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――ガタン!
びっくりした。
机にいきなりたらこがぶつかってきた。
たらこは振り返ると、後ろの奴らに向かって怒った。
「ちょっ、押すなって。俺がわざとぶつかったみたいじゃん。」
昼休みの教室は、話し声が多くてうるさかった。
俺はたらこを軽く睨んだ。
「なんか用?」
「宿題を聞こうと思って来たんだけどさ。あいつらがいきなり押してきたの。」
たらこはバスケ部の誰かといつもふざけてじゃれ合っている。
そしていつもついでのように俺にも絡んでくる。
わけがわからない。
塾のプリントを、たらこは俺の前に差し出した。
「この問題わかんないんだけどさ、『あたかも』という言葉を使って文章を作りなさい、って。そめさん得意じゃん、こういうの。」
俺だってわからない。
小さい頃からわからないままだ。
なんでたらこはいつも俺に絡んでくるのか。
なんで同じ塾に入ってくるのか。
なんで同じバスケ部にいるのか。
「俺もわかんないわ。それくらい、自分で考えて。」
隣の教室の授業も終わったらしく、椅子を引く音がガタガタと聞こえてきた。
俺はたらこを押しのけるようにして立ち上がると廊下へ向かった。
たらこに関わり合っている暇はない。
いや、正直言えばもっと話していたいけど。
寝不足のせいか、頭が痛い。
そろそろテストがあるというのに。
貼られたポスターや掲示を眺めるふりをしながら、廊下で風を受けた。
そめさんの声は、いつもより冷たくて疲れていた。
また遅くまで勉強してたんだろうな。
あんなに頭良くて、バスケも上手くて、なんでもできるのに満足してないみたい。
とりあえず俺を押してきた奴らは処すとして、どうしたらそめさん元気になってくれるかな。
悩んでも、特に思いつくことはない。
そめさんは、同じバスケ部でも特にみんなと絡むことがない。
必要最低限というか、「部員同士」の関係は作ってるけど、そこから「友達」に進まない感じ。
でもバスケ上手いし、顔も良いから密かにファンクラブできてるらしいし。
「⋯いいなぁ。」
廊下で風に吹かれるそめさんを見て、そう呟いた。
小さい頃からずっとそめさんを追いかけてきて、ずっと話しかけ続けて、追い越せたのは身長だけ。
せめて、隣に並ぶことができたらいいのに。
友達から進むには、どうすれば良いんだろうな。
⋯あ、いいこと思いついた。
そめさんのところ行こうっと。
たらこの姿が目に入った。
反射的に、話しかけなければと思った。
さっきの乾いた声を、謝りたかった。
たらこが、教室を出てこちらに向かってくる。
その途端、俺は自分の心臓がどこにあるのかがはっきりわかった。
ドキドキ鳴る胸をなだめるように一つ息を吸って吐くと、ぎこちなく足を踏み出した。
「あ、たらこ――」
俺が声をかけたのと、隣のクラスのやつがたらこに話しかけたのが同時だった。
たらこは一瞬戸惑ったような顔でこちらを見た後、隣のやつに何か答えながら俺からすっと顔を背けた。
そして目の前を通り過ぎて行ってしまった。
音のないコマ送りの映像を見ているように、変に長く感じられた。
騒々しさがやっと耳に戻った。
俺はきっと酷い顔をしている。
唇が震えているし、目の縁が熱い。
弾かれたようにその場を離れると、窓に駆け寄って下を覗いた。
裏門にも、コンクリートの通路にも人の姿はない。
どこも強い日差しのせいで、色が飛んでしまったみたいだ。
貧血を起こしたときに見える白々とした光景によく似ている。
俺は外にいる友達を探しているふうに熱心に下を眺めた。
本当は友達なんていないのに。
たらこの他には友達と呼びたいひとなんて誰もいないのに。
やらかした。
そめさんを無視したことになってしまった。
俺の迷いと決断を見たそめさんの表情が、どうしようもなく苦しかった。
せっかく思いついたこともできないまま、放課後に向かうことになった。
今日は委員会があるから、そめさんは部活来れないし。
「はぁ。」
溜息を吐く。
人間はどうして手とか口とかがこれしかないんだろうか。
もしも分身できたのなら、今すぐ飛んでいってそめさんに謝りたかった。
自分が作り上げた交友関係が、憎らしくなった。
本当に友達と言えるひとなんて、そめさんしかいないのに。
「そめさんと話したいな〜。」
ぐるぐるとそんなことばかり考えていれば、いつも通り授業の中身なんて頭に入ってこない。
俺はそめさんの隣にいられたら、それでいいのに。
帰りは図書委員の集まりがあったせいで遅くなった。
のろのろと靴を履き替えていると、体育館からバスケ部の掛け声が聞こえてきた。
もう九月というのに、今日も真夏日だった。
校庭に出ると、毛穴という毛穴から魂がぬるぬると溶け出してしまいそうに暑かった。
運動部のみんなはサバンナの動物みたいで、入れ替わり立ち替わり水を飲みにやって来る。
水飲み場の近くに座って、体育館の中のたらこを探した。
部活を休んだことがあまりなかったから、こうしてバスケ部の活動を見るのは新鮮だった。
たらこの姿がやっと見つかった。
なかなか探せないはずだ。
シュートの練習をしているみんなと離れたところで、ひとりボールを磨いていた。
風の通らない体育館の隅っこで背中を丸め、黙々とボール磨きをしているたらこを見ていたら、なんだか急に自分の考えていたことが酷く小さく、くだらないことに思えてきた。
立ち上がって水道の蛇口を捻った。
水をぱしゃぱしゃと顔にかけた。
冷たかった。
溶け出していた魂がもう一度引っ込み、やっと顔の輪郭が戻ってきたような気がした。
手のひらに水を受けて何度も頬を叩いていると、足音が近づいてきた。
後ろから「ねえ。」と声をかけられた。
たらこだ。
ずっと耳に馴染んでいた声だからすぐわかる。
顔を拭きながら振り返ると、たらこが言った。
「俺、考えたんだけど。」
ハンドタオルから目だけを出してたらこを見つめた。
何を言われるのか少し怖くて黙っていた。
「ほら、『あたかも』という言葉を使って文を作りなさいってやつ。」
「ああ、あれね。わかったの?」
「いい?よく聞いてよ⋯そめさんは俺を意外とイケメンだと思ったことが――」
にやりと笑った。
「――あたかもしれない。」
やっぱりたらこは、わけがわからない。
二人で顔を見合わせて吹き出した。
中学生になってちゃんと向き合ったことがなかったから気づかなかったけど、俺より低かったはずのたらこの背はいつのまにか俺よりずっと高くなっている。
俺はタオルを当てて笑っていた。
涙が滲んできたのはあんまり笑いすぎたせいだ、たぶん。
「ありがと。」
「なにが?」
「たらこは優しいよねって話。」
「やったぁ、やっぱ俺天才だからね〜。」
「じゃあ明日のテスト俺より高い点取ってみ?」
「ならそめさんは早く俺の背抜かしてくださ〜い。」
「あ、じゃあさっき褒めたの無しで。」
「嘘!嘘だから取り消さないで!」
きっと、こんな日々がいつまでも続くことを願う。
ずっと。
End。