その公園は大通りから少し入った所にある。
飲食店がさほど多くない一角だからか、あるいは店の中でちょうど盛り上がっている時間帯だからか、通りを行き交う人の姿はまばらで、辺りは静かだった。
「あそこに座っていて」
山中は公園の片隅に置かれたベンチを指し示した。みなみが腰を下ろしたのを確認して、近くにあった自動販売機に向かう。戻って来た時にはペットボトルの水を二本、手にしていた。
「これ、良かったら」
「ありがとうございます」
みなみの手がそれが受け取った後、山中はベンチの端の方に腰を下ろした。無言でペットボトルをもてあそび始める。
みなみはそわそわした。話すきっかけを探しながら、山中をまねたわけではないが、ペットボトルの表面を意味もなく指で撫でる。
沈黙を先に破ったのは山中だった。
「今夜の月はずいぶん綺麗だね」
夜空を仰ぎ見る彼の視線を辿り、みなみも煌々と輝く月を見上げる。
「本当ですね。あと数日で満月というところでしょうか」
「しかし、こんな風に夜空なんか見たのはいつぶりかな」
「会社にお戻りになるのって、毎日遅いんですか?」
「まぁ、そうだね。大きな案件がいくつか重なってしまったからね」
「そうなんですね。お疲れ様です」
「はは、ありがとう」
そこで会話が途切れてしまった。初めてランチを一緒にした時のように、山中が会話のリードを取ってくれるだろうと思っていたが、彼も口を開かない。彼の様子を窺おうとした途端、視線と視線がぶつかった。慌てて目を逸らそうとしたが、山中の瞳につかまってしまう。
「……あのさ。白川さんと何か話した?」
みなみは動揺した。とうとう倉庫での一件に触れる時が来たかと緊張する。
目を泳がせるみなみに山中は微笑み、さらりと続ける。
「岡野さん、あの時倉庫にいたよね。俺たちの話、聞こえていたんじゃない?別に責めてるんじゃないんだ。仮にもし、俺と白川さんのことで何か誤解してるようなら、説明しておこうかと思うんだけど」
山中に食事に誘われた時には、この件について極力避けたいと思っていた。しかし今はもう、彼に対するわだかまりのようなものを一つでもいいからなくしておきたい。みなみはごくりと生唾を飲み込み、話し出す。
「遼子さんと昨夜色々とお話しました。それで、ですね。あの時私があの場所にいたのは本当に偶然なんです。ただ、お二人の声が聞こえたから会話の内容が気になってしまって、つい立ち聞きを……。申し訳ありませんでした」
頭を下げるみなみに、山中は意外なほどあっさりと言う。
「さっき言った通り、責めるつもりはないから謝らなくていいよ。それで?白川さんと話した結果どう?彼女、言ってなかった?俺のことは、恋愛対象外だって」
ここで頷いていいものかどうか、みなみは迷った。
その反応を見て、彼はくすりと笑う。
「白川さんが俺をふった話も聞いた?」
「はぁ、まぁ……」
「そっか、それも聞いたか」
山中はあははと笑う。
「昔そういうことがあって、俺は見事にふられてしまったんだ。そして彼女は、その頃からの恋人と今度結婚する。俺が白川さんを好きだったことは会社では誰も知らないし、今さら知られたくもないから、あの時偶然会った倉庫でお祝いの言葉を伝えたんだよ。以前ばっさりと斬られた時の仕返しに、嫌味のひとつも冗談で言ってやろうか、なんて思いながらね。ちなみに、当時のことを根に持っているわけじゃないよ。彼女に恋愛感情を抱いていたのは過去のことであって、今では頼れる大切な同僚だ。退職は残念だけど、彼女には幸せになってほしいと、心から思っているよ」
にっこりと笑って彼は話を締め括った。
そこで頷いて終わりにすれば良かったものを、みなみはつい訊ねてしまった。
「それならあの時、補佐が寝言で言った『りょうこさん』っていうのは、何だったんですか?」
山中は面食らった顔をした。
「寝言って?」
みなみは手の中のペットボトルに目を落とした。
「歓迎会の後、補佐が私の部屋で休まれた夜、聞いてしまったんです。そう言っているのを。だからずっと私、補佐の気持ちは遼子さんにあるんだと思っていました」
このまま話し続ければ、嫉妬心が紛れ込んでいることに気づかれてしまうかもしれない。そうは思うがみなみの口は止まらない。
「今はもうそういう感情はないと口では言いつつも、実はやっぱりまだ、遼子さんのことが好きなんじゃないか、他の人間が入り込む隙はないんじゃないかって……」
「ちょっと待って」
山中の声がみなみの言葉を遮る。困惑しているのが分かった。
「俺が寝言で白川さんの名前を呼んでいたって?正直、確かにあの頃まではまだ多少引きずっていた所があったから、完全に否定はしないけど……」
山中は言葉を切り、みなみの顔をのぞき込む。
「岡野さんはその時からずっと誤解したままだったってこと?」
「そうなりますね……」
「今日岡野さんと話せて良かったよ」
山中は心底ほっとしたような表情で、ため息をついた。
その時、膝の上に置いていたバッグの中から携帯電話の着信音が聞こえた。みなみは急いで中を探ったが、手が届いたと思ったと同時に着信音は止まる。
苦笑の気配を漂わせながら、山中が言う。
「かけ直したら?」
「いえ、急ぎの用件なら、またかかってくるでしょうし、もう遅い時間ですから、かけ直すにしても明日にしようかと」
言いながらも、念のために電話の相手を確かめておこうと考える。みなみはスマホを取り出して、画面に目を落とした。
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