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この人間社会には、人間と、よく似た姿のそれ以外が存在している。
私、とうに人間として与えられた名前を名乗らぬ私は、これから同族となる方々とまさに正対している。午後の日差しが暖かい光をもたらすヴェネツィアのカフェで、テーブル越しに人ならぬ彼は話を切り出す。
「よーし、まずは自己紹介からだね。新入り」
褐色の肌に黒い髪をポニーテールにした若い青年は私にそう言って翡翠のような眼で私を見つめた。私についての情報は私へここに来るよう指図した者から聞いているはずだ。なのにもう一度私から聞くことなどはあるのだろうか?私が彼を凝視していると、翡翠の眼の青年は何か納得したように深く頷き
「勿論君の事は聞いている。疑い深いって話も本当みたいだね」
「当然だ。私は何でも手放しに信じたりはしない」
「やっと喋り出した!うんうん、世の中疑う事は大事だ。最近はそれの出来ない人も多いからね」
どうやら話に乗せられたらしい。手強い奴が多いというのは聞いていたが、これほど簡単に懐柔させられかけるとは思わなかった。私が咄嗟に口を閉じると、目の前の彼は湯気の立ったコーヒーを一口飲んでまだ芝居がかった口調で
「よし、では私について話そう。私はアトラ。今は私らの仲間と話したり、目的に協力してくれる君みたいな新入り君の教育係とかをしている」
「目的に協力?一体何の話で?」
私が頭に浮かんだ疑問を先程の反省も一切交えず尋ねると、アトラは深く呼吸をして、人間と瞳孔まで同じ形の瞳で私を見つめ返す。
「死ぬ方法を探し出すことだ、死にたがっている君にはぴったりの目的だろう」
このアトラという男は変わっている。アラブの王族を思わせる貌で、その振る舞いからはその雰囲気を感じさせない。現に私に対して、滅亡した国の王族であったと語るが、道化の戯言のように聞こえる。しかしその整った顔を見ていると、道化の戯言が途端に真実のようにも見えてくる。この者の話は偽も真も超越した、答えのない何かのようである。何であるのかは、不明確な。
「仮にあなたが王族であるのなら、そのような振る舞いを見せてはどうだ。その方が信用における」
私の言葉を聞くと、アトラは二転三転とさせていた表情をつまらないの一色に染め上げ
「失った権力に縋り付けって?これは単なる話のタネの一つであって、そんな馬鹿らしいことしたら、先代にも顔向けできないよ。今はただの一般市民なんだからさ」
信用なんか普通の人のフリをしていれば得られると続いて話したアトラは、再び表情をころころと変えていく。連続しているようでその感情はつながっていない。彼にとっては話し終わった事も過去なのだろう。切り替えが早い、いやこれは最早狂人の域か。
「そんな訳で、そろそろもう2人の仲間が来る。一人は君の大好きなお友達、セレンとほぼ同い年だよ」
私を今の状態に引きずりこんだ男の名前を口にして、アトラは街の方へ手を振る。つられてそちらの方向を見やると、川からの反射光と若い男女が歩いてくるのが見えた。背の低い、女性の方が手をあげている辺り、彼らがアトラや憎きセレンの仲間なのだろう。見たところ普通の人間と何も変わらず、アトラも、見せかけは普通の人間で、それは私だって先天的に色素が薄いことを除けば同じだ。しかし、もしここで銃を使ったテロでも起きてみればいい。私たちに潜む人外は、そこで姿を露にする。
「そんな訳で雑に二人を紹介すると、茶髪のこの可愛い女の子がアレクシア。君が仲間になるまでは最年少で、まあツンツンしてるから適当にからかっといて。んで、こっちの長身の青年がシン。一応私たちの最年長で、私よりもずっと歳上だ。あーでも敬意とかそういうのは大丈夫、一番気さくな奴だよ」
紹介された二人が、簡単に宜しくという旨の挨拶をしたのを私は聞き、立ち上がり
「アンドレイです。よろしくお願いします」
頭を深く下げて、そう挨拶した。もう少し肩の力を抜けないかと人間の頃から言われていたが、どうにもそれは苦手だ。それでも空気を場の空気を一切変えない彼らには、目をみはってしまう。
「ねー、セレンの言う通り真面目でしょー。心開くまでこれだってさ、先長そうだよ」
冷めてきているコーヒーを一気に半分くらい飲んで、アトラが賞賛する様にも嘲笑するようにも聞こえる語調で言う。二人が隣のテーブル席に着いたのを確認し、私も着席すると、この場を仕切る者の話し始めを待った。
「うん、えーっと、何話そう。何か話したいことあるよーって人」
アトラが特にアレクシアとシンに視線を向けながら、手を例示としてあげて、こちらの反応を伺っている。その真意を受け取ってであるのか、両者は表情を変えずに手をあげる。もしも、ここまで全てが計算された、または偶然にも連携を取ってコミュニケーションとして成功を成し、私を自分たちに馴染ませよう、または私の内面を出させようと思惑しているのだとしたら、人間社会でなによりも彼らは連携の取れた存在であると断言できる。若い頃から、私は人の発言の意図を理解し、遂行することは得意であったと思う。しかしその私ですら、彼らが何を望まんとしているのか、その奥底までは見えない。
「おお、二人とも新人好きだねー。じゃあ、気分的に今日はシンから話して。アレクシアは、手おろして大人しくしててね」
アレクシアがアトラの方を見ながら手をおろすと、シンは頷き、私の方へ目を向ける。染めているのか、生まれつきなのか分からない黒に近い紫の髪に、時代がもっと遅ければ金色とでも呼ばれていそうな黄みがかった茶色の瞳は、全く何を考えているのか分からない。
「簡単に言うと、俺らは単に不老不死なわけじゃない。オプションなのか、この種族の特徴なのかはまだ不明だが、いくつか人間なら持っていない力を持っている」
声だけなら大学生くらいの年齢に見える青年はそう切り出して話を進めていく。話によれば五千年以上生きるアトラがずっと歳上と語るこの青年は一体何歳なのだろうか。セレンも年齢は普通に四桁の域に達していたが、金眼のこの男は、それ以上に生きているのかもしれない。
「まずは再生。推測だが、太陽に飛び込んだって蘇る。脳細胞を破壊された場合における自己の連続性についてはまだ研究中と言ったところだが、今一番有力な見解としては、肉体が全壊されると、瞬時にそうなる前の状態に一瞬で復元されるから、自己の連続性はあるってのだな」
今の若者らしい話し方でシンはそこまで話すと、ウェイトレスが運んできた熱い紅茶を受け取り、そのまま一口飲む。そういえば、食事はしても平気なのだろうか?アトラもずっとコーヒーを飲んでいるが、一週間飲まず食わずの私は空腹を感じていない。何か食事を取るとどうなるのか。私が目の前の氷の輝くカフェオレへと口をつけない理由はそこにある。
「一応、飯の説明でもしとくか。食事は取れる。摂取しても最初のうちは違和感もない。でも胃の中に飯を入れるのは一日未満にしておけよ?それ以上ほっとくと胃の中で食べ物が腐ってすごい臭いが内側からしてくる」
私は彼らに則って正直に手をあげてみる。
「話してくれ」
シンは私にそう指示を出したので、何が聞きたいのか、既に読めているのかもしれないが一応話してみる。
「そうなれば食事は定期的に吐き出すべきである、という解釈で間違い無いだろうか。それともう一つ、では私は最初にセレンから用意された彼の血液を飲んだ。あれは消化されている?」
「なかなかに鋭いな。ずっと飲み物に口をつけなかったことも、最初の血の話も。 まずは食事は吐かないとってので合ってる。それと二つ目は、俺らの血に入ってる、体を作り替える何らかの物質が体に吸収されて作用してから、体の機能は停止する。だから、血は消化されている。心配しなくても、君の体は何も食べていなければ空っぽだ」
私は短く返事をすると、シンの話を聞く体勢に戻る。この見せかけの人間の語ることは有益だ。聞く価値に値する。
「で、もう一つは身体強化。今はまだ普通の人間くらいだと思うけど、時が経つと人間の範疇を越えた力が出せるようになる。恐らく一人で自然界を生きられるようにだ。本当に、今はまだ分からないと思うけど」
そうだ。全く理解できない。確かにセレンはかなり優れた運動神経を有していたが、それと同じ現象が自分に発生するということは不思議なことにどうも納得しがたい。
「まあ、多分信じられないって思うけど、アトラもアレクシアもセレンも、俺らの仲間じゃないけど、カインもヘンドリックもそうだったから例外は無い可能性がある」
私は息を吐き出し、溶けかけの氷の入ったカフェオレに口をつける。どうにも後から吐き出さないければならないという事実は抵抗感を持たざるを得なかったが、人間とは別の新しい生命体となってしまったのだから、その生活様式に慣れなければいずれ心の方が死んでしまう。私の中の人間を守るためにも、こうしなければならない。私がストローから中途半端な苦味を感じている様子を、アレクシアと呼ばれていた女性がずっと見ていた。私が彼女の方を見ると、彼女は話し始め
「やっと私の番がまわってきたか。まあ大抵のことはシンが話した通りだ。私から言えるのは一つだけだ。お前、呼吸はしているか?」
私は頷く。呼吸をするのは生物として当たり前じゃあなかろうか?息をしなければ苦しい、そして理由をなく呼吸をしないなんてことは有意義には思えない。
「一回やめてみろ。苦しくもなんともないぞ。最初のうちは違和感が凄いかもしれないがな」
指示に従ってみると、確かに不思議と苦しいとは思わないが、なんというのだろう。当たり前のことをしていないからか、体の中が空っぽになっているかのように感じた。まるで肺が重りになっているような、その側で静観する心臓がむき出しになっているような、全てが不要になった中身の、悲痛な訴えのようにも思えた。
「実際、肺だって機能していない。我々は呼吸しているようで吸った息をそのまま吐き出しているだけなんだ。もう自分の身体で動いているのは脳だけだと思った方がいい」
アレクシアはアイスティーを一口飲む。その表情は先程の二人とは異なり、どこか寂しげに感じられた。一番若いというアトラの話は本当なのだろう。そんなことを考えながら、私もまたカフェオレの味を舌に感じる。どうやら、味覚は働くらしい。生命体として私を造り替えたとしても、脳が味を出力することくらいはしてくれるらしい。
「それについて私から一個補足だ!ものを食べた後は吐くまで激しく動かない方がいいよー。胃が食べ物出さないようにとかしてくれないからさ。つまりは倒立したら食べたものが全部胃液に混ざって出てくる」
アトラがそうやって口を挟むことに対して、アレクシアは不快そうな色を顔に出している。一番彼女がこの三人の中ではわかりやすい。それは嘔吐の時になによりも楽そうだ。そんな風に私は返した。我ながら彼らの予想しないような上手い返しが出来たように感じている。一体どうして、こうにも彼らに心の奥底を知られたくないのかなんて、初めからわかってはいないのだが。そういえば、明日から、厳密には今日ここで三人と合流した後は、セレンの用意した戸籍と住所で生活することになる。莫大な大金を払って政府に戸籍を用意させたなんて話を聞いたが、一個人の大金でそんな真似をするのは彼の生まれ故郷のような財政難な国しかないような気もしている。そこで問い詰めたところで、口を割らないかまた適当なことを言われるのがオチであるが。アトラは、冷め切ったどうせ後から吐き出すコーヒーを一気に飲み干すと、大きく息を吐き出して、私の方へ新緑色の目を向ける。
「今君がなんとなくだけど、一人で生きてこうとしてるように思えた。確かにいきなりもう人間じゃありませーん謎の生命体ですと言われて心細い気持ちは分かるが、不幸にも最初の50年くらいは私たちが君の生活のサポートをする。社会で必要な処世術から我々特有の再生やそれの速くなる死に方のコツまで、一人で生きていけるようになるまではちゃんと育てるから安心してくれ!」
何人かの視線がアトラや、その仲間に思われているに違いない私たちへと向けられている。私は声を潜めて
「多くの人に見られている。それにあのような人智の範疇を超えた話をした後では、流石に多くの人に聞かれてしまっているのでは?一旦場所を変えたりした方が……」
恐らく彼に策の一つはあるだろうが、一応申言しておく。すると緑眼の人間もどきは腹を抱えて笑い出し「大丈夫、ほらよく言うでしょ?死人に口なしって。私を見てて、後は何も見なくても聞かなくてもいい。その状態を十秒間保ってみてくれ」
アトラは私の耳に指を突っ込み、その手で私の顔を固定し、首の角度を変えられないように仕向けてくる。その上私にこのままならキスでも出来るのではないかと思えるほどの距離で顔を近づけてくるので、銀幕の向こうの景色など殆ど見えなかった。床の振動で、アトラが靴を鳴らして十秒を数えている。これほどまでに他の者が近くにいるなんて、人間の頃から未経験の事実であったためか、それくらいしか感じられなかった。
「よーしお疲れ様、さぁ周りを見てごらん」
言われた通りに辺りを見回してみると、先ほどまでほんの些細な周囲の音として当たり前のように生きていた人間という生き物全てが、真っ赤な血の海を構成していた。私は驚きを隠せず辺りを見回すが、先程まで隣のテーブルにいたシンとアレクシアは姿を消していた。一体何が起こっていたのか、緑に魅せられていた私には、スクリーンの遥か先のことなど、理解できなかった。静寂に人間のもののような規則的な足音がしたので、私は何故か安心してしまいその音の方向を見る。そこには、体も服も真っ赤に染めたシンとアレクシアがいた。
「アトラ、始末ならした。ったく、銃が使えない場所はやはり嫌いだ。シンもそう思うだろ?」
「まあな、でもちゃんと十秒で終わったし、後は着替えて裏口から出ようぜ」
今ここで大虐殺を行ったにも関わらず、何とも思っていないかのように語っている。私はそんな彼らに、何か我慢ならないものがあった。
「ちょっと待ってくれ!」
二人は持っていたバッグから取り出した服を着ようとする手を止めて、私へと視線を注ぐ。
「どうした新入り。お前はアトラと外で待ってろ。モップで血痕を拭きながら進んでくれよ。まあ今日はアトラがやってくれているがな」
「えーっと、アレクシアは一応性別上俺らとは違うからな。着替える時に人が多いの嫌いなんだ。悪いけど、俺からも先に待ってて貰えると嬉しいよ」
私は怒りを収めること無く彼らへより食ってかかる。そうだ、この多くの命を奪っておいて何の罪の意識も持たない、人間をまるで消費するものであるかのように扱うその態度が、耐えられることのない苦痛なのだ。
「そういう話ではなく、今お前たちは……」
何をしたか分かっているのか、と続けようとすると、アトラに腕を掴まれ、そのまま引っ張られる。
「はーい外で待ってようねー。騒いだらここで腕が千切れると思いなー、最初の再生は時間かかるよー」
私は理不尽な大虐殺の前で、何も出来ずに部外者にされるのみであった。