客入りの増える休日には出来るだけ長く出るよう依頼されているらしく、例外なく邦和も午前から出払っていた。
「お一人で大丈夫でしょうか」「なんならご一緒して頂いても」等と未練がましく言い募る邦和を締め出すように追い払ってから、既に七時間が経過している。
時刻は午後五時。邦和が延長の依頼をされていなければ、そろそろ上がった頃だろう。
(……休憩すっか)
課題のレポートを叩き込んでいたノートパソコンを閉じた功基は、両腕をぐっと伸ばしてから、のそりと立ち上がった。
思えば自分で『宝箱』を開けるのは久しぶりだ。邦和が来るまでは毎日開けていたのにな、と感慨深く扉を開き、綺麗に並べられたティーカップのひとつを取り出した。
ついでに茶葉の残りも確認しておこうと、積み重ねた缶の中身も一通り確認して、頭の中でリストを作っていく。追加で購入するモノ、入れ替えるモノ。こうして考える時間も楽しみの一つだ。
邦和にも相談しようか。そんな考えが頭を過ぎったが、どうせ「功基さんのお好きなように」と言われるだけだろう。
(報告だけでいっか)
アールグレイの茶葉とティーポットを手に立ち上がる。
と、なんと無しに置いていた家の鍵が視界に入り、功基は動きを止めた。
邦和が帰ってきたのは、更に一時間が経ってからだった。
「ただ今戻りました」
「おー、おつかれ」
「っ、功基さん」
絶望的な表情に、功基は何事かと顔をこわばらせる。
「な、なんだよ」
「……ご自分で、お淹れになったのですか」
「そりゃ、お前がいなけりゃ自分でやるに決まってんだろ」
「……来週以降は、なんとしても短時間に」
「アホか、ちゃんと働いてこい」
出てこれない理由が『紅茶を淹れる為』では、他の従業員があまりにも不憫である。
「そんなコトしたら家にいれないぞ」と脅しをかけてから、「とりあえず座れ」と邦和を手招いた。
不思議そうにしながらも邦和が机の側に正座をしたのを見届け、功基は意を決して握りしめていた右手を机上に乗せた。
コトリと音をたてたのは、この家を借りた時に大家から渡されていた、もう一本の鍵である。
「……やるよ、ソレ」
邦和が勢い良く顔を跳ね上げた。
その両目は珍しく、限界まで見開かれている。
「功基さんっ……!」
「あーホラ、オレ、朝とか寝起き悪いだろ。放課後だって、しょっちゅう図書室で待たせてっし。悪いと思ってたんだよ、一応。コレがあれば、好きに入れんだろ」
視線を合わせられないままそこまで言い切り、待てども反応のない邦和に急に不安が勝ってきた。
(さすがに重かったか!?)
今更ながら、これではまるで、もっと尽くせといっているようではないか。
「っ、悪いオレ――」
そういうつもりじゃなかったんだ。
伝えようと邦和を見て、功基は喉まで出かかっていたその言葉を飲み込んだ。
信じられない。そういうように口元を右手で覆った邦和の頬はこれまでに無く紅潮し、気付けば常に功基を映している双眸は銀の個体から離れないまま、微かに揺れ動いている。
あからさまな歓喜に、功基は何故か自身の頬が熱くなるのを感じた。
(っ、なんでオレが)
「……ありがとうございます、功基さん」
ガラス細工に触れるかのように、邦和がそっと鍵を包み上げた。
「俺、いま、凄く嬉しいです」
「っ!」
ドクリと胸打つ心臓。
自覚した途端に、功基の脈拍はどんどん速くなっていく。
(なんだよ、これ……!?)
胸を押し上げ騒ぎ立てる鼓動に、功基はただただ混乱した。
必死に取り込んだ酸素が、妙に甘く感じる。
生まれてこの方感じたことのない沸々とした熱に全身を支配され、功基は思わず顔を伏せるも、邦和がそれを許さなかった。
「功基さん、駄目です」
常よりも艶のある低い声を耳元に落とされ、功基の肩がビクリと跳ねた。
「ちゃんと、俺を見てください」
するりと頬を滑った指先が、壊れ物を扱うように功基の頬を包み込む。
力は込められていないというのに、確かな意図を持った掌に顔を上げるよう促され、途端、視界を埋めた邦和の表情に、功基は息を止めた。
どうしてそう、飢えたような、熱のこもった目を――。
「功基さん」
「っ、くに」
見つめる邦和の顔が、困ったような笑みに変わる。
「……あまり、俺を喜ばせないでください」
途切れたように緩んだ空気と、離れていった体温。瞬間、魔法が溶けゆくように、功基の身体の隅々まで張り詰めていた緊張が解けていく。
へたりと手をついた床の冷たさに気を取られているうちに、立ち上がった邦和がチャリ、と鍵を鳴らした。
「せっかく頂いた『褒美』を裏切らぬよう、これからも精進致します。では、お夕食の準備を致しますので、少々お待ち下さい」
邦和が台所へと歩を進めていく。功基の視界から、邦和の姿が消えた。
だというのに。
(心臓、やばい)
収まる気配のない動悸に、功基は胸元をギュウと握りしめた。
おかしい。こんなコト、今まで一度も。
(これじゃあまるで――)
「っ!?」
なんだ? オレは今、何を思った?
浮かんだ『可能性』に、功基は信じられない思いでいた。
いや、そんな、まさか、でも。
否定の言葉をどれだけ並べても、結局最後はその『可能性』に戻ってきてしまう。
「……まじかよ」
『アイツのコトを好き』だなんて、絶対に『ありえない』筈なのに――。
***
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!