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「風花」
その日、仕事が終わり、秘書室を出ようとした壱花は冨樫に呼び止められた。
「なにさっさと帰ろうとしてるんだ。
今日はちょっと付き合えと言っただろう」
いや、付き合えとまでは言われてませんよ。
暇かと訊かれただけですよ。
まあ、そこで私が阿呆なことを言って、話が終わってしまったんですけど、と思う壱花に、冨樫が言う。
「今日、実家に帰るんだ。
お前もついて来い」
えっ?
と壱花ではなく、木村たちが驚き、冨樫を見上げたが、冨樫はいつものように無表情だった。
結局、壱花は冨樫について、駅へと向かった。
滅多に乗らない路線の電車に乗る。
冨樫が電車代も払ってくれた。
ふたりで吊り革を持って並んでいたが、冨樫はなにも説明することもなく、無言で車窓を眺めている。
電車がガーッと音を立ててトンネルに入ったとき、外が暗くなり、窓に冨樫と並んで立つ自分が映った。
その姿を見て、やっぱり、この組み合わせはなんだか変だっ、
と思った壱花は冨樫を振り向き、訊いてみた。
「あのー、なんで冨樫さんが実家に帰るのに付き合ってるんですかね? 私」
だが、冨樫は振り返らずに、窓の方を見たまま言う。
「お前がいると、なんか気が楽だからだ」
口説き文句にも聞こえないこともないが。
相手が冨樫さんだから絶対違うんだろうな、と壱花は思う。
「お礼に晩飯くらいおごってやるよ。
母親には、うちで一緒に食べろと言われたんだが。
お前が気づまりだろうと思って、断っておいた」
はあ、ありがとうございます、などと言っているうちに、冨樫の実家がある駅に着いていた。
「ただいま」
久しぶりだと聞いているのに、冨樫は素っ気なくそう言い、玄関を入っていった。
「あら、ほんとうに帰ったのね」
立派なおうちの立派な玄関に立派な着物を着た冨樫によく似た美貌の女性が立っていた。
……不思議だ。
前に写真で拝見したときも思ったが。
冨樫さんはお父さんと同じ顔だという高尾さんに似ているが。
このお母さんともそっくりだ。
冨樫さんのお父さんとお母さんは似ていないのに。
子どもの顔って不思議だな、と思ったとき、富樫が母親に壱花を紹介して言った。
「秘書課の後輩の――」
そこで、冨樫はそれ以上の説明をするかどうか迷ったようだったが。
「風花壱花」
とだけ言った。
「か、風花です」
と壱花は頭を下げる。
冨樫の母、美玲は壱花を上から下まで見、
「この方があなたが今、お付き合いしているお嬢さんなの?」
と訊く。
『今』ということは、『前』の方がいたのでしょうか、と壱花は冨樫を見上げたが、冨樫は壱花を見下ろし言う。
「『今』もいないし、『前』もいない。
いても、この母親には紹介しない。
なにを言われるかわかったもんじゃないから。
ところで、電話でも言っといたと思うけど。
お父さんが行方不明になったとき配ったビラは?」
「晩ご飯食べて行きなさいよ」
「見つけたのなら出してよ。
お父さんが帰ってくる前にビラを見たいんだ」
今の『お父さん』のことのようだった。
前の父のビラを探すという行為が、今の父に対して申し訳ないことだと冨樫は思っているようだった。
「壱花さん、あなた、なにがお好きなの?」
ところで、この親子、まるで会話が成り立っていないのだが、いいのだろうか……。
ここで何が好きか答えたら、まるで冨樫さんの彼女みたいになってしまうな、と思いながらも、美玲の迫力には勝てず、
「ハ、ハンバーグですかね?」
と子どものようなことを言ってしまう。
冨樫は溜息をつき、
「じゃあ、ハンバークで。
でも、こいつは俺の彼女じゃないから。
社長の……」
と言いかけ、言い直す。
「社長と縁の深い人なんだ」
「あらそうなの。
まあ、それはそれとして、珍しくあんたが女の子連れてきたんだもの、もてなすわ。
中学校の班活動で、うちの家に班のみんなが集まったとき以来ね、女の子が来るの」
どんだけ昔の話ですか……。
冨樫はもうそれには答えずに、
「上の部屋探すよ」
と言って、二階に上がっていこうとする。
壱花も美玲に頭を下げたあとで、ついて行った。
「面白いお母様ですね。
そして、写真で見た以上のすごい美人ですね」
と玄関ホールを振り返る。
そこにはもう、美玲はいないようだったが。
「美人かどうかは知らないが、父もなにがよくて母と結婚したんだか」
そこで、冨樫はチラと壱花を振り返り言った。
「そういえば、お前とうちの母親、似たとこあるよな」
いや、どの辺がですか。
美しいところだといいのですが。
絶対違いそうですね、とその蔑むような冨樫の目線に思っていた。
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