に熱い吐息を吹きかけた。
「あ、……ん、……っ」
敏感な場所を鼻先でなぞる。喉から漏れる震えた声、俺の胸を掴む指先の力。そのすべてが愛おしくて、たまらない。
俺はあいつの腹部に手を這わせ、掌を押し当てた。壊れそうなほど速く打つ鼓動が、ダイレクトに伝わってくる。
「……すごい速いな」
顔を上げ、至近距離であいつを見る。もう、俺の瞳は「佐野勇斗」のものではなかった。抑えきれない飢えが、隠しようもなく溢れていた。
俺はあいつの唇を、優しく、けれど拒むことを許さない深さで塞いだ。
あの日よりもずっと、重くて、甘いキス。
俺を掴むあいつの手に、さらに力がこもる。それが演技なのか、本能なのか、もうどうでもよかった。
「……はい、準備できました! 二人とも、位置についてください」
スタッフの声が、魔法を解くように響いた。
俺はスッとあいつから離れ、乱れた髪を無造作にかき上げた。自分の中の「佐野勇斗」を必死に呼び戻す。
「……悪りぃ。でも、これで感覚は掴んだだろ」
一度も振り返らず、スタート位置へと戻る。振り返ったら、あいつをそのまま連れ去ってしまいそうだったからだ。
「本番行きます! シーン65、テイク1……スタート!」
カチンコの音が鳴り響き、俺は再び、仁人の上に重なった。
「直実……俺から離れるな」
航平としてのセリフ。けれど、俺が耳元に吹き付けた吐息は、台本の文字以上に熱く、生々しい。それは、俺自身の飢えだった。
俺はあいつの唇を塞いだ。
撮影を重ねるごとに、あいつを求める俺のキスは深く、執拗になっていく。舌が絡み合うたびに、あいつの思考が真っ白に塗り潰され、ただ俺の体温だけを探しているのがわかった。
あいつのシャツのボタンに手をかける。一つ、また一つと外され、冷たい空気が触れる。けれど、すぐに俺の熱い胸板でそこを塞いだ。誰にも見せたくない。この肌は、俺だけのものだ。
「……っ、あ……」
仁人の喉から漏れる声。それが演技なのか、それとも本能なのか。
俺の指があいつの脇腹をなぞり、腰を引き寄せる。その力強さに、あいつが逃げ場を失った獲物のような心境に陥っているのがわかった。
もっと、俺を刻み込みたい。
「……好きだ、仁人」
耳元で、極めて小さな声で囁いた。
台本では「直実」のはずの場所。監督やスタッフに聞こえたかはわからない。けれど、仁人にははっきりと届いた。
あいつが驚きで目を見開く。その唇を、俺はさらに深く、貪るように塞いだ。
それは、カメラに向けた演技などではなく、一人の男としての、剥き出しの執着だった。
「……はい、カット! オッケー!」
監督の声が響いても、俺はしばらくあいつから離れなかった。あいつの首筋に顔を埋めたまま、荒い呼吸を繰り返す。自分の中の熱が、少しずつ冷めていくのを待つ。
「……勇斗?」
あいつが小さく声をかける。俺はようやく身体を起こした。一度もあいつの目を見ないまま、ぶっきらぼうに言い捨てた。
「……悪りぃ。……ちょっと、入り込みすぎた」
そう言って、俺はセットの外へと歩き出した。あいつを振り返る余裕なんて、一ミリもなかった。
雑誌撮影のために戻った楽屋。
ドアを開けた瞬間、いつもの賑やかな声が俺たちを包む。
「おつかれ! 仁ちゃん、勇ちゃん。撮影お疲れ様!」
舜太が真っ先に駆け寄ってきて、俺たちの肩を組んだ。
「おー、舜太。お疲れ。……雑誌のほうは終わったの?」
俺は努めて明るい声で返す。さっきまでセットであいつを押し伏せていた男とは思えないほど、完璧な「佐野勇斗」の顔で。
「俺らの方はバッチリだよ。あとは5人のカットだけ。……ねえ、仁ちゃん、なんか顔赤くない? スタジオ暑かった?」
太智が仁人の顔を覗き込む。
「えっ、あ、……ライトが強かったからかな」
あいつは鏡の方を向き、必死に動揺を隠している。その、耳まで赤い無防備な後ろ姿に、俺は先程の余韻を思い出してニヤけそうになる。
「……勇ちゃん、ちょっと手、貸して」
不意に柔太朗が、俺の腕を掴んだ。
「何だよ、柔太朗」
「袖、ボタン外れてる。……激しいシーンだったんだね」
柔太朗の視線が、一瞬だけ俺と仁人を交互に刺した。あいつはいつも鋭い。俺たちの間に流れる、単なる「撮影の疲れ」ではない、濃密で重い空気を感じ取っているようだった。
5人揃ってのインタビューが始まった。ライターの質問に、太智が笑って答える。
「勇ちゃんが仁ちゃんに演技の相談をしすぎること!」
「いや、相談っていうか、仁人がしっかり受けてくれるから助かってるだけだよ」
俺はさらりと言った。そうだ。あいつが俺のすべてを、あの熱を、拒まずに受け入れてくれるから。
「仁ちゃん、本当にお疲れ様だね。勇ちゃん、熱が入ると止まらないからさ」
舜太が仁人の背中をポンポンと叩く。メンバーの言葉は温かい。俺たちの関係を「最高のメンバー」として信頼してくれている。
けれど、その信頼が今の俺には痛かった。
もし、彼らがさっきのセットでの出来事を知ったら。プロの演技を越えて、俺が仁人の名前を呼び、仁人がその熱を拒めなかったことを知ったら。
ふと鏡越しに、仁人と目が合った。
俺は笑いながら太智とふざけていたが、瞳の奥だけは笑っていなかった。獲物を狙うような、あるいは自分の犯したミスに苛立っているような、暗く深い熱。あいつはいたたまれなくなって、すぐに視線を膝の上に落とした。
すべての撮影が終わり、5人でスタジオの出口へと向かう。建物の外には、送迎用のワゴン車が待機していた。
太智、舜太が車へと駆け寄る。柔太朗が最後に車に乗り込みながら、こちらを振り返る。
仁人も後に続こうとしたその時、俺は背後から手を伸ばし、二の腕を掴んで引き止めた。
「……勇斗?」
「先に行ってて。仁人にちょっと、次のシーンの相談あるから」
車の中の3人に向かって、短く声を上げた。
「えー、また? 勇ちゃん熱心だねー」「じゃあ、先行って注文しとくよ。遅れないでね、仁ちゃん!」
太智と舜太が手を振り、スライドドアが閉まった。ワゴン車がゆっくりとスタジオを離れていく。
夜の冷たい空気が流れ込むスタジオのエントランス。俺は仁人の腕を掴んだまま、人目のつかない柱の陰へとあいつを押し込んだ。
「……さっきのこと、気にしてんのか」
俺の低い声が、暗がりに響く。
「当たり前だよ。……なんで、俺の名前呼んだの。あそこは『直実』でしょ」
仁人の声が震える。
「……わかんねーんだよ、俺も」
俺は吐き捨てるように言った。
「演技してても、触れてても、お前が『直実』に見えなくなる。……吉田仁人を抱いてるのか、役を抱いてるのか、境界線がなくなってんだよ」
俺の手が、仁人の頬を強く包み込んだ。
建物のすぐ外にはスタッフだっているかもしれない。なのに、俺の指先からは、隠しようのない独占欲が漏れ出していた。
「……勇斗、……やめて……」
「やめねーよ。お前だって、あの時拒まなかっただろ」
俺の顔が近づく。仁人は怖がっているようで、けれど、俺の熱から逃げ出すことができずにいた。
「……勇斗、離して。みんな待ってる」
「……今の俺には、あいつらの前で笑う自信なんてねーよ」
俺の声は低く、ひび割れていた。俺はあいつの頬に添えた手に力を込め、逃げ場を塞ぐように顔を寄せる。
「仁人、さっきのシーン……俺が名前を呼んだ時、お前、一瞬だけ俺を『勇斗』として見たろ」
あいつは否定しようとした。その唇を、俺の親指が強く押さえた。
「演技じゃ埋められねーんだよ。……お前に触れるたびに、台本の言葉なんて全部消えて、俺の中には『お前が欲しい』って感情しか残らねぇ」
俺の瞳に宿る、剥き出しの執着。俺はそのまま、あいつの首筋に顔を埋めた。熱い吐息が肌を焼き、あいつがゾクりと震えるのがわかった。
「……ずるいよ、勇斗」
仁人は俺の胸元を弱く押し返しながらも、その熱から逃げ出すことができなかった。俺に求められていることに、歪んだ悦びを感じている。俺には、それが手に取るようにわかった。
「……勇ちゃん、仁ちゃん! まだー?」
遠くで舜太の大きな声が響いた。
俺たちは弾かれたように距離を置いた。
俺は素早く髪を整え、ポケットに手を突っ込んで、いつもの「佐野勇斗」の顔を作った。
「おー、舜太! 今行くって!」
俺はなに食わぬ顔で、建物の外へ向かって声を張る。仁人も必死に呼吸を整え、火照った頬を両手で押さえてから、俺の背中を追ってきた。
ワゴン車に乗り込む。
「あはは、それは困るな。急ごう、仁人」
俺は仁人の肩に腕を回す。いつものスキンシップ。けれど、その掌の熱だけが、数秒前までの密事の余韻を仁人に思い出させていた。
焼き肉店に到着し、5人でテーブルを囲む。
メンバーの賑やかな声、肉の焼ける音、温かい空気。俺は舜太と太智の間で大笑いしながら肉を頬張っている。完璧な「佐野勇斗」として。
けれど、テーブルの下。
俺は自分の足を、仁人の足にぴったりと密着させ、誰にも気づかれないように力を込めた。
(……絶対に、離さない)
必死に耐える仁人の震えを足元で感じながら、あいつを完全に俺のモノにしたいという歪な独占欲に、俺はただ深く沈んでいった。
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ありがとうございます!最高です。


ぷに歯茎さんのこの作品、💛サイドも含めてこれまで読んださのじんssの中で群を抜いて最高です😭 マジでドラマとか映画で見たすぎる!! あーもー大好き😭 お身体に気を付けて素敵な作品を描き続けて頂きたいです🙏