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番外編 【新田は書店で気づかれないように立ち止まる】第六話
結局、新田はその本を一冊買った。
見本誌もあるし、内容は何度も読んでいる。買う必要は本来ない。だが、書店で売上として一冊積まれることに意味がある気がした。編集者の感傷だとわかっていても、そうしたくなった。
レジに持っていくと、さっきの店員が気づいた。
「あ、ありがとうございます」
「いえ」
「プレゼントですか?」
「……まあ、そんなようなものです」
本当は少し違う。
だが説明しづらいので、そのまま頷いた。
カバーをかけますかと聞かれ、不要ですと答える。
紙袋を受け取り、店を出る。
外は午後の光が白く、風が少し強かった。
駅前の雑踏のなかで、新田は紙袋の重みを手の中に感じた。たった一冊分の重みなのに、なぜだか思っていたよりずっと確かだった。
スマホが震える。
見ると、当の作家からメッセージが来ていた。
「書店、並んでるかな」
新田は思わず立ち止まった。
まったく、と思う。
こっちは仕事の合間を縫って、こっそり確認し、勝手に一喜一憂し、書店員の感想に救われたりしているというのに、本人はずいぶん間の抜けたタイミングでそんなことを送ってくる。
しばらく考えてから、新田は短く返した。
「並んでます。ポップも付いてました」
送信する。
すぐに既読がついた。
「え、ほんとに?」
「嘘ついてどうするんですか」
「なんか怖くなってきた」
「今さらです」
「新田さん、見に行った?」
「仕事です」
「行ったんだ」
「仕事です」
「二回言うと怪しいな」
新田はスマホを見下ろしたまま、小さく息を吐いた。
返信しようとして、やめる。
少し考え直して、結局こう打った。
「一冊、売れるのを見ました」
送ったあと、自分でも少しだけ驚いた。
余計なことを書いたかもしれない。
だが、もう送ってしまった。
相手はしばらく既読のまま黙っていた。
そして、ようやく返ってきた。
「そっか」
「なんか……ちゃんと誰かのとこに行くんだな」
その一文を見た瞬間、新田は目を伏せた。
たぶん、そういうところなのだ。
この作家の厄介さは。
そして、見捨てきれない理由も。
ちゃんと誰かのところに行く。
そんな当たり前のことを、当たり前じゃないみたいに受け取ってしまう人間。
だからこそ、書けるものがある。