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私と铭轩の間に突然、颯懔がずいっと割って入って来た。 颯懔から発せられる精気のせいで周りの空気が振動してビリビリいってる。怒りが最高潮に達した時の颯懔の空気だ。


「おや、師匠のお出ましか」


「うちの弟子を誑かすのはやめて頂きたい」


「誑かすなんて失敬な。僕はいつでも本気。それに誰と房中術をするかまで口出するのは、職権乱用って言うんじゃない? 颯懔師匠」


ぼっ、房中術?!

なぜにそんな話になったの?

虫刺されからとんでもない方向へ話が転がってしまった。


口元に笑みを浮かべた铭轩を、颯懔が今にも飛びかかりそうな勢いで睨み付けている。怖くて口を出せない。


「真人になど誘われたら断るのは難しいでしょう。それに貴方の相手をしたいと言う仙女なら列をなして待つほど居るではありませんか。精気のまだ少ない明明を相手に選ぶ意味などないはず」


「分かってないねぇ。その時の激情とか高揚感とかも大事でしょ? それにさ、今回の蟠桃会は君が来たから、僕に集まる蝶が少なくなっちゃってるだよねぇ。君は不自由してないんだし、貸してくれてもいいだろう?」


ひいぃっ、そんなに颯懔を挑発しないで欲しい。

双方をキョロキョロと見比べるしか出来ずに固まっていると、西王母がパンっと手を叩いた。


「そこまでにしておきなさい、二人とも。わたくしの宴を台無しにするつもり?」


「西王母様、申し訳ありません。つい熱くなってしまって」


「颯懔も、いい加減その精気をしまいなさい。桃の花が散ってしまっているではないの」


すぐ脇に生えている桃の木の下に、いくつか花びらが落ちていた。それを見た颯懔が頭を下げた。


「……申し訳御座いません」


「铭轩や、明明を可愛いがりたいのは分かるが勘弁してやってくれ。なんせ明明は颯懔の婚約者じゃからの! 手出し禁止で頼むぞ」


ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ、と愉快げに笑う太上老君とは対照的に一同は目を見開いて固まった。


「「「うぇぇええええっっ!!?」」」


老君様ーーー! このタイミングでなんて事をっっっ!


せっかく颯懔と可馨がよりを戻したのに、私が婚約者なんて話が出たらまたややこしい事になってしまう。私の事なんて気にせず婚約破棄してくれても構わないぞ、と念を込めて颯懔の方を見たが全く伝わらなかった。铭轩にこれまたいい顔で笑いかけている。


「そういう訳ですので铭轩様。どうか手をお引き下さい」


「おいおい、そんな落ちかい。早く言ってくれよ。人のものに手を出すような趣味は持ち合わせてないんでね」



いやぁぁぁ!!

もう泣きそうになってきた。話を聞き付けた仙女達の視線に射殺されそうだよぉ。

可馨にもまさか……とちらりと視線を移すと、これまでの可馨からは考えられないような顔でこちらを見ていた。


ほらほらほらほら!

この状況はまずい。颯懔が後でちゃんと誤解を解いてくれないとおかしな事になる。



「ろっ、老君様。その話は秘密にしておいて下さいと言ったはずでは……」


あとの祭りだけど、言わずにはいられない。


「なぁに、どうせそう遠くない未来に結婚するんじゃ。この際だから公にしておいた方が良いというもの。今のようにラブラブっぷりを見せ付けておけば、なーんにも心配はいらぬぞ」


ラ……ラブラブ……。


頭がクラクラしてきた。


「老君様、明明は疲れているようなので今日のところはこの辺でお暇させて頂きます」


「うむ、明日の仕事に支障を来さぬ程度にしておくようにな」


「それはもちろん」


意味深な目配せを送る老君と、にこやかに見送る他神人達。


仙女達から冷たい視線を浴びながら、桃園を退出して行くよりほかなかった。




私の手を引っ張って颯懔はずんずんと回廊を歩いて行く。行き先は多分、私が宿泊している部屋。御客が宿泊している棟とは別の棟にある。


「铭轩様は悪い御方ではないんだが少々女癖が悪い。わざわざ蟠桃会の前には毎回、離縁なさってから来ると言う話だ」



蟠桃会の前に予め離縁しておく夫婦が多いと言う話は紅花から聞いていた。配偶者を変える一大行事みたいになっている。不老を謳歌する仙人ならではの考え方だ。

颯懔は硬派な考えの持ち主なので、こう言う軟派っぽい行いは許し難いのかもしれない。



「でもそれって铭轩様に限ったことではないですよね」


「なんだ。助けて貰った礼も言わずに铭轩様の肩を持つのか」


「助けて貰ったって一体、なんの話しをしているんですか。私としては急に師匠が割って入ってきて怒り出して、挙句の果てには老君様が秘密を暴露するわでしっちゃかめっちゃかですよ」


「あー。なんでこうお主はなんにも知らぬくせして自信満々に突撃して行く。恐ろしいわ」


「何にも知らないって失礼です!」


これでも結構経験積んでるのに。仙薬は誰にも負けないくらい色んな種類を指示書なしで作れるし、料理や洗濯も一通りできる。死線だって何度も超えてるのに!


両手で顔を覆って嘆いていた颯懔が、不意に肩を掴んできた。


「え……いっ、いたっ!」



一瞬、噛み付かれたかと思った。



首の付け根辺りに顔を寄せてきた颯懔に、強く吸い付かれるようにして口付けされた。


「な、何してるんですか、急に!!」


「部屋に戻って鏡で見てみろ」


不貞腐れたように言い残して、颯懔は行ってしまった。話しながら歩いているうちに、いつの間にか女性用の棟の前まで来ていた。


「もうっ、なんだって言う…………ぅわ……」


部屋に入って言われた通りに銅鏡を覗くと、首にはくっきりと紅い跡が付いていた。


「これは皆んなに笑われるわけだ……」


口付けで跡が残る事があるなんて知らなかった。今更ながら、ものすごく恥ずかしい。



颯懔が私を助けてくれたのは、私が何も分かってないから。

指導者としての使命感と責任感からきているものだ。



「だって可馨様がいるもんね」


こんな跡を付けておいて他に想う人がいるなんて酷い。硬派なんて思ってたけどやっぱり撤回する。


ボタボタと頬を生暖かい水滴がこぼれ落ちて行く。



――私、蛇になる。



これ以上颯懔の事を考えたら、想いを寄せてしまったら、私も颯懔が言うあの『蛇』と呼ばれる存在になってしまう。

横恋慕なんて最低だ。これまで良くしてくれた可馨に顔向けできない。


この気持ちがバレてしまったら弟子としてだって側にいられなくなってしまう。それだけは絶対に避けたい。



「師匠の言う通り、私何にも知らなかったな」



40年近く生きてきて、私は初めて失恋した。


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