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何故エリスには何の影響もないのか? フリッツの頭に、はっきりとした疑問が浮かぶ。
アリシアは、気づいていない。普段なら真っ先に気づいて、指示をくれる主にはその余裕がない。
主である女性は、血の混じった唾を吐くと、再びシウムと対峙する。
だが、シウムはもう接近する気はないらしい。
再び、魔力が膨張していく。
「神よ! 盾を! わたしに!」
しかし、今度は膨張した魔力が衝撃波に変わるよりも早く、アリシアが両手から白い光を展開した。
だが、人間と夢魔ではそもそもの魔力の大きさがまったく違う。少なくとも真正面からぶつかって、何とかなるような差ではない。
フリッツはアリシアからそう聞いていた。
だから、眼の前の光景は信じがたいものだった。
アリシアは小さく凝縮した白い光を両手で押すように、ゆっくりと、しかし確実にシウムへと歩いていっていた。
その様子に、シウムが悲痛にも聞こえる叫びを上げた。
「嘘でしょう? あなたみたいな、ただの人間が! 女性が! 魔族である、私に! どうしてそこまで向かってこれるのですか!」
よく見ると、アリシアは完全に衝撃波を防げているわけではなかった。
光の起点である両の掌は皮がむけて、血だらけになっている。
すらりと伸びた足も、それから顔のあちこちが切り裂かれ、血が滴り落ちていた。
どれも致命傷ではない。しかし、無傷には程遠かった。
血の道を作り、歩くアリシア。もともとがとんでもない美人なだけに、その様子は凄絶とさえ言えた。
「これが……アリシアさん」
クリスはその姿に感動すら覚えた。知らず漏れた言葉は、例えようもない羨望を含んでいた。
そして、あと一歩の距離まで詰めた時、アリシアは誰もが驚愕する行動に出た。
勢いが弱まったとはいえ、いまだ暴風のような衝撃波は続いている。
それなのに、アリシアは――
邪魔だとばかりに盾を消して、跳躍した。
「ちょっと会長!」
たまらずフリッツが叫びを上げる。しかし、アリシアはその言葉と、それから衝撃波が自身を襲うことをすべて無視した。
「卑小なるわが身に! 魔を払う力をお与え下さい!」
掌の代わりに、両足を覆うように白い光が現れる。
「斧刃脚
ふじんきゃく
!」
空中で頭の上まで振りあげられた足が、斧の刃のような軌跡を描いて振り下ろされる。
動きが速いはずのシウムは、驚愕に固まったまま、避けることすらしない。
重い音が響く。
肩を蹴りぬかれ、身体をくの字に折り曲げるシウムに、アリシアは容赦しない。
「ふっ!」
息を一つ吐く。しかし、蹴りは三発。身体の中心を打ち抜くように、白い光を纏った右足が、セシウムの身体を容赦なく蹂躙する。
シウムの身体は、壁にめり込みこそしなかったが、ずるずるとそのまま座り込んだ。
「参り、ましたね……あなたの、勝ち……ですよ」
途切れ途切れの賞賛の言葉に、アリシアは血塗れの顔で、笑みを浮かべた。
「あなたはわたしを、ちょっと腕の立つ、美人な、でもただの人間だと思った。それが、敗因よ」
シウムは答えない。ただ口元に、笑みを浮かべた。
「だけど、覚えておきなさい。わたしは、命をかけてこの世界に生きているのよ」
「なる……ほど。わたしが、敗れても……仕方あり、ませんね」
シウムが頷き、アリシアが背を向けたその時。
前触れもなく、闇がアリシアの腹を貫いた。
鮮血が飛び散り、アリシアが倒れる。
「会長!」
フリッツが叫び、そしてクリスの絶叫が、響いた。
一瞬にして、勝利の余韻が掻き消された空間で、それはゆっくりと起き上がった。
大きな神殿での、儀式もなく。
夢魔は破れたとはいえ、死んではいない。
だが、それだというのに――エリス=シェルフェリアは、むしろ軽やかに、ベッドから降り立った。
ビットは、追いつめられていた。
闇人に何かが通じないわけではない。確かに対人間を想定しているビットの闘い方では、不利であることは間違いないが、決して無意味なわけではない。
ただ、闇人には、同じ攻めが2回、通じない。
肩を吹き飛ばしたビットの精霊魔法も、今は空から聞こえる声に無駄と断じられ、その身体に吸い込まれるばかりであった。
逆に、闇人はその腕を鋭く尖らせ、左右を交互に繰り出していく。
それは、巨体ゆえに動作こそ緩慢であったが、腕の動きは速く、しかし、ビットは懸命に避けていく。
最初は余裕を持って避けられていたはずの攻撃は、疲労が重なるにつれて、ビットの動作を大きくしていく。
それが更なる疲労を生み、浅い傷を、そして次第に深い傷をビットへと刻んでいく。
――このままでは、そうは持たない。
焦燥感にかられるわけでもなく、ビットはごく冷静に自身の状態を分析して、そう結論付けた。
その絶望的な結論をだしてなお、ビットの表情は揺るがない。
「お前は、絶望しないのか?」
空から聞こえる声が、ビットに問いかける。
つまらなそうな響きを含んだその声に、ビットは苦笑すら浮かべずに応じる。
「絶望したら、どうなると? この現実が、少しでも動くというんですか?」
その言葉に、声に含まれた苦みが、一層深くなる。
「動かないな。だがよくわかった。お前から絶望を吸うのは、無駄らしいな」
その言葉に、ビットは眉をひそめた。
絶望を喰らう。そんな存在は、魔族にもいない。
魔族はあくまでも、生物だ。感情を喰らって生きているわけではない。
――では、それを喰らう存在は、何か。
「真魔、ですか」
「正解だ」
ビットの呟きを声は肯定し、同時にぐにゃり、と闇人がその姿を歪めた。
それが何を意図するかを一瞬で見抜いて、しかしビットは闇人へと跳躍する。
その動き方は、奇しくもアリシアと同じ発想だった。
数百の槍に姿を変えた闇人に傷つけられながら、それでもビットは槍のいくつかをを踏み台にして、足に穴を空けながら、上へと登っていく。
「ずっと、嬲り殺しにすればよかったんですよ。そうすれば、時間はかかっても、貴方の勝ちでした」
ビットが、槍をすべて踏み越えて、小さく零す。口元に浮かぶのは、嘲りの笑み。
「くだらない遊戯を続けていれば、私は緩慢に死んでいました。絶望こそ、しなくてもね」
ビットの両手に、闇が宿る。それはよく見ると、同じ闇でありながら、しかし世界を構成している闇であると主張するかのように、色のない輝きを放っていた。
ダンッ! と足音が響く。それはビットが、天井を踏みつけた音だった。足に空いた穴から、再び血が吹き出る。
数メートルの高さから、血が雨のように降り注ぐ。それを従者とするかのように、ビットは闇を纏わせ、迷いもなく地面に向かって加速する。
再び向かってこようとする、闇の槍を砕き散らしながら――ビットは矢のように速く、落下していく。
「闇を砕く、闇の刃!」
音もなく、闇人だったものが砕ける。
ビットが驚異的な身軽さで、両足から地面に着地する。流れる血に一切の注意を払わない。
再び、闇が形を取るべく集まろうとする。
「消えなさい! 異形なる闇! 理から外れた闇を喰らうのは……世界の闇!」
ドンッ! と音が響いた。それは、闇が作るはずの音ではない。
それは、世界が真魔を弾いた音だった。
消えていく闇を眺め、ビットはもう聞こえないと確信できる声に向かい、問いかける。
「何を焦っていましたか? 私の主人に、手駒を潰されでも、したのですか?」
やはり返ってこない答えを待たず、ビットはドアを開け、部屋を出る。
足に穿たれた穴はそのままに、ビットはしっかりとした足取りで、ただ一つの場所を目指す。
護るべき主の、居る場所を――ただ、目指す。