テラーノベル
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エーファとクラウスは解散し、それぞれ帰路についた。
エーファは新品の本を片手に夜道を歩く。
それにしてもびっくりしたな、とエーファは思い返す。
はしごから落ちてしまったこともそうだが、まさかあの王太子殿下に抱き留めてもらうとは。
エーファは再び顔を真っ赤にした。
恥ずかしい。
穴があったら入りたい。
彼は王太子なのだ。
平民がそんな高貴な方に抱き留めてもらうなど、なんて恥ずかしくておこがましいことだろうか。
しかし、ささやかながらもお礼ができて良かった。
お礼をさせてもらえなかったら、自分の気が済んでいなかっただろうと思う。
彼のためになっていなかったとしても、とにかく良かった。
エーファは自分の気持ちを落ち着かせ、引き続き歩くのだった。
さらに 四ヶ月後、王宮にて。
クラウスは廊下でマルティスと鉢合わせた。
「これはこれは王太子殿下。最近公務においてミスが多いようだが、大丈夫ですかな?」
マルティスはにやにやとからかうように言う。
最近は特に忙しく、夜もまともに眠れていないのだ。
食欲もなく、常に体調不良のような状態で公務を行っているのだから、ミスが多くなるのは当然だった。
クラウスは、何か熱いものが腹を這ったような気がした。
しかし、にこりと笑んでみせる。
「大丈夫だ」
マルティスは下卑た笑みを深めた。
「そんな調子なのに、本当にご自身が次期国王にふさわしいとお思いですか?」
……最近ミスが増えたくらいで調子に乗って。
十五歳で公務を少しずつ担い始めてから、クラウスはほとんど完璧にこなしていた。
もちろん過ちを犯したこともあったが、クラウスは丁寧に、かつ迅速にこなしてきた。
人の欠点を粗探しして、 その傷を抉るとは、なんて汚い所業。
しかもクラウスは王族だ。
不敬罪で今首を飛ばされてもおかしくない。
だがマルティスは大臣で、これでも国家の重要な人材。
むやみに処罰することはできない。
クラウスの美貌からすっと笑みが抜け落ちた。
「見苦しいぞ」
途端、マルティスの醜い顔からも笑みが消えた。
身の程を弁えろ、とクラウスは吐き捨て、マルティスの横を通ってそのまま歩いていった。
クラウスが去った後、マルティスはぎりぎりと歯ぎしりをし、爪を噛んだ。
たかが子爵令嬢の子が生意気な。
由緒ある名門貴族出身の自分になんという無礼。
このまま黙って見ておられぬ。
少ししてクラウスに一泡吹かせてやろうという考えが浮かび、マルティスはほくそ笑んだ。
さて、何をしてやろうか。
その夜、クラウスはエーファの酒場に来ていた。
仕事はやっておくから、たまには気分転換に行ってきなさいと父王バルトロメウスが送り出してくれたのだ。
クラウスもそろそろ行きたいと思っていた頃なので父の言葉に甘えることにした。
カウンターの隅を陣取り、麦酒を少しずつ飲む。
しかし、今日はあまり酒が進まない。
マルティスにはあんなに強気に言ったものの、クラウス自身、時折自分が本当に国王にふさわしいのか考えてしまう時がある。
クラウスが無意識にため息をついた時、ふとカウンターテーブルを挟んでエーファがクラウスの前に来た。
クラウスが顔を上げると、先程まで注文を取っていたエーファがにこにこと笑っていた。
かわいいなと思いつつ、注文を頼んだわけでもないのにエーファが突然来たので、クラウスは首を傾げた。
するとエーファは手に携えていたグラスをクラウスの前に差し出す。
「りんご酒です。あまり飲まれないかもしれませんが、良かったら」
クラウスは目を見開いた。
彼が固まっていると、エーファは悪戯っぽく笑った。
「私からの差し入れですので、両親には内緒にしてくださいね」
エーファは茶目っ気たっぷりにそう言うと、笑みを深めて仕事に戻っていった。
クラウスは唖然としていたが、次第に胸の内が温かくなっていくような気がした。
嬉しかった。嬉しくて嬉しくてならなかった。
……君は、あの日もこんな風に俺を元気づけてくれた。
三年前の、あの日も。
幼い時から勉強も運動も良くできたクラウスは、周りからの並大抵でない期待を受けて育った。
両親だけはクラウスを慈しみ、心配し、たまには息抜きも必要だと言ってくれたが、周りの人間はクラウスを王の器としか見ていなかった。
母ナターシャが病死してからも毎日授業や稽古に励み、忙しない日々を送っていた。
そんな中、クラウスは物陰から聞いてしまった。
侍女たちの会話を。
「子爵令嬢の子の癖に」
「しーっ、声が大きいわよ」
「だって、子爵令嬢ってほぼ平民みたいなものじゃない。その子供が本当に国王としてふさわしいのかしら」
クラウスは怖くなってその場を離れた。
額を嫌な汗が流れた。
喉の奥から何か出てきそうで、油断したら泣いてしまいそうで。
クラウスが廊下を走っていると、バルトロメウスと会った。
バルトロメウスが屈むと、クラウスは父の前で立ち止まった。
「どうしたクラウス。そんな思い詰めたような顔をして」
バルトロメウスは心配で顔を歪ませ、息子の頭を撫でた。
父の優しく温かな手に、抑えていた涙があふれた。
バルトロメウスは何も聞かずに息子が落ち着くまで頭を撫で続けていた。
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