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「そういえば」
「ん?」
「『また』って何ですか?」
「は?」
「黛に雄大さんと別れろって言われたこと、『またか』って言ったでしょう?」
「言った……っけ」
珍しく歯切れが悪い。
私は踊り場で雄大さんのスーツの裾を引っ張って、立ち止まった。
「雄大さんも黛に言われたの?」
「いや?」
「じゃあ、何で?」
「……」
「気になるんですけど?」
「気にすんな」と言って、振り返りもしない。
「そう言われると、余計気になるんですけど!」
「言い間違えただけだ」
振り返りもしなければ、言い方もそっけない。
大したことではないのに、妙に気になって、やけに苛立った。
スーツの裾を離すと、雄大さんはまた階段を上り、けれど私はその場を動かなかった。
五・六段で足を止め、ようやく振り返る。
「馨?」
大人気ないのは承知で、私はわざと頬を膨らませて、不機嫌さをアピールした。
「何だよ」
「私のことは何でも聞き出すくせに」
「だから何でもないって」と、面倒臭そうにため息をつく。
それが、とても嫌だった。
「あ、そ!」
私は顔を上げて雄大さんを睨みつけると、階段を駆け上がった。
「おい!」
ドアノブに手を掛け、振り返る。
「結婚、しない」
「は?」
「雄大さん、秘密ばっか」
「はあ?」
訳が分からない、と言った顔。
自分でも不思議なほど、苛立っていた。私にしては、珍しい。
「いくら、本物じゃなくても、隠し事ばっかりはイヤ」
「隠し事なんて——」と言いかけて、雄大さんの表情が変わった。
思い当たることがあるようだ。
『それ』が私の言う『隠し事』のことかはわからない。
雄大さんがまた、ため息をつく。
「黛のことなら——」
「私だけ!」
階段室に、声が響く。
私が大声を出して、雄大さんは驚いたよう。
「私だけ……何も知らないのは……嫌だ」
「馨、何の話を——」
「心当たりがたくさんあるんだね」
可愛くない言い方だと、わかっている。
雄大さんがムッとしているのも。
「隠し事があるのは、お互い様だろ」
低い声が、空気にのってゆっくりと階段を上る。
「俺は自分の女を他の男と共有する趣味はない」
「え……?」
何が言いたいのか、本当にわからなかった。
「お前、元彼と完全に切れてるか」
「何……それ……」
私と昊輝の仲を疑われてる——?
雄大さんの唇に口紅の痕を見つけた時、嫉妬はした。浮気だ、とも言った。
けれど、本気で裏切られたなんて思わなかった。
酔ってはいても。
だから、春日野さんとの食事も勧めた。
雄大さんも私を信じてくれていると、思っていた。だから、昊輝と会うことを正直に話した。信じてくれているから、許してくれたんだと思ってた。
「元彼と二度と会わないって約束できるか?」
昊輝と、二度と会わない——?
答えはすぐに出た。
そんなこと、無理だ。
会えないことが嫌だとか、寂しいだとかじゃない。
不可能。
けれど、不可能な理由を説明出来ない。
「浮気……してると思ってるの……?」
「ある意味、そうだな」
「何……それ……」
「セックスだけが浮気じゃないだろう」
え————?
「気持ちの問題だ。お前の中に、元彼への気持ちが少しも残ってないって言えるか?」
「残ってない」
「じゃあ、どうして二度と会わないって約束できない?」
「それ……は……」
「お前と元彼は、俺にはわからない深いところで今も繋がってんだよな」
そう言ってため息をつく雄大さんは、悲しそうで寂しそうだった。
「過ごした年月は変えられないから、仕方ないのかもしれないけどな。けど、元彼とはしなかった結婚を俺とはするんだぞ」
過ごした年月……。
『私と雄大は二年、付き合ったわ』
私と雄大さんは、まだたったの二か月。
だから、春日野さんほど雄大さんのことを知らないのは当たり前、だろう。
けれど、雄大さんの言葉をそのまま受け取るなら、春日野さんとはしなかった結婚を私とはするんだから、年月なんて関係ない。
「じゃあ……、どうして話してくれないのよ」
「何を」
「春日野さんも、黛ですら知っているのに……」
「黛——?」
「無理だよ……結婚なんて——」
次期大臣の息子と立波リゾートの親族の結婚。加えて、後継者の噂。全国紙とまではいかなくても、経済紙を賑わせるのは間違いない。
その上、桜のことが明るみに出たら——。
立波リゾートの問題だけじゃない。
雄大さんのご両親の醜聞にもなる——。
「馨、何の話を——」と言いながら、雄大さんが階段を上り始める。
『お前が守りたいのは立波リゾートか? それとも、桜か?』
黛の言葉が、頭の奥で響く。
私が……守りたいのは——。
「やっぱり、やめよう。結婚」
「何で、そんな話に——」
「雄大さんにはリスクが高すぎるよ」
「俺には、ってどういう意味だよ」
雄大さんが最後の一段を上り、息がかかるほど近くに立った。
「……元彼にはリスクが少ない、か?」
「そんなんじゃ——」
「じゃあ、何だよ!!」
大声に、身体がビクッと強張る。
「結婚はやめない」
「でも——」
「お前は誰にも渡さない!」
悲鳴のような、叫び。
そして、私の中に雄大さんを刻みつけるような、深いキス。
どんなに言葉で突き放してみても、キス一つですべてが無となる。
今の私に、雄大さんを拒むことなど、それこそ不可能な事だった。