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 ✧≡≡ FILE_024: 成功 ≡≡✧
 ──手が震える。声が掠れる。

 〈……ドヌーヴ……〉

 フラッシュの声が、ヘッドセットの奥で揺れた。

 〈成功だ……!〉

 フラッシュのその声にコイルはパッと明るくなり、笑った。

 「すぐ、報告しましょう。ワイミーさん、今はいないけど……きっと、喜ぶわ」

 〈ああ。論文にして、最初に見せるのはあの人だ。それから、学会も、賞も、世界も──何でも持ってってやる〉

 フラッシュの声に、ドヌーヴは一度だけ目を細める。

 それはたぶん、誇らしさの目だ。頬を伝う汗は、熱のせいではなかった。それでも、誰もそれを指摘しない。誰も、気づかなかった。……たぶん。

 「……さて」

 ドヌーヴが息を吐いた。

 その“間”を、まず狂わせたのはコイルだった。

 「……あれ? ドヌーヴ、これ……」

 彼女の眉が、ゆっくりと寄る。

 モニターへ伸ばした指先が震えていた。

 〈コイル、どうした〉

 別室のフラッシュが応じる。

 「第二試験片の温度……下がってない。ペルチェ、もう停止してるはずよね?」

 〈停止してる。完全に〉

 短い沈黙。

 その後に返ってきた声は、明らかに“研究者としての動揺”を孕んでいた。

 〈……おい、嘘だろ。温度……上がってる〉

 モニターの数字が、じり……じり……と、常識を裏切る方向へ進んでいく。

 「上がる? 加熱してないのに?」

 コイルの声が一段高く跳ねた。

 〈違う。“加熱されている”んじゃない。……“吸熱反応が止まってない”〉

 「吸熱反応が……止まらない?」

 〈本来なら均質化が終わった時点で、エントロピー核は安定して沈むはずなんだ。だが……これは“外気を食い始めてる”。熱を奪って、まだ内部構造を組み替えようとしてる〉

 コイルの顔が一気に血の気を失った。

 「待って……それじゃまるで……」

 〈ああ。“成功した結晶構造そのものを、今まさに否定している”〉

 ドヌーヴが口を開く。

 「フラッシュ、再配置(リシャッフル)が続いているということか?」

 〈続いてるどころじゃない。これは──“別の最低エネルギー状態への大遷移(メガシフト)”だ〉

 常温超伝導の夢は、わずか数十秒で悪夢に変わった。

 モニターに映る結晶格子が、“成功した瞬間の美しい秩序”を保てず、わずかずつ、しかし不可逆に形を崩していく。

 〈ドヌーヴ……これは読めなかった。完全に予測外だ〉

 「……待て。格子エネルギー密度が跳ねた」

 フラッシュの声が低くなる。

 嫌な予感を押しつぶすような、研究者特有の沈黙。

 次の瞬間だった。


 ピンッ。


 金属とは思えないほど軽い、しかし耳の奥を刺すような音が、実験室の床を這うように響いた。

 「……今の、何?」

 コイルが振り返る。

 ドヌーヴは即答した。

 「格子の整合が破れた。一次亀裂だ」

 モニターの映像に、白い傷が走る。

 一本の細い、糸のような亀裂。

 だが“白い”という色が、すでに異常だった。

 〈……嘘だろ。光ってる〉

 フラッシュの声が震える。

 試験片内部の応力が、“破断ではなく光として漏れ出している”。

 科学者は、それを“美しい”と表現したがる。

 だがこれは、美しさではない。

 構造が崩れながら、エネルギーの出口を間違えた物質の悲鳴だ。

 「フラッシュ、遮蔽を強化しろ」

 ドヌーヴが言う。

 〈やってる。だが……亀裂が増えてる〉

 モニターには、一本だった白い線が、二本、三本……やがて幾何学的な光の網へと変わっていく。

 その瞬間──


 裂けた。


 光だけが爆発した。

 音はほとんどない。

 衝撃波もない。

 だが光が破片のように散った。

 粒でも波でもない、“割れた光”だった。

 実験室の空気が、高周波の振動に震えた。

 虹色の閃きが弾け、観測ガラスの向こう側で、小さな太陽が砕けたように見えた。

 その一瞬。

 ドヌーヴの身体が、コイルの視界から消えた。

 違う。

 彼女の前に“現れた” のだ。

 コイルと試験片の間にドヌーヴは身体を滑り込ませると、金属の破断光は、まるで無数の細いナイフのように周囲の空気を切り裂きながら飛散した。

 コイルは本能で、お腹に手を当てた。

 守るべきものが、そこにあったから。

 ドヌーヴは振り返らない。

 その背中だけが、コイルの全身を覆った。

 白衣が光を飲みこむ。

 影がコイルを包む。

 彼女の世界から、光が消えた。

 コイルは気づいた。

 彼の肩が、わずかに震えていること。

 そして──その震えは恐怖ではなく、

 光の熱に焼かれていく痛みによるものだと。

 それでもドヌーヴは、影となった。

 彼女のために。

 お腹のなかの小さな命のために。

 コイルの喉がふるえる。

 声が出ない。

 涙も出ない。

 光片の風が、ドヌーヴの髪を焼く。

 その匂いが、コイルの胸を軋ませた。

 〈コイル!? ……ドヌーヴ!? 返事しろ!〉

 別室のフラッシュの叫びが、破れた通信越しに届く。

 だが彼の声が届く前に──光は、最後の閃きを放った。

 ドヌーヴは振り向かない。

 そして──次の瞬間。




 虹色の光が、ドヌーヴの身体を貫いた。






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